ようやく2014年がスタートした。最初の一冊は沢木さんの新刊だ。藤圭子が引退する直前をドキュメントしたインタビューである。なぜ、今頃そんな本が出版されるのか。普通ならいぶかしがられるところだが、沢木さんだから、まるで不思議には思わない。さらには、彼女の自殺の後、出版されるため、際物本だと、誤解する人もいるだろうが、沢木さんだから、そんなはずもない、と誰もが知っている。沢木さんのこだわりは彼の本を1冊でも読んだことのある人なら誰でも知っている。だからこれは一刻も早く読みたかった1冊だ。今年の一冊目がこの本でよかった。これで、すばらしいスタート切れる。
1979年秋、ホテルニューオータニ40階、バー・ハルゴー。二人は話す。なぜ、引退に至るのか。28歳の女性と、31歳の男性がグラスを傾けながら、その真実に迫る。8杯目の火酒を飲むまでの短い時間。というスタイルになっている。たった一夜のインタビューである。それを沢木さんは500枚のドキュメントにした。しかし、彼はその本を出版しなかった。藤圭子本人にだけ渡して、封印した。それから、30年以上の歳月が流れた。別に、本人からのGOサインが出なかったわけではない。だが、沢木さんの判断で出版は見送られた。
この本と同時に沢木さんは『一瞬の夏』を執筆したそうだ。彼の初期の代表作であるあの本の背後にこの作品があったのだ。それが30数年の歳月を経て、今、明らかになる。沢木さんが当時考えたこと、感じたこと、それが藤圭子を通して語られる。この本の主人公は藤圭子だが、同時にあの頃の沢木さん本人でもある。彼らふたりのドラマが重なり合う。パリでの偶然の出逢いが描かれる冒頭のエピソードがすごい。『深夜特急』の旅のなかで、彼は藤圭子と出逢っていたのである。その偶然を彼は彼女に語る。
昭和の歌姫、藤圭子がたった10年の現役生活を終えて、引退していく。さまざまな憶測が乱れ飛んだ。そんななかで、沢木さんは彼女の真実に迫りたいと思った。それは暴露記事なんかではない。ただ、28歳の、まだ少女でしかないような年齢の女性が、すべてを終えて、去っていくことに、「何か」を感じないではいられなかったからだ。同世代である彼が30代になり、新しい何かを求めて、あがいている。そんな時と重なり合う。藤圭子の引退は終わりではなく、彼女の新しい始まりだった。だが、そこには歌はない。芸能界から離れて本当の自分の生き方を模索する彼女の旅立ちに沢木さんは立ち会う。
だが、その後の彼女が幸せだったかどうかは、わからない。沢木さんはあの旅立ちの一夜しか知らない。でも、そこからすべてが語られる。語ることは可能なのだと信じる。ラストの藤圭子からの手紙が胸に沁みる。ハワイからアメリカに渡って、自由に生きようとした彼女の日々がそこから垣間見られる。この30年間に何があったか。最後だけが新聞に報道される。「新宿のマンションの13階から投身自殺した」と。2013年8月22日。長年の奇行の末の自殺、ということになっている。だが、はたしてそうなのか。さらには、その説明に何の意味があるのか。
沢木さんは自分が知っている藤圭子をここに書く。対話というスタイルは、インタビューするものと、されるもの、という垣根を取り払い、ひとりの人間と、人間のかわすドラマとして、機能する。ここにはあの頃の沢木さんが確かにいるのだ。30代になったばかりで、これからノンフィクションライターとして、どう生きていけばいいのかを模索するまだ青年の彼がいる。そして、引退を覚悟した藤圭子もいる。
読みながら、そんな初々しい2人の姿が目に浮かぶ。これは藤圭子と沢木耕太郎の旅立ちの書だ。だから、新しい年の初めにこの素晴らしい本と出逢えてよかったと言える。僕もまた、ここからこの1年をスタートしたい。彼らのように、全力で生きてみたい。これはそんな気にさせられる元気の出る本だった。
1979年秋、ホテルニューオータニ40階、バー・ハルゴー。二人は話す。なぜ、引退に至るのか。28歳の女性と、31歳の男性がグラスを傾けながら、その真実に迫る。8杯目の火酒を飲むまでの短い時間。というスタイルになっている。たった一夜のインタビューである。それを沢木さんは500枚のドキュメントにした。しかし、彼はその本を出版しなかった。藤圭子本人にだけ渡して、封印した。それから、30年以上の歳月が流れた。別に、本人からのGOサインが出なかったわけではない。だが、沢木さんの判断で出版は見送られた。
この本と同時に沢木さんは『一瞬の夏』を執筆したそうだ。彼の初期の代表作であるあの本の背後にこの作品があったのだ。それが30数年の歳月を経て、今、明らかになる。沢木さんが当時考えたこと、感じたこと、それが藤圭子を通して語られる。この本の主人公は藤圭子だが、同時にあの頃の沢木さん本人でもある。彼らふたりのドラマが重なり合う。パリでの偶然の出逢いが描かれる冒頭のエピソードがすごい。『深夜特急』の旅のなかで、彼は藤圭子と出逢っていたのである。その偶然を彼は彼女に語る。
昭和の歌姫、藤圭子がたった10年の現役生活を終えて、引退していく。さまざまな憶測が乱れ飛んだ。そんななかで、沢木さんは彼女の真実に迫りたいと思った。それは暴露記事なんかではない。ただ、28歳の、まだ少女でしかないような年齢の女性が、すべてを終えて、去っていくことに、「何か」を感じないではいられなかったからだ。同世代である彼が30代になり、新しい何かを求めて、あがいている。そんな時と重なり合う。藤圭子の引退は終わりではなく、彼女の新しい始まりだった。だが、そこには歌はない。芸能界から離れて本当の自分の生き方を模索する彼女の旅立ちに沢木さんは立ち会う。
だが、その後の彼女が幸せだったかどうかは、わからない。沢木さんはあの旅立ちの一夜しか知らない。でも、そこからすべてが語られる。語ることは可能なのだと信じる。ラストの藤圭子からの手紙が胸に沁みる。ハワイからアメリカに渡って、自由に生きようとした彼女の日々がそこから垣間見られる。この30年間に何があったか。最後だけが新聞に報道される。「新宿のマンションの13階から投身自殺した」と。2013年8月22日。長年の奇行の末の自殺、ということになっている。だが、はたしてそうなのか。さらには、その説明に何の意味があるのか。
沢木さんは自分が知っている藤圭子をここに書く。対話というスタイルは、インタビューするものと、されるもの、という垣根を取り払い、ひとりの人間と、人間のかわすドラマとして、機能する。ここにはあの頃の沢木さんが確かにいるのだ。30代になったばかりで、これからノンフィクションライターとして、どう生きていけばいいのかを模索するまだ青年の彼がいる。そして、引退を覚悟した藤圭子もいる。
読みながら、そんな初々しい2人の姿が目に浮かぶ。これは藤圭子と沢木耕太郎の旅立ちの書だ。だから、新しい年の初めにこの素晴らしい本と出逢えてよかったと言える。僕もまた、ここからこの1年をスタートしたい。彼らのように、全力で生きてみたい。これはそんな気にさせられる元気の出る本だった。