こういうタイプの題材を小劇場で取り上げるなんて実に珍しいことだ。ショパンを主人公にして、彼の最後の10年ほどを追いかけていく。生真面目に正攻法で見せていくのも、いい。だが、なんだか見ていてもどかしい。どうして、こんな芝居を作ろうとしたのだろうか。よくわからない。
男装の麗人ジョルジュ・サンドとの出会い、彼女の生き方に共鳴するものを感じ、2人は恋に落ちていく。ここに描かれるこの2人の愛憎劇は、なんだか商業演劇の世界のようで気恥かしい。だいたいウイングフィールドでこんなタイプの芝居を見るということ自体に戸惑いを禁じ得ないのだ。
つまらないわけではないが、これを通して何が見せたかったのだろうか。よくわからない。前作『新羅生門』にしても、今回にしても丁寧に作られているし、悪い芝居ではないことは重々理解できるが、なぜ、今これが必要なのかがわからないのだ。
主人公2人を通して描きたかったものが、なんとなくは伝わるが、拘りとして伝わらないから、もどかしいのだ。テーマ主義の芝居を求めているわけではないが、主人公たちを通して作者の意図が伝わらない芝居はつまらない。「ショパン」なんていうメジャーな主人公を設定したうえで、彼のどういう一面に拘ったのか、その結果僕たち観客は何を感じるのか、そこは作家の責任領域ではないか。好きなように受け止めてもらえたならいい、というのもありだが、まる投げはよくない。ショパンの伝記をやりたかったわけではあるまい。彼の中のコンプレックスが、ジョルジュ・サンドとの関わりの中でどんなふうに変わっていくのか。せめてそれだけでも明確にして欲しかった。
男装の麗人ジョルジュ・サンドとの出会い、彼女の生き方に共鳴するものを感じ、2人は恋に落ちていく。ここに描かれるこの2人の愛憎劇は、なんだか商業演劇の世界のようで気恥かしい。だいたいウイングフィールドでこんなタイプの芝居を見るということ自体に戸惑いを禁じ得ないのだ。
つまらないわけではないが、これを通して何が見せたかったのだろうか。よくわからない。前作『新羅生門』にしても、今回にしても丁寧に作られているし、悪い芝居ではないことは重々理解できるが、なぜ、今これが必要なのかがわからないのだ。
主人公2人を通して描きたかったものが、なんとなくは伝わるが、拘りとして伝わらないから、もどかしいのだ。テーマ主義の芝居を求めているわけではないが、主人公たちを通して作者の意図が伝わらない芝居はつまらない。「ショパン」なんていうメジャーな主人公を設定したうえで、彼のどういう一面に拘ったのか、その結果僕たち観客は何を感じるのか、そこは作家の責任領域ではないか。好きなように受け止めてもらえたならいい、というのもありだが、まる投げはよくない。ショパンの伝記をやりたかったわけではあるまい。彼の中のコンプレックスが、ジョルジュ・サンドとの関わりの中でどんなふうに変わっていくのか。せめてそれだけでも明確にして欲しかった。