Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ポルトガルの旅 (8) ナザレ (Nazare)

2010-11-14 14:33:00 | キャンパーヨーロッパ 2010年



ナザレはアルコバサから西に14kmの海辺の町。
名前の由来は8世紀にこの土地を訪れた僧が携えていたマリア像がイスラエルのナザレからのものだったという。このマリア像が今もノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会に安置されている。
ナザレの町は海岸の下町と崖上の旧市街に別れていて、まずはじめについた海岸線の下町は、日曜日の大きな市場が開いていた。早速行って、野菜、果物、魚などを買い込む。日曜日は漁師もお休みのはずだから、買ったいわしは昨日のものか。1kgが5ユーロもしたから、これは足元を見られたに違いない。


 

市場や町を歩いている年よりはこの土地独特の服装をしており、7枚重ねのミニスカートにエプロンとひざまでのウールのソックス、毛糸の肩掛け、おまけに未亡人はこれが全部黒だというから、なんだか昔に戻ったような。
下町から旧市外の崖上までケーブルカーが上下している。下町の駐車場では保安の確証が出来ないから、キャンパーで長い坂道を登って、うまい具合に駐車場を見つけた。すぐ近くにナザレ教会この建物は17世紀のもので石柱や階段などを近くで見るとずいぶん年代を経ているのが判る。400年も大西洋の風に吹き付けられれば石ももろくなるというもの。
中はこじんまりとした、カラフルな祭壇や小さなパイプオルガンが在った。


 

この近くのミゼリコルディア展望台から見る下の町や大西洋は絶景!!!今日は天気がよいせいもあって、海はどこまでも青く赤い屋根に白壁の家々は、どれだけ写真をとっても飽き足りない。町の南側には丸い堤防に囲まれた港がみえる。昔はこの港がなかったから、砂浜に漁船を引き上げていた古い写真があった。


 


 


この高台の岬には17世紀のサン・ミゲル要塞が在り、現在では灯台が設置されている。


 


旧市街の広場はぐるりとお土産店が店を構え、もうシーズンオフのこんな時期でも、閉まっている店などない。ナッツやお菓子を売っている屋台の女性はこの地区の民族衣装を着ていたので、遠くから望遠でこの写真を写した。

 

広場の近くのジョアキン・マンソ博士民族・考古学博物館は午後2時半開館と在って、それまで昼食を摂って開館を待っていた。中はとっても小さく博士の自宅を博物館として開放したもので、展示物で興味を引いたのは、土地の漁師や女性の服装などユニークなものが多い。



 


 

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ポルトガルの旅 (9) オビドス(Obidos)

2010-11-13 16:18:33 | キャンパーヨーロッパ 2010年



ナザレの南の海岸線のサイトで2泊した後、今日11月30日にはオビドスへやってきた。天候変化の激しい一日だったが、ここオビドスへついた時は青空が広がり、遠くからでもしっかりと目に付く町を取り囲む城壁で期待に胸を膨らませた。
オビドスはローマ時代に敵の侵入を防ぐために砦が築かれ、その後イスラム教徒に征服されたが12世紀ポルトガル初代王アフォンソ・エンリケスによって奪取された。1282年オビドスを訪れた王妃イザベルはこの町に魅了されディニス王が町をプレゼント、それ以来王妃の直轄地となっていた。
中世そのままの狭い石畳の通りで、丘の中腹にあるため坂道と教会の多い小さな街だ。

 


イスラム時代に作られた城門を入ると門の内側の壁にはブルーのアズレージョで覆われている。門は二重構造になっていて片隅におばあさんが洗濯物を干しているのかと思ったら、刺繍したテーブルクロスなどのお土産を売っていたのだった。雨上がりの石畳が美しい。


 

城内は道が2本に別れ左の上の道を行くと、両側の小さな家屋はお土産店やリッカーショップで、素敵な陶器の壁飾りなどが白い壁に展示されている。城の方面が高くなっておりここから見下ろすこの小さな町はすばらしい。


 


15世紀建立の城は現在はポザーダと呼ばれる国営のホテルになっていて、中を見学することは出来ない。このポザーダはポルトガルの古城や修道院などを高級ホテルに改造したもので、45軒のポザーダがポルトガルに点在する。

 


  


サンタマリア教会はサンタマリア広場の一辺を占め教会内部の壁一面がブルーのアズレージョで覆われている。教会内のこのような装飾はここで初めて目にした。




 

