「HPF25周年記念公演」と、パンフにはある。今年限りで勇退される阪本先生への「はなむけ」として企画された作品でもある。ずっと追手門の芝居を見てきた。始めて見たのは、22年前の『千年の孤独』だ。これが同時に初めて見たHPF作品でもある。スペースゼロの古賀先生からぜひ、高校生の演劇も見てあげてください、と言われたからだ。
正直言って自分高校時代とか、時々見る自分の高校の演劇部の公演とかを見ていて、あまり感心しなかったから、興味は湧かなかったのだが、(ごめんなさい!)古賀先生がそこまで言うならなんて(傲慢!!)、と思い、あまり期待しないで見た。
衝撃を受けた。高校生がここまでするのか、と震撼させられた。僕の見通しの甘さだ。高校生だから、というような偏見を持っていた当時の幼い自分は、打ちのめされたのだ。あれから22年である。その後、毎年HPFでの追手門作品は欠かさず見ている。(でも、近年、ちょっと見逃した年もあるけど)今回阪本先生の最後のHPFのためにOB、OGも多数集まり、渾身の一作をここに作り上げる。(僕が見たのは、2日目のマチネーで、現役による公演だったが。)なんとトリプルキャストで、各回それぞれ主要キャストは演じ手が変わるという大胆な試みに挑んだ。
ここで、今までの追手門の作品を振り返るのは、本稿の趣旨に反するからしないけど、なんだか感無量の公演になった。2時間の大作だ。(昔は3時間の大作もあった)実によく出来ている。アンサンブルも見事だし、役者たちがそれぞれ的を射ている。決して上手いわけではない。だが、ちゃんと自分の役割を理解して作品に貢献できている。目立とうとするのではなく、この作品のなかにきちんと収まろうとする。そういうところが、追演のすごいところだ。劇団の伝統がちゃんと今に受け継がれている。完成度の高さを誇る。
野田秀樹の戯曲を自分たちの力量で、自在に組み立て、作品の目指すところをちゃんと伝える。妥協することなく、この作品の世界を自分たちの世界として実現するのである。戦争の頃を舞台にして、そこに島根の独立というバカバカしいお話が絡んできて、石油が出るというデマ(?)から始まる荒唐無稽なお話は怒濤の展開を見せる。結果的にこれはありえたかもしれない日本の戦後を描くのではなく、この国の未来を示唆する。こういうスケールの大きなお話を、臆することなく、堂々と見せていく。追手門高校演劇部でしかできない作品をここにちゃんと提示してくれたのがうれしい。
正直言って自分高校時代とか、時々見る自分の高校の演劇部の公演とかを見ていて、あまり感心しなかったから、興味は湧かなかったのだが、(ごめんなさい!)古賀先生がそこまで言うならなんて(傲慢!!)、と思い、あまり期待しないで見た。
衝撃を受けた。高校生がここまでするのか、と震撼させられた。僕の見通しの甘さだ。高校生だから、というような偏見を持っていた当時の幼い自分は、打ちのめされたのだ。あれから22年である。その後、毎年HPFでの追手門作品は欠かさず見ている。(でも、近年、ちょっと見逃した年もあるけど)今回阪本先生の最後のHPFのためにOB、OGも多数集まり、渾身の一作をここに作り上げる。(僕が見たのは、2日目のマチネーで、現役による公演だったが。)なんとトリプルキャストで、各回それぞれ主要キャストは演じ手が変わるという大胆な試みに挑んだ。
ここで、今までの追手門の作品を振り返るのは、本稿の趣旨に反するからしないけど、なんだか感無量の公演になった。2時間の大作だ。(昔は3時間の大作もあった)実によく出来ている。アンサンブルも見事だし、役者たちがそれぞれ的を射ている。決して上手いわけではない。だが、ちゃんと自分の役割を理解して作品に貢献できている。目立とうとするのではなく、この作品のなかにきちんと収まろうとする。そういうところが、追演のすごいところだ。劇団の伝統がちゃんと今に受け継がれている。完成度の高さを誇る。
野田秀樹の戯曲を自分たちの力量で、自在に組み立て、作品の目指すところをちゃんと伝える。妥協することなく、この作品の世界を自分たちの世界として実現するのである。戦争の頃を舞台にして、そこに島根の独立というバカバカしいお話が絡んできて、石油が出るというデマ(?)から始まる荒唐無稽なお話は怒濤の展開を見せる。結果的にこれはありえたかもしれない日本の戦後を描くのではなく、この国の未来を示唆する。こういうスケールの大きなお話を、臆することなく、堂々と見せていく。追手門高校演劇部でしかできない作品をここにちゃんと提示してくれたのがうれしい。