園子温の新作だ。3・11以後を描く再生と希望をテーマにした作品、ということらしい。昨年の2作品に続いて怒濤の新作ラッシュだが、彼のフットワークの軽やかさには恐れ入る。震災直後台本を書き直して、被災地に入り、カメラを廻す。主人公、住田(染谷将太)のドラマの周辺に、震災によって生活の拠点や糧を失った人たち(渡辺哲や吹越満たち)を配して、彼らとの交流をサイドストーリーにする。
本筋の話自体は、相変わらずの暴力の嵐だ。崩壊した家庭、というのもこの種の映画の定番だ。だが、その過激さは半端ではない。父親殺しが映画の大きな転換点となるのだが、それ以前に、もうやりたい放題しているから、これが住田にとってそんな大きな出来事には見えないのはちょっとまずい。だから、その後彼が壊れてしまい、包丁を持って町をふらつくというシーンに思ったほどはドキドキしない。彼の痛みが伝わらないからだ。自分以上におかしい人間がうようよいる。まだ、彼の方がまともかも知れないほどだ。現実なのか、妄想なかが定かではないから、その過激が、ドラマを衝き動かさない。この映画を見ていると日本はもう崩壊するしかないのではないか、と思えて来る。異常者のオンパレードだ。彼らに較べると住田なんか可愛いものだ。でも、本当はこれはそんなふうに思える映画であってはならないはずなのだ。
彼に憧れ、ストーカー行為に励むもうひとりの主人公である怪しい同級生、茶沢(二階堂ふみ)の思いこみの激しさには唖然とさせられるが、彼女とのドラマをもう少し踏み込んで描いて欲しかった。ただ、彼につきまとい、殴られても屁とも思わず、それでもつきまとう様は驚きなのだが、そこまで思い込むきっかけとなる、彼女の家庭環境が書き込みきれてない。彼の家庭と変わらない異常さは描かれるが、あれでは中途半端だ。首つりのための準備にいそしむ両親なんて、ギャグにしかならない。前半の、2人が生活する日常の描写(学校のシーンだ)が、面白かっただけに、後半で学校に行かなくなり、その結果、話が単調になるのが惜しい。
映画は、まずいきなり、瓦礫の街から始まる。そこを彷徨う主人公、住田の姿。彼が廃墟にある洗濯機の中から銃を見つけて、それを自分の頭に突きつけ自殺するという悪夢から始まり、再び同じシーンに到るまでが描かれる。すべてを失った男が何を望み、何を為すのか。彼の魂の軌跡が、彼に憧れる少女との交流を通して描かれる。平凡でいいから、幸せでありたい、と願う。だが、そんなことは不可能だ。とんでもない父親と母親のもと、死んだように生きるしかない。それすら叶わず、彼は暴力に到る。ラストの「がんばれ!」には感動させられるし、不覚にも泣いてしまったのだが、それでこの映画に納得したわけではない。
過激な映画であることは、言うまでもない。だが、それを見ながら、なんだかだんだん醒めて来るのは、話が思いつきのレベルでしかないからだ。勢いはあるが、そこに方向性が見えないから、だんだん見ていて疲れて来る。映画の中に大きく震災を取り込んだのも、今の空気をこの映画に大胆に取り込むためだろうが、もともとはこの原作はそういう話ではあるまい。強引過ぎた。何度となくインサートされる瓦礫の街の映像は、その事実の圧倒的な迫力はある。だが、それがこのドラマ自体の力にはならない。この事実と拮抗するだけの強度を持ったドラマを作るために無理している。その結果主人公の2人の痛みが浅くなる。過激な描写に引きずられて、彼らの不幸がただの見世物となるのだ。これではまずい。
本筋の話自体は、相変わらずの暴力の嵐だ。崩壊した家庭、というのもこの種の映画の定番だ。だが、その過激さは半端ではない。父親殺しが映画の大きな転換点となるのだが、それ以前に、もうやりたい放題しているから、これが住田にとってそんな大きな出来事には見えないのはちょっとまずい。だから、その後彼が壊れてしまい、包丁を持って町をふらつくというシーンに思ったほどはドキドキしない。彼の痛みが伝わらないからだ。自分以上におかしい人間がうようよいる。まだ、彼の方がまともかも知れないほどだ。現実なのか、妄想なかが定かではないから、その過激が、ドラマを衝き動かさない。この映画を見ていると日本はもう崩壊するしかないのではないか、と思えて来る。異常者のオンパレードだ。彼らに較べると住田なんか可愛いものだ。でも、本当はこれはそんなふうに思える映画であってはならないはずなのだ。
彼に憧れ、ストーカー行為に励むもうひとりの主人公である怪しい同級生、茶沢(二階堂ふみ)の思いこみの激しさには唖然とさせられるが、彼女とのドラマをもう少し踏み込んで描いて欲しかった。ただ、彼につきまとい、殴られても屁とも思わず、それでもつきまとう様は驚きなのだが、そこまで思い込むきっかけとなる、彼女の家庭環境が書き込みきれてない。彼の家庭と変わらない異常さは描かれるが、あれでは中途半端だ。首つりのための準備にいそしむ両親なんて、ギャグにしかならない。前半の、2人が生活する日常の描写(学校のシーンだ)が、面白かっただけに、後半で学校に行かなくなり、その結果、話が単調になるのが惜しい。
映画は、まずいきなり、瓦礫の街から始まる。そこを彷徨う主人公、住田の姿。彼が廃墟にある洗濯機の中から銃を見つけて、それを自分の頭に突きつけ自殺するという悪夢から始まり、再び同じシーンに到るまでが描かれる。すべてを失った男が何を望み、何を為すのか。彼の魂の軌跡が、彼に憧れる少女との交流を通して描かれる。平凡でいいから、幸せでありたい、と願う。だが、そんなことは不可能だ。とんでもない父親と母親のもと、死んだように生きるしかない。それすら叶わず、彼は暴力に到る。ラストの「がんばれ!」には感動させられるし、不覚にも泣いてしまったのだが、それでこの映画に納得したわけではない。
過激な映画であることは、言うまでもない。だが、それを見ながら、なんだかだんだん醒めて来るのは、話が思いつきのレベルでしかないからだ。勢いはあるが、そこに方向性が見えないから、だんだん見ていて疲れて来る。映画の中に大きく震災を取り込んだのも、今の空気をこの映画に大胆に取り込むためだろうが、もともとはこの原作はそういう話ではあるまい。強引過ぎた。何度となくインサートされる瓦礫の街の映像は、その事実の圧倒的な迫力はある。だが、それがこのドラマ自体の力にはならない。この事実と拮抗するだけの強度を持ったドラマを作るために無理している。その結果主人公の2人の痛みが浅くなる。過激な描写に引きずられて、彼らの不幸がただの見世物となるのだ。これではまずい。