下のサン・ペドロ教会はアズレージョ無しの簡素な装飾だが、祭壇が金色のまばゆいもの。


 

城壁の上は歩いて1.5Kmで全周できるそうだが、途中で引き返し、デザインミュージアムを覗いてみた。その前庭の巨大なレモンには驚いた。

 

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ポルトガルの旅 (10) ギンショ(Guincho)

2010-11-12 16:44:21 | キャンパーヨーロッパ 2010年



昨日はオビドスを訪れた後、西へ25Km 大西洋へ突き出した岬の突端ペニシェ(Peniche)で一泊した。ここのキャンプサイトは2星で、一泊8.6ユーロと今までで一番安かった。設備は特に高級ではないがシャワー・トイレも清潔で、レストランの中では只のインターネットがつかえる。
ここも長い城砦に囲まれた古い町だが、午後サイトに落ち着いた後から激しい雨になり、出かける気持ちにはなれなかった。夕方から夜中まで激しい雷とあられが降った。久しぶりに衛星放送でBBCの世界ニュースやNHKニュースが見られ英国ではケント州まで雪が降っているという。

 

今朝12月1日、ようやく雨が上がりサイトを出発して街角の掲示板では気温6度をさしていた。昼近くになると雲もほとんどないような晴天になり、キャンパーの中では暑くてコートを脱ぎ、セーターを脱ぎ、と竹の子みたい。

 

海岸線を南に向かって走っていたが、景勝地には無料の駐車場が在る。高い崖の上から海岸まで上下できる木の階段がつけられていて、この国の観光に対する気構えにはつくづく感じいった。

 



 


ギンショはリスボンから日帰りできる郊外の海岸線で、砂丘ときれいな砂浜が延びている。夏にはリスボンからの海水浴客でいっぱいになるだろう。この砂山の松林にオービトウのキャンプサイトが在り、午後砂丘を下って海岸まで散歩に行った。日中は暖かく、薄いコートでも帰りには暑くて脱いだくらいだから20度以上はあったのだろう。英国の友達や娘が気の毒になった。


 



 

海岸辺に大きな城砦のようなレストラン、ホテルが建っている。玄関前には大きな大砲2門が据えられていて、まるで中世のお城みたい。

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ポルトガルの旅 (11) シントラ(Sintra)その1

2010-11-11 18:06:51 | キャンパーヨーロッパ 2010年




シントラはリスボンから電車で日帰りできる山間の王宮避暑地で、ポルトガルでも指折りの景勝地。前のキャンプサイトで出会ったイギリス人も、すばらしいところだと言っていたし、地球の歩き方にもすばらしいと書いてある。でもどれだけ想像しても本を読んでも、実際自分の足で登りそして時間をかけてみなければ、この感激は誰にもわかってもらえないと思う。
木曜日の朝、天気は上々、キャンプサイトの前からバスに乗って近くの町エストリルのバス停へ行った。そこで10ユーロの一日券を買えば、シントラまでの往復や、シントラ内での観光バスに好きなだけ乗れるという。早速買ってバスで45分のシントラへ向かった。


  

高い山頂にお城が見え、やや低い隣の山頂に城壁が見える。この城壁は、モーロの城砦(Castelo Dos Mouros)(モーロはスペイン、ポルトガル読み。ムーアは英語読み)で7-8世紀にスペイン、ポルトガルに侵略、定住したアラブ系のムーア人は、この山腹に城砦を築き、1147年ポルトガル初代王に落城されるまで,ムーアの文化が花開いた。
バスはシントラの駅前から出発しており、王宮や各地の景勝地で停車し乗り降り自由。大きな観光バスは細い曲がりくねった山道をぐんぐん登ってゆき、城砦への入り口で一時停車する。
城砦は現在廃墟になっているが、城内に精巧な貯水設備を持ち、巨石の上に曲がりくねった城壁はどれほどの労力を費やしたものだろうと感じいった。

  

左下の写真はムーアの城砦よりもっと高いベーナ宮殿から写したもので、次の訪問地のベーナ宮殿は標高529mまでバスで5分、そこから長い坂道を歩いて登る。この宮殿はフェルディナント2世の命によって19世紀半ばに完成したもので、彼のいとこは、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を命じたルートヴィッヒ2世にあたる。そういわれればどちらの城にも共通なムーアの影響を受けたエキゾチックな様相はさもありなんと思わせる。いとこ同士で名城建設を競っていたらしい。

