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映画・演劇のレビュー

いとうせいこう『存在しない小説』

2014-02-02 20:02:47 | その他
 このトリッキーな小説を読みながら、この世の中にはたくさんの「存在しない小説」がある、という当たり前の出来事に震撼させられる。いとうせいこうはそんな小説をここに現出させる。もちろんこれは氷山の一角でしかない。この背後には夥しい存在しない小説があり、彼が描きたかったのは、そんな世界中にある様々な人たちの生きる姿で、それを小説と名付けただけだ。そういう意味ではこんなこと、当たり前の話なのだが、存在しない、というか歴史の片隅で消えていく幾つものドラマを特別なことではなく、ただ、あたりまえの事として、こんなにも見事に提示したという事実に感動した。

 6つの短編は、それぞれ全く別の顔を持つ。当たり前の話だ。まるで別人が書いたもののように見える。いとうせいこうの想像力の所産だ。世界の6つの場所。まるで違う境遇の人たちが綴る物語。それは存在するはずもないささやかな物語。それはそれぞれ悲惨なことばかりだ。小説として残したいと思うのはそういうお話ばかりなのかもしれない。楽しいことはわざわざ小説にしなくても、自分の心の中にあって自分を暖かくしてくれる。

 だが、悲惨なことは、誰かが書き留めなくては悔いになる。もちろん、「誰か」とは、基本自分自身だ。人は他人のことなんかには興味ない。でも、時として、あまりの出来事は他人ですら心動かす。

 一番ささやかなお話であるクアラルンプールの少女の話が僕には一番心に染みた。自分のクアラルンプールのチャイナタウンを歩いた時の記憶とシンクロしたからだろうか。ここに描かれる風景は見た記憶がある、気がする。大雨で交通網が遮断され、家に帰れなくなった。バスを降りても、帰る手段はない。見知らぬ町をさまよい、中国人の老人に助けられる。彼の家で雨宿りさせてもらう。そこはムスリムの少女には想像もできないような異世界だ。マレー人とチャイニーズが同じ場所で暮らす国。ほんのすぐそこで見知らぬ世界があるという事実。わかっていたはずなのに、気付かぬふりして暮らしていた。

 6つの都市(村)を舞台にして、そこに生きた人たちのそれぞれの物語が、大きなドラマも小さなドラマもすべてを飲み込んで、世界で同時に今起きている出来事の一端を指し示す。世界は広いという当たり前のことを知る。いろんな場所を旅して思うには、そこにはそこの暮らしがあり、そこではたくさんの人が自分の人生を過ごしているという事実だ。旅人になることで、そんな彼らを客観的に見ることができる。自分がそこにいるのに、そこには自分はいない。まるで透明人間になったような気になるのが、僕にとっては、旅する醍醐味だ。

 この小説を読みながら、自分がなぜ、旅に行きたくなるのかが、改めてわかった気がした。知らない場所で生きている気分を味わいたいのだろう。もうひとつのありえなかった人生をそこに夢見る。

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