こんなにも辛い小説を読むのは久しぶりだ。出来ることなら読みたくはなかった。でも、なんだか避けるのもなぁ、と思って、読み始めて、途中からこれは救いようがないし、と思いつつも、どこかに何らかの救いを期待して最後まで読んでしまった。もちろん、徹底的に救いようのない小説だ。わかっていただけのショックはないけど、見事だ。
いまどきの小説にあるまじきもの。「あの子をいじめから救って、わたしは地獄に堕ちた」という帯のコピーそのままの小説だった。どこまで行っても何の救いもない。生き直すつもりだったのに、それはどこまでも、どこまでも地の果てまでついてくる。
傍観者でいられない、という安易なヒロイズムが彼女を地獄に突き落とす。優等生ゆえの善意からの行為が、今までの安全圏から彼女を突き放すことになる。転校した村でも、同じような派閥があり、そこに巻き込まれて、同じように標的になる。もういい加減にして欲しい。でも、どうしようもない泥沼。目立たないようにうまく立ち回ればいいのだが、そうは出来ない。嫌になるのだ。学校という場所が苦痛の温床になる。だが、小学生にはどうしようもない。中学生になっても同じ。高校生になれば少しは周りも大人だし、とは思う。だが、そう簡単なものでもない。
なぜ、あそこに戻ったのか。なぜ、あそこでのことを小説になんか書いたのか。30代になっても逃れられない。というよりも、彼女自身がいつまでもそこに囚われている。新しい場所で、初めからやり直せばいいのに、出来ないのだ。もう一度、向き合うためのやってきたあの頃過ごした町。貉の穴の先にあるような世界から閉ざされた町。だが、そんな閉鎖された町も、東京の小学校と同じだった。
20数年ぶりの同窓会なんかに出席してどうしたかったのか。激しく降る雨の中、思い出なんかないあの学校に立つ。なんの感慨もない。何一つ吹っ切れるきっかけもない。ただ、苦しいだけだ。終盤の出口のない幕切れがますます憂鬱な気分にさせる。でも、ここにも、また、ひとつの答えがある。
100歳になる珠子ばあさんが言う。「あんなもんを作ったせいで(トンネルのこと)村には入っちゃいけないもんがたんと入ってきて、出てっちゃなんねもんがたんと出てったな、便利になったが、なくしたもんのほうが価値があっただよ」と。いろんな意味で心に沁みる。
いまどきの小説にあるまじきもの。「あの子をいじめから救って、わたしは地獄に堕ちた」という帯のコピーそのままの小説だった。どこまで行っても何の救いもない。生き直すつもりだったのに、それはどこまでも、どこまでも地の果てまでついてくる。
傍観者でいられない、という安易なヒロイズムが彼女を地獄に突き落とす。優等生ゆえの善意からの行為が、今までの安全圏から彼女を突き放すことになる。転校した村でも、同じような派閥があり、そこに巻き込まれて、同じように標的になる。もういい加減にして欲しい。でも、どうしようもない泥沼。目立たないようにうまく立ち回ればいいのだが、そうは出来ない。嫌になるのだ。学校という場所が苦痛の温床になる。だが、小学生にはどうしようもない。中学生になっても同じ。高校生になれば少しは周りも大人だし、とは思う。だが、そう簡単なものでもない。
なぜ、あそこに戻ったのか。なぜ、あそこでのことを小説になんか書いたのか。30代になっても逃れられない。というよりも、彼女自身がいつまでもそこに囚われている。新しい場所で、初めからやり直せばいいのに、出来ないのだ。もう一度、向き合うためのやってきたあの頃過ごした町。貉の穴の先にあるような世界から閉ざされた町。だが、そんな閉鎖された町も、東京の小学校と同じだった。
20数年ぶりの同窓会なんかに出席してどうしたかったのか。激しく降る雨の中、思い出なんかないあの学校に立つ。なんの感慨もない。何一つ吹っ切れるきっかけもない。ただ、苦しいだけだ。終盤の出口のない幕切れがますます憂鬱な気分にさせる。でも、ここにも、また、ひとつの答えがある。
100歳になる珠子ばあさんが言う。「あんなもんを作ったせいで(トンネルのこと)村には入っちゃいけないもんがたんと入ってきて、出てっちゃなんねもんがたんと出てったな、便利になったが、なくしたもんのほうが価値があっただよ」と。いろんな意味で心に沁みる。