  



 


赤と黄色の塔に正門の壁や城壁は青の模様タイルで覆われ、装飾の美しさは又格別。宮殿内部は写真禁止の為ここに掲載できないが、こじんまりした居間や寝室などもムーアの影響を受けたカラフルな装飾や色タイルが一面でため息が出る。


 



 

又この宮殿から見おろす景色は格別、遠く大西洋が見え,眼下にシントラの町や王宮、レガレイヤ宮殿が森の間に見える。リスボンの町は晴天の下白く輝いている。

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ポルトガルの旅 (12) シントラ(Sintra)その2

2010-11-10 20:00:02 | キャンパーヨーロッパ 2010年

 

14世紀に建設された王宮はかっては王室の夏の離宮だった。歴代の王によって増築改築され、室内装飾は豪華絢爛、16-7世紀のポルトガルが世界に躍進した頃の栄華を反映している。
上の写真では煙突が1本しか見えないがこれはベーナ宮殿から見おろした角度で高さ33メートルの巨大な煙突がよく目につく。

右上はシントラの街角に飾られたのアズレージョで、シントラをよく描いている。このようなお土産なら欲しいと思った。


 

高い2本の煙突を持つ台所、アズレージョで覆われたブレイゾンホール、エキゾチックな中国の間,27羽の白鳥を描いた天井画などスナップホリックと亭主に呼ばれている私には格好の場所。日本人の大団体が通訳につれられぞろぞろ写真はフラシュ無しで可のところもお構いなく、バチバチピカピカやっていた。個人にはうるさい警備の人も団体には甘い。皆見て見ぬ振りをしている。


 



 


たった1日でシントラの観光見所を全部見るのは無理とわかった。王宮近くのレストランで昼食を終わったらもう2時過ぎ、王宮を見終わって3時半過ぎ、郊外へ行くバスを待つ。間違った郊外バスで1時間も無駄にしてしまい、レガレイラ宮殿についたのは、山頂の宮殿に夕日が輝きだした頃だった。あわただしく宮殿の内外をみてまわる。
この宮殿は12世紀に王族の別荘として建てられたが、20世紀前半イタリアの建築家ルイジ・マニーニが購入し改築したもので、二階、三階が設計図の展示やマニーニが手がけた建築物の写真などが飾られている。



 


 

よく手入れのされた庭は大急ぎで通り過ぎたので、後にこの宮殿の案内図を見て驚いた。ここの屋敷だけで一日かかりそうなくらい広いということがわかった。


 

リスボンからシントラまでの列車は10分おきに出ている。一時間に一本のバスを待つ間、駅のすばらしいアズレージョを写し回った。切符売り場の壁を覆うアズレージョと窓口のおじさんはいかにもちぐはぐ。



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ポルトガルの旅 (13) リスボン その1

2010-11-09 18:41:26 | キャンパーヨーロッパ 2010年



12月3日とうとうリスボンのキャンプサイトに着いた。このサイトはモンサント森林公園の一部にあり高速道路のすぐ傍で、このサイトを見つけるまでの苦労は誰にも判って貰えないだろう。カーナビはキャンプサイトを見つけられず、この近くまで連れて行ってくれるが、高速道路の向こうとこちら、同じ地域では役に立たない。

土曜日の朝、サイトの近くのバス乗り場から市内中心部までバス一本で行ける。役45分ほどで、中心地フィゲイラ広場にたどり着いた。さすが首都だけあって見物するものも多く、予定の2日で一体どれほど見られるものか。そこでポルトでも乗ったオープンデッキの黄色の観光バスに2日分のチケット19ユーロを払って乗車。このチケットは2日間の観光バスだけでなく市内を走る黄色の電車とバスにも有効という。観光バスは市内を縦に2分した地域を回る2つのルートからなり、早速西側を回るバスに乗車した。






町はクリスマスのイルミネーションで飾られ、日中は残骸のように垂れ下がっている。この日は一日中重い雲は立ち込め、風は身を切るほど冷たい。オープンデッキではこの寒風から身を守る術がなく、アノラックを通す寒風よけにレインコートもはおり震えながらも写真を取り捲った。右下の写真は、大きな廃屋の壁の落書き(グラフィーテーと呼ぶ)でこれほどの大きな絵になるとまったく芸術だと感心した。




