アン・タイラー「ノアの羅針盤」

                


 アン・タイラーの最新作「ノアの羅針盤」です。最新作といってもアメリカでの刊行は2006年、翻訳版が刊行されたのは2011年と3年前なのですが最近になって存在を知りました。


 アン・タイラーは外国の現代作家で新作を読んでいる唯一といってよい小説家です。何といっても代表作である「アクシデンタル・ツーリスト」(1985年)で魅了されて(残念ながら今も在庫切れ、文庫化されないままです)、「ブリージング・レッスン」(1988年)、「歳月のはしご」(1995年)など、その「普通さ」「日常に起こるちょっとしたさざ波の積み重ね」の面白さに嵌ってしまいました。


 その後、「あのころ、私たちはおとなだった」(2001年)、「結婚のアマチュア」(2004年)などずっと文春文庫での刊行だったのですが、本作は、おそらく「アクシデンタル・ツーリスト」(早川書房)以来の単行本での出版(河出書房)です。新刊は文春文庫からだと思っていたので、長らく出版に気付きませんでした。


 いつもながらの控えめで抑えたタッチ。ある出来事が次のことを呼び起こして少しずつ波紋が広がっていきます。ドラマチックなラストも用意されておらず、ちょっとしたことがきっかけで非日常的なことが起こるのですが、いつか自らの意思で元の生活に戻っていく。人生における平穏からさざ波、動揺、そしてまた平穏に戻るまでが描かれます。


 今回は老いがテーマの一つ、静かに進んでいくので丁寧に読むことが求められます。淡々とした展開に途中少し不安になりますが、最後は十分に報われます。物語を共感を持って味わう時間。小説を読む醍醐味があります。


 不器用で偏屈なところがあり周囲とうまくコミュニケーションできない初老の男性リーアムと、真面目で可愛さのあるちょっと変人っぽい女性ユーニスが主役なのですが、「アクシデンタル・ツーリスト」でのメイコンとミュリエルを思わせる人物像で、この設定に惹かれるというか、面白く感じて、久しぶりに入れ込んで読めました。


 記憶が少しずつ蘇り、自分が家族を傷付けてきたこと、取り返しのつかない無神経ぶりにようやく気付きます。でも、もう家族との時間は取り戻せない。家族と離れて独りで生きていくしかない。2度の離婚を経て、ユーニスとの新しい人生を選ぶのか・・・。


 途中まではいつも以上に地味な作品の印象でしたが、脇役と思っていた家族が後半ぐっと出てきて、静かだけど深い感銘を覚えました。アン・タイラー、本当にいいです。


 あとがきで翻訳の中野恵津子氏が「アン・タイラーの十六作目の長編『結婚のアマチュア』が刊行されてから、ずいぶん日がたってしまった。その間、熱烈なアン・タイラーのファンから励ましの言葉をかけてもらったが、厳しい出版不況などの事情もあって、なかなか世に送り出すことができないでいたところ、このほどようやく河出書房新社から新作の邦訳を出版できることになった。」と書いています。


 暫く新刊を見なかったのはいろんなご苦労があったのだと思います。我々ファンのささやかな至福のためにも何とか頑張ってもらいたいし、こういう佳作が多く読まれて次に繋がることを期待したいです。




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