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映画・演劇のレビュー

箕面東高校『門のない関所を超えて』

2011-08-01 21:50:53 | 演劇
 箕面東は今回も応典院のタッパを生かした2階建ての空間を舞台に作る。その高低差をきちんと取り込みドラマに盛り込む。本当によく考えて芝居を作っている。役者たち(もちろん部員なのだが)の演技も上手くて舌を巻く。しかも主要キャストにも1年生を配しているのに、である。後でパンフを見て、あの子もこの子も1年生なのか、と驚かされた。富子を演じた松本あかね(高校生だが、この子たちには「敬称略」で充分だろう)なんて、もうベテランのような芝居をする。こういうバイプレイヤーを擁するって凄い。

 「高校の演劇部」というより、「手練れの小劇場劇団」という感じだ。応典院を自分たちのホームグランドのように自在に扱い100分に及ぶオリジナル大作を難なく仕立てる。しかも、力まずここまで肩の力の抜けた作り方が出来るなんて凄い。きっと今回の26団体でもダントツで、ピカイチだろう。(金蘭会でも、ここにはまるで及ばない)

 作、演出、さらにはコタロー役を演じた田中実知佳は、お伽噺(パンフの表記は、こどもらしい「おとぎ話」ではなく、そうなっている!)という意匠を借りて、挑発的な芝居を作る。(これは『大人に伝えたいお伽噺』ということらしい)

 大人でもなく子供でもない「中途半端な世代である自分たち」を主人公にして、残酷なメルヘンに挑む。ボーダーライン上の存在にある自分たちの居心地の悪さ、気持ち悪さ、それとどう折り合いをつけるのか。テーマはとても切実で、高校生である彼ららしい設定だ。ただ単なる背伸びではなく、等身大の芝居を見せる。それを笑いに包んで余裕で見せる。最後まで飽きさせない。なんだか、ちょっと上手すぎて、大人としては腹が立つ。

  だが、ここからはちょっと貶すよ。

 見終えてなんだか物足りなかった。途中から本当は少し退屈した。テーマを突き動かしていくはずの、「作り手の熱い想い」のようなものが伝わらないからだ。結果的には手堅く技術でまとめただけ、という印象を残すことになった。それはなぜだろうか。

 主役であるオリガミ(化け物)と山彦(人間)の間のある距離がまるで切実なものとして伝わらない。住む世界の違う2人が出会いその垣根をどう解き放つのか。閉じ込められた彼女を救い出すという行為が彼にとってどんな意味を持つのか、その一番大事な部分が僕には見えてこない。ずるい大人たちとの関係性(村長や忍者の頭領)も図式以上のものではない。この一番大事な部分を書き込まないようではせっかくの芝居は空虚なものとなる。


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