さすがカソリックの国、あちこち教会や修道院が散らばっていて、最近では教会などを美術館や博物館に改修しているところが多い。リスボンは巨大なテージョ河の北岸を占める岡の多い土地で、河には南ポルトガルへ向かう4月25日橋が架かっている。この橋は上は高速道路で下は鉄道になっている。




街角には時間と気温を示す電光掲示板があり、朝11時丘の上では気温2度、丘を降りた5分後には5度だった。皮下脂肪のない亭主には冷気は直接骨までしみこむ様で、おまけに面倒くさいとズボン下を履いてこなかったことをしきりに悔やんでいた。西回り1時間ですっかり冷え切り、一番手じかのデザイン博物館(無料)へ入ってしばらく温まった。ここは一階と三階にドレスのデザインが展示されなかなかすばらしい。残念なことに写真は禁止されカメラはリュックごと預ける羽目になった。二階の道路標示のデザインに、東京の夜の繁華街のネオンサインの大きな写真が展示されていた。そしてまったく外人風に歌っている日本語のポップソングが流れていた。









午後には東側コースを1時間回った。この北東部はエキスポ98が開催された土地で、過去には見捨てられた地域がエイスポによってよみがえった。今現在は国際公園になっている。




一応バスの全行程をこなしぜひ行ってみたいと思ったのが、アズレージョ博物館。又同じ東回りのバスで博物館前でおろしてもらい、2時間近くも堪能した。この博物館は元14世紀の教会を改装して教会内の色タイルならびに国内各地から集められたアズレージョを展示している。内部に光り輝く祭壇が在り、亭主はここが一番気にいったという。この祭壇近く油絵の最後の晩餐を見つけた。このモチーフはミケランジェロばかりではないらしい。
博物館の最上階には1755年に描かれたリスボン全体を描いたパノラマアズレージョがあって、思わず息をのんだ。これは大地震前のリスボンの町並みを描いていて、歴史的にも非常に価値が在るものだという。




ポルトガルには町のあちこちに美味しそうなケーキ屋さんを見かける。入って全部味見してみたいところだが、糖尿初期の亭主には禁忌。おまけに私だってこれらを食べた後の体型を想像するだけで、買い込む勇気がない。今年のサラリーマン川柳の句が目に浮かぶ。 目は一重、あごは二重に,腹は三重 



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ポルトガルの旅 (14) リスボン その2

2010-11-08 17:19:55 | キャンパーヨーロッパ 2010年

土曜日の夜から日曜日の朝まで何度も激しい雨が降り雷が遠近で鳴り響いていた。朝も出かける頃に雨はやみ、なんとなく暖かい気がする。でも昨日のあの寒さを経験すれば、今日はしっかり暖かくしてゆこうと話し合い、二人ともしっかり防寒具に身を固めてバスに乗った。
街角の電光掲示板では10時半17度と記録していて、エー と驚いたのなんの。昨日とはあまりの違い、この厚い防寒具をどうしたものか。

キャンプサイトからのバスは昨日乗った観光バスの西側行程を通るので、ジェロニモス修道院の前で降りてしまった。この巨大な修道院は16世紀に建設された東棟と19世紀に建てられた西棟でこの東棟から入った回廊は今までいろいろ見てきた回廊のうちで一番豪華な造りだ。まだ朝早かったせいもあり、あまり行列を並ばずに入り、日曜日は午後2時まで入場料が只になる。
この修道院はエンリケ航海王子の偉業をたたえ、バスコダ・ガマの航路開拓を記念して建てられたもので、海外からの富を使ったポルトガルの古きよき時代の遺産である。





この回廊のガーゴイルがいろいろな形の鳥で、これもはじめて見た。





この修道院の向かいの川岸には発見のモニュメントがある。このモニュメントは1960年にエンリコ航海王子の500回忌を記念して建てられたものだそう。カラベラ船を手に先頭に立つ王子の後に宣教師や天文学者,地理学者船乗りなどこの時代に活躍した人たちの象徴の像がきさまれている。




ヨットハーバーをベレンの塔へ向かって歩いていたら、かもめが一羽目の前で水中に突っ込み、大きな魚を引き上げた。たぶんシーバスだと思うが、魚も必死に抵抗し、かもめと必殺の戦いをしていた。水からあがった魚は生きる術がなく、かもめに目をやられて彼の昼食になってしまった。
この日はリスボンマラソンが開かれて、多くのランナーが海岸通を走っていた。道路は2車線のうち一車線をマラソン選手に明け渡し、一車線で上下の交通を賄っていたから、この日黄色の観光バスを見かけることがあまりなかった。





