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映画・演劇のレビュー

LINX’S プロデュース(仮)『メビウス 201703』

2017-03-08 00:12:26 | 演劇
打ち棄てられた2体のロボット。廃棄され、あと少しで寿命も尽きる。ここはロボットの墓場。彼らは最後に人間のフリをして、恋をする。製造されて、これまでの時間に見てきたさまざまな風景が彼らの中にはインプットされている。これは彼らの記憶のできごとなのか。それとも、夢なのか。2体は、というか、ふたりは、今まで何度となく生まれ出会い愛し合ってきた。その長い歴史を一瞬の夢のような記憶として再生する。いろんな場所で、いろんなシチュエーションでの出会いと別れを演じる。



今回、このショウダウンの二人芝居を、5組の男女が演じる。5つの同じお芝居を6日間で公演した。これは劇団による初演以降、何度となく、上演してきた作品だ。林遊眠のための作品だったのに、やがて劇団の女優たちが演じた。さらには、そこを離れてさらにたくさんの人たちを巻き込んで上演は続く。



1編の台本を大切にして、その可能性を信じて、プロデュースする。鉾木さんと石田さんによるこの試みは、今まで誰もが夢見たかもしれないけど、誰もが成し遂げることができなかったことだろう。ナツメクニオさんの台本自体に力があったのだが、それだけではこういう企画の立ち上げは不可能だ。制作サイドの尽力がなくては成り立たない企画である。5プロの組み合わせもそうだが、稽古や宣伝、いろんな困難が山積みしたはず。90分の作品を5本作るのだから。



そして何よりもまず、役者たちがこの作品に惚れ込み、自分たちの体験をそこに投影し、誰のものでもない「自分のもの」として体現しなければ、この作品は立ち上がらない。これはラブストーリーの王道をいく作品だ。そして、それは物語の根幹を為す。ひととひととが出会い、関係し、別れる。すべてはそこにある。お話だけではなく、この芝居自体もそういうふうにして作られていく。



今回僕が見たのは、Eプロで、相川結さんと三浦求さんが演じたヴァージョン。このふたりが実に素晴らしい。(ほかのチームもたぶんそうだったはずだが、)相川さんの初々しさ。その硬質な感触が(ロボットですから当然なのだが)とてもいい。それが三浦さんの暖かさと化学反応を引き起こし、様々な様相を呈する。



小手先だけの手慣れた芝居はしない。そんなことをしたら台無しになるからだ。そういう意味でこの作品は怖い。役者にはうまさは求められない。常にいろんなものに変われるライブ感が試される。安易な計算は作品を損なう。(かもしれない。)シチュエーションの中で、部分を通して、そこにある「今」と「すべて」を同時に体現しなくてはならない。でも、これは実にやりがいのある作業ではないか。この台本にチャレンジしたいと思う気持ちがよくわかる。自分が試される。そこが魅力なのだろう。



5月には、また、新たな、何組かの「ふたり」が、これにチャレンジするようだ。惚れ込んだ台本にとことん入れ込み、どこまでも攻撃的に企画し、挑んでいく。そんな攻めの姿勢を崩さない鉾木、石田組から目が離せない。
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