試写会で、一刻も早く見た生徒が「先生! 『天地明察』原作には及びません!!」と言っていたから、(彼女は、この夏、「この小説を読んで、」と僕に勧めてくれた子だ)それは残念だが、でも、ほんとうか、どうか僕がちゃんと確かめてあげよう、と、言うことで早速見てきた。と、いうか、自分が早く見たかっただけなのだが。
原作小説に惚れこんだ読者は映画化された作品を認めたくない、というのは、よくある話だ。自分の作ったイメージと映像化されたものとの落差に失望する。映画と小説は別物、と思っていても、どうしようもないことはままある。
滝田洋二郎監督は、この膨大な作品をよく2時間21分の長さにまとめたと思う。とても上手くまとめあげてある。壮大な話を単なるダイジェストにはせず、必要なエピソードを削除することもなく、取りこぼしなくコンパクトに作る。とてつもなく困難な作業に根気強く挑み、涙が出るほど凄い。手抜きは一切ない。そんなことをしたならこの作品は成立しないからだ。細かいシーンまでお金と時間を注ぎこみ、最高の仕事を成し遂げる。さながらそれは主人公の安井算哲そのものだ。彼と彼の仲間たちの情熱は、この映画の監督、スタッフと重なる。見ていて胸が熱くなった。暦の改編という難事業に挑み、最後まであきらめず、やり遂げる。
よくあるパターンのお話だ、と言われば、確かにその通りだ。だが、頑張っている人を見ると、それだけでこちらまで元気にさせられる。とてもうれしい。
映画は、前半が素晴らしい。小説を読んだ時には序盤が苦しいと思ったのだが、ものすごくうまくまとめてある。もちろんハイライトは小説と同じで北極出地のシーンだ。あれがこの作品の肝だからだ。この任に就き、2人の先人と出会い、算哲は好きなことのために寝食を忘れて取り組むことの潔さを目撃する。もともと彼自身がそういう人物だったのだが、建部たちと出会い、自分なんかよりもっと凄い人を知り、うれしくなる。
端折ることなく重要なエピソードはそのままにしてちゃんと見せていく。途中これで2時間21分でちゃんと終われるのかと心配になるほどだ。だが、前半かなり飛ばしているので大丈夫! それどころか、後半はテンポが遅くなるほどなのだ。実を言うと、この作品の問題はそこにある。
原作を読んだ時、とてもおもしろかった終盤のたたみかけるようなタッチがここにはない。なぜか、終盤に到って映画は失速するのだ。原因は知れている。長い時間を見せるためには、映画は適さないということだ。いつまでたっても遅々として進まない暦の改編を、悠々たるタッチで見せる小説に対して、映画は、それは短い描写で再現しなくてはならない。これは難しい。しかも、説明的にはなれないというのも、映画の弱点だ。絵として瞬間的に見せれる半面理屈を解説することは簡単には出来ない。公家との確執を描く部分を見せきれないのだ。京都で、どう戦うかを、あの程度の描写で見せるのでは、残念だが最後の最後で感動できない。
宮崎あおいが、また素晴らしい。この人がほんのちょっと出るだけで、映画がワンランク、レベルアップしてしまう。関係ない話だが、関孝和が最初のシーンで誰だかわかるのは、残念だ。原作を読んだ時、終盤までえん(宮崎あおい)が関ではないか、と思っていた僕なので、初めて見る人には同じようなドキドキを体験してもらいたい、と思ったからだ。まぁ、日本史の教科書に出て来るような有名人(僕はそんなことも、知らなかったのだ!)だから、誰もそんな誤解はしないかぁ。
原作小説に惚れこんだ読者は映画化された作品を認めたくない、というのは、よくある話だ。自分の作ったイメージと映像化されたものとの落差に失望する。映画と小説は別物、と思っていても、どうしようもないことはままある。
滝田洋二郎監督は、この膨大な作品をよく2時間21分の長さにまとめたと思う。とても上手くまとめあげてある。壮大な話を単なるダイジェストにはせず、必要なエピソードを削除することもなく、取りこぼしなくコンパクトに作る。とてつもなく困難な作業に根気強く挑み、涙が出るほど凄い。手抜きは一切ない。そんなことをしたならこの作品は成立しないからだ。細かいシーンまでお金と時間を注ぎこみ、最高の仕事を成し遂げる。さながらそれは主人公の安井算哲そのものだ。彼と彼の仲間たちの情熱は、この映画の監督、スタッフと重なる。見ていて胸が熱くなった。暦の改編という難事業に挑み、最後まであきらめず、やり遂げる。
よくあるパターンのお話だ、と言われば、確かにその通りだ。だが、頑張っている人を見ると、それだけでこちらまで元気にさせられる。とてもうれしい。
映画は、前半が素晴らしい。小説を読んだ時には序盤が苦しいと思ったのだが、ものすごくうまくまとめてある。もちろんハイライトは小説と同じで北極出地のシーンだ。あれがこの作品の肝だからだ。この任に就き、2人の先人と出会い、算哲は好きなことのために寝食を忘れて取り組むことの潔さを目撃する。もともと彼自身がそういう人物だったのだが、建部たちと出会い、自分なんかよりもっと凄い人を知り、うれしくなる。
端折ることなく重要なエピソードはそのままにしてちゃんと見せていく。途中これで2時間21分でちゃんと終われるのかと心配になるほどだ。だが、前半かなり飛ばしているので大丈夫! それどころか、後半はテンポが遅くなるほどなのだ。実を言うと、この作品の問題はそこにある。
原作を読んだ時、とてもおもしろかった終盤のたたみかけるようなタッチがここにはない。なぜか、終盤に到って映画は失速するのだ。原因は知れている。長い時間を見せるためには、映画は適さないということだ。いつまでたっても遅々として進まない暦の改編を、悠々たるタッチで見せる小説に対して、映画は、それは短い描写で再現しなくてはならない。これは難しい。しかも、説明的にはなれないというのも、映画の弱点だ。絵として瞬間的に見せれる半面理屈を解説することは簡単には出来ない。公家との確執を描く部分を見せきれないのだ。京都で、どう戦うかを、あの程度の描写で見せるのでは、残念だが最後の最後で感動できない。
宮崎あおいが、また素晴らしい。この人がほんのちょっと出るだけで、映画がワンランク、レベルアップしてしまう。関係ない話だが、関孝和が最初のシーンで誰だかわかるのは、残念だ。原作を読んだ時、終盤までえん(宮崎あおい)が関ではないか、と思っていた僕なので、初めて見る人には同じようなドキドキを体験してもらいたい、と思ったからだ。まぁ、日本史の教科書に出て来るような有名人(僕はそんなことも、知らなかったのだ!)だから、誰もそんな誤解はしないかぁ。