べレンの塔はテージョ河の船の出入りを監視するために16世紀に建てられたものでその美しい姿で、テージョ河の貴婦人と呼ばれているそうだ。中に入ってみると、小さな大砲が各窓際に収まっている。高い塔のうえまで上れるが、あまりの観光客で行列が長くて諦めた。
ジェロニモス修道院の向かい辺りの公園では骨董市が開かれていて覗いてみたが、ガラクタばかりが目に付いた。



下のかわいい市電は観光用に海岸道路を走っているが、土曜日の朝、一番先に目に付いた電車の運転者はサンタクロースだった。なんと粋な人たちだろうとリスボンが好きになった。日曜日のお昼には気温も20度になり、着ていたコートやセーターも脱いでリュックに詰め込んだり、手に持ったりで歩き回った。午後には雨が降り出し、通気性のないレインコートを着ていて蒸れること、暑いこと。

黄色の観光バスが来ないので、ローカルのバスで、国立古美術館を訪れた。2時までは入場料は只だったから、ゆっくり見て周ることが出来た。
一階はほとんどが宗教画で私はあまり興味がないが、たくさんの人が見ていた。二階にポルトガルと交流のあった国々の財宝が飾られていて日本の金泥の南蛮人を描いた屏風が四そうも展示されていた。これは桃山時代の最高傑作といわれているそうだ。
私が気に入ったのはここでは只一枚在ったピーター・ブリューゲルの貧者に施しを与えている人々の絵だった。漫画っぽいが、良くぞこれほど精密に人々の生活や表情を描くものだといつも感心する。





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ポルトガルの旅 (15)サグレス(Sagres)

2010-11-07 15:42:32 | キャンパーヨーロッパ 2010年



月曜日の朝、リスボンのキャンプサイトを去って南下した。キャンプサイトの周りは高速道路が渦巻いていて、カーナビ無しでは到底リスボンからの脱出は無理だっただろう。テージョ河にかかる4月25日橋を渡り、高速道路で途中まで行った。高速道路の使用料金は結構高くて、7-80Kmで10ユーロ20セントを支払った。

途中で小さな岬のあるSinesにキャンプサイトを求めていったが、高い上にシーズンオフで何もない。お昼を周ったばかりだったから、最南端のサグレス(Sagres)まで行くことに決めた。

この辺りまで来ると太陽が出ていなくても暑さを感じるようになり、国道の両脇に植えられた街路樹がコルクやオレンジの木だったりで面白い。コルクは幹の皮を剥ぎ取られ集積場に筒状の皮が山積みになっているのが見えた。平野に延々と連なる高圧線の高い鉄塔には1-3つ位のコウノトリの巣が作られて、一羽ずつ巣の上に立ったり座ったりしているのが見える。




翌日キャンプサイトから2kmのサグレスの町へ散歩に行った。夜中降った雨は朝9時ごろにぴたっと止み、急に広がった青空で気温も20度以上、Tシャツで歩いて気持ちのよい日だった。火曜日のお昼ごろなのに通りにほとんど人影もなくひっそりとした町だが、きっとシーズンオフのせいだろう。通りの小さな絵画店の店先にこのきれいな絵が飾られていた。



左下の黄色の花は一番初めに見たのが昨年行ったシシリーのキャンプサイトで、ここポルトガルでも雑草でいたるところに見られる。葉がクローバーに似た3つのハート型からなり長い茎の上に黄色の小花が3-4個つく。好日性で朝夕はつぼんでいる。イギリスはもちろん日本でも見たことがない花だ。




町から岬にかけてまっすぐな道が整備され、岬には立派な要塞が建っている。この要塞はポルトガルの海外への躍進時代、エンリケ航海王子がここに航海学校を開き、天文学者、数学者、地理学者たちが航海術の研究を行った場所だという。立派な要塞の中はほとんど見るものがないくらい広く、小さな教会や石造りの建物が数軒在るのみ。この要塞は16世紀に建立されたが、1755年の大地震で破壊され後に再建された。



