習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『メモリーズ・コーナー』

2014-02-02 20:06:36 | 映画
 阪神大震災をフランス人監督がテーマにして映画を作る。震災から10年が経つ神戸を訪れた女性ジャーナリストが出会ったひとりの男。震災ですべてを失い死んだように生きている。

 資料にはこう書かれてある。

「フランスの新人女性監督オドレイ・フーシェが阪神・淡路大震災後の日本をテーマに描いたドラマ。阪神・淡路大震災から10数年後、女性ジャーナリストのアダは記念式典の取材で神戸を訪れ、震災の後遺症に悩む男、石田と出会う。」

 コピーしたら、簡単だが、自分で書いたら、なかなかうまく書けない。だから、いつもあらすじは書かない。でも、こういう解説に文章って、読んでいてなんか違うなぁ、といつも思う。

 震災から10年後、復興記念のイベントが行われる。その一環として海外からジャーナリストを集めて、震災の実態を理解してもらい、それぞれの国で報道してもらう。彼女はフランスから神戸に来た。そこで、被災した人たちへのインタビューをする。キレイ事だけの、ありきたりなものでしかない。世話をする日本人スタッフは、海外からのお客さんをもてなす為に、それなりの努力をして見せるけど、彼らに本当の震災の実情なんかわかるわけもないと思っている。ある種おざなりの対応になる。もちろん悪気はない。

 そんな中、主人公の女性は、個人的な想いから、その男に心惹かれる。何かがシンクロするようなのだ。映画は幾分観念的だ。主な登場人物は3人。フランス人の彼女と、その通訳として世話を任された男(西島秀俊)、そして被災地の男(阿部寛)。

 これは幻に捕り憑かれた女の話だ。まだ若い女性である彼女が、日本人の暗い目をした中年男と出会い、彼の物語に魅せられていく。この町で10年前に大きな地震があった。今も、その傷跡はあちこちに残っている。だが、表面的なものではなく、人々の心の中に立ち入ると、そんなもの、比ではない闇はある。彼女はそんな闇の中に足を踏み入れようとする。アラン・レネの『二十四時間の情事』(「ヒロシマ、わが愛」)を思わせる。あるいは『牡丹灯籠』か。この映画はとても微妙な感覚を捉えようとしている。しかも上映時間は84分である。深く突っ込んで描くのではなく、心象風景のような見せ方をする。死者と出会い、彼に導かれて神戸をさまよう。

 恋愛の破局から逃れるため仕事に逃げて日本に来た。とてもわがままで、後ろ向きな動機だ。だが、そこで、出会った男を通して彼女は再び生きる希望を抱く。これは再生のドラマなのだ。そういう方向性が明確だからこんなにも荒唐無稽で観念的なお話なのに、心地よく伝わってくる。



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