毎年恒例の「大阪私立中学校高等学校、芸文祭演劇部門公演」の一作だけど、これは結果的に金蘭の山本篤先生の引退公演になる。この最後を飾る作品が、金蘭座でも上演した『農業少女』だったのもうれしい。野田秀樹の名作を金蘭ならではのテイストに練り上げ自家薬籠中の物にした作品をもう一度新しいメンバーで再演する。古い作品が今の作品として甦る。いや、これは古典にはなろうとも古い作品なんかにはならない傑作だ。それを若い力を結集して今こそ見るべき作品に作り上げて置き土産とする。それは新しく始まる次の金蘭第一歩になる。
感傷ではなく、素直な感動の舞台だった。最大の驚きは在校生による演技だ。今までなかったほどにひとりひとりが輝いている。金蘭の魅力はそのアンサンブルプレーにあった。だがそれは諸刃の剣でもある。個人が突出しない。みんな上手いけど、全体の中に埋もれてしまう。だから金蘭から卒業後、関西の小劇場を担う存在はなかなか生まれない。彼女たちは演劇ではなく、金蘭演劇をしているからだ。もちろんそれは不幸なことではない。山本先生の世界観を強要されたなんて訳では毛頭ない。彼女たちは高校演劇という世界で最高の指導者と仲間を得て、ひとつの物語をやり遂げる。ここでの3年間で完全燃焼するからかもしれない。
そんなことを今感じたのは、今回の芝居がいつもの金蘭演劇とは微妙に違ったからだ。特筆すべきは主人公を演じた森竹彩羽。なんと1年生。少女らしい純粋さと太々しさを同時に体現する。だがそれは狡さとか器用さとかではない。さらには、彼女を受け止め導いていく都罪を演じた2年生の平朱加。役者の個人的な力量で芝居をリードする金蘭演劇は初めてではないか。このふたりを見守って安定したいつも通りの金蘭メソッドを見せてくれるのはこの春卒業した3年の濱本優月。集団演劇の金蘭が個人プレーで作品を引っ張る奇跡を見せた。山本先生が抜けていく穴を感じさせない芝居を見せてくれる。台本の持つ力、そして素晴らしい演出の力。それを信じる役者たちの力。そこにはいつもと同じアンサンブルの魅力も、もちろんある。(10人の一体感!)
今更、この作品の内容には触れないけど、こんなにも刺激的な芝居はなかなかないだろう。農業をテーマに据えて、田舎から東京に出てきた15歳の少女の軌跡を追い、この世界がどこに向かうのかを示唆する。作品の広がりは半端じゃない。これを金蘭演劇はたった1時間20分の、たった10名の(オリジナルは4人芝居だけど)キャストによる作品にまとめた。今まで3時間半の長尺だってしているし、今までの金蘭エンゲキは総勢40名とかいう人海戦術で見せてきた作品だってある金蘭なのだ。それが今回はこんなにもスリムなのである。なのに適切なテンポでラストまで一気に突き進んでいく。無理なく落ち着いた芝居だ。高校生がこれだけの芝居を作ることに驚きは一切ない。だってこれは山本先生たちが作り上げた金蘭演劇だから。40年間の集大成ではなく、これもまた一つの通過点だ。ここから次の金蘭演劇が始まる。