要塞からの帰り道に面白い花を見かけた。この長い茎は天辺まで小さな緑色のつぼみで、黄色の花がびっしりと上方に向かって咲いてゆく。黄色の花粉のおしべばかりが目立つ変わった花だった。



水曜日の今日、キャンプサイトを去る前にサン・ヴィンセンテ岬へ寄ってみた。ここはユーラシア大陸の最果て、中世の頃地球は平らと言われていた時は世界の最果てといわれていたのだろう。若い頃船乗りだった亭主は、アフリカや南米からヨーロッパへ帰ってくると一番最初に見えるヨーロッパの地がこの岬だという。石塀に囲まれた灯台が建っている。
この海抜20メーターは在ろうと思われる崖の上で魚釣りをしているたくさんの人たち、どれほど長い糸が要るだろうか?









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ポルトガルの旅 (16) ルズ(Luz)

2010-11-06 14:52:20 | キャンパーヨーロッパ 2010年



サグレスから東に25Kmの海岸線は有名なラゴズ(Lagos)の港町がある。その手前のホリデータウン・ルズのキャンプサイトに落ち着いた。昨日は一日何度も激しいにわか雨がやってきて、歩き回れる天気でなかった。
昨日の天気予報ではアフリカから高気圧が張り出し、ポルトガルとスペインの南は暑くなると言っていた。今朝8時まで風雨は荒れ狂い、9時ごろから晴れてきて嵐の過ぎた気持ちのよい日になった。



キャンプサイトから2km離れた海岸線のルズの町へ散歩に行った。雲ひとつない青空で、風が相当強いが、風が止むと暑くて日向を歩けない。町の入り口にチャリティショップを見つけて,”おやっ!こんなところにも”と思い入ってみた。なんと中では英国人のおばあさんたちがボランティアで働いている。きっとこの地に家を買って移り住んでいる人たちで、暇をもてあましているに違いない。4人でおしゃべりに花を咲かせていた。



このホリデータウンは冬期も結構活気が在り、スーパーマーケットが2軒相当の人数が買い物をしていた。そしてここでもいたるところで英語が聞こえてきた。夏には今の人数の何倍にも膨れ上がったホリデー客で、にぎやかになるのだろう。 
 



きれいな教会はウイークエンドしか開かないのだろう。クリスマスにはミサをあげるらしい。お店の窓の宣伝にはミンスパイとワインの夕べを行うと英語で書かれていた。南国ではほとんど一年中咲いているブーゲンビリアがあちこち色とりどりの花を咲かせていた。




クリスマス時期に花屋の店先を飾るポインセチアは3メートルほどの高さで赤い葉を揺らしている。今日のこの暑さでは手洗いして干した洗濯物がからからに乾いた。




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ポルトガルの旅 (17) ラーゴス(Lagos)

2010-11-05 17:10:06 | キャンパーヨーロッパ 2010年



キャンプサイトがラーゴスの町の城砦から200m位のところに在った。このサイトは8年前のキャンプ場ガイドにも、トイレ・シャワーなどの設備に改善すべきと書いてあったそのままで、午後に町を歩き回って一晩だけでよいと思ったサイトだった。
地球の歩き方によれば、この土地は紀元前300年には大西洋、地中海との交易で栄え文化の担い手がイスラム教徒に移った後も、ヨーロッパとアフリカの接点として栄えた。今では国際的リゾート地として成長している。
旧市街は立派な城砦に取り囲まれた狭い通りと教会が2軒、海岸通には椰子の木が並びここがヨーロッパとは思えない。
海辺にどっしりと立つバンディラ要塞は午後2時から開館とあって、周囲を歩き回って時間をつぶした。高台から見える海岸線は波が荒く、カイトサーフィンをしている3人のカラフルなカイトが風に舞っている。

 

このラーゴスは15世紀に活躍したエンリケ航海王子がこの地を君臨し、死後はサンタ・マリア教会に埋葬されていたこともあり、バンディラ要塞の中は歴史的記述や写真、絵などで満載だった。右下の絵は国立古美術館の三階にある、美術館が誇る作品のひとつで、聖ヴィンセンテの衝立と呼ばれる。聖ヴィンセンテはポルトガルの守護聖人であり、15世紀当時の宮廷王族が全部居並んでいる。エンリケ航海王子もその中の一人。

 

要塞の中心はとっても小さなサンタ・マリア像の飾られた教会(というより祈りの場)で内部全部がブルーのアズレジョで覆われている。この城砦の上は4隅の小さな塔以外は建造物がないので替わりにこの凝った風車が5台も飾られていた。
右下の写真はサグレス要塞の上空写真で、ここがエンリケ航海王子が航海術を極める学校を開いたところの縁の地である。



 


 


旧市街のレププリカ広場にはエンリケ航海王子の像が海を見つめて立っている。これは1960年に没後500年を記念して建てられたもの。団体客がこの像の下で、長い間案内人の説明を聞いていた。



 

このレププリカ広場の一角には旧奴隷市場が在る。この小さな建物で15世紀ヨーロッパ最初の奴隷市が開かれた。今現在は当時の交易でこの土地に紹介された珍しい食べ物として、赤唐辛子、ココナッツ、種々の木の実、それにサトイモがてんじされていた。サトイモが15世紀からこの地で食されていたのを初めて知った。


 

左下のサンタ・マリア教会のエンリケ航海王の遺体はその後バターリアへ移されてしまった。教会内はシンプルで派手な装飾が見られない。それとはまったく反対がラーゴス博物館内のサント・アントニオ教会で、あまりの派手さにあっけにとられた。この博物館ならびに教会は写真禁止だったからここに掲載できない。


 


  

町は旧市街の狭い通りのほとんどがお土産屋で海岸通の開けた所に魚市場が在った。翌朝この町を去るときにこの魚市場で,鰯やイカ、カワハギなどうれしくなっていろいろ買ってしまった。何しろ魚の鮮度が違う。






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ポルトガルの旅 (18) アルヴォー(Alvor)

2010-11-04 11:54:22 | キャンパーヨーロッパ 2010年



ラーゴスから30Kmほどスペインよりのキャンプサイトを見つけた。このサイトにはインターネットがなく、このブログも書けなかったが料金が一泊18ユーロ(これでもアイルランドよりは安い)、3日以上になると25%引きになる。一週間以上だと半額になるがあまり長い間インターネットから離れたくない。結局3泊することにした。
ポルトガルの南はアルガーヴエ州でこの州は冬も気温が高く、いたるところに実るオレンジやレモンの畑、椰子の並木でどこの町でもヨーロッパからのホリディ客のためのホテルやレストランが多い。真っ白のアパートやヴィラが林立しているけれども住民は少ないようだ。
アルヴォーの町まで歩いて1km、長い砂浜としっかりした堤防に囲まれた小さな港が在る。この港はまったく漁船用で、ラーゴスのようなヨットハーバーを持たない。この辺りはイセエビの産地らしく港には海老を取る籠がいたるところに積み上げられていた。




町の通りにはお土産店やワイン、ポートショップが多く、アイルランドのバーが一軒在った。小さな街角の広場に昼間から酔っ払っているアイルランドのおじいさんが3人大声で話している。ラーゴスの金物店で見つけた小さなコンロに炭で火を起こし、魚市場で買ったいわしの炭焼き。これはここへ来るまでの夢だった。新鮮な鰯や鯵はこのような海辺じゃないと楽しめない。



晴天のお昼、パンを買おうと出かけ、途中から気が変わって郊外へ散歩に出かけた。小粒のオリーブがびっしりなっている見捨てられた大木や、黄色の花の咲き乱れる野原を歩き回り、テントで屋根を築いたような立派な農家を見つけた。前庭には手入れされたオレンジの木々がきれいに並び、垣根の周囲は色とりどりのブーゲンビリヤ、大きな番犬が2頭見張りをしている。右上の写真はその近くで見つけたプードルで一匹は泥水の中で遊んだらしく、汚れに汚れ決して近寄って欲しくない有様。兄弟のようなよく似たのが来るのを待って2匹で私の後をつけてきた。



町のあちこちに見られるゴミ箱、ここポルトガルでもリサイクルが盛んになってきたらしく、ゴミ箱もいろいろな種類分けになっている。サイトからずいぶん離れたアルヴォーの町外れに着き、町を通って帰る途中、見かけたイギリス人の一団はパントマイムにでも出演するのかにぎやかに通り過ぎた。カメラを向けると,”オイ、撮影の時間だ”と叫んで立ち止まりポーズ。おかしい人たちだった。




キャンプサイトはこじんまりしていて、英国キャンパーが数台、オランダ人夫妻が隣人だった。一組の英国人夫妻は明日から一ヶ月マデイラ島へホリディに行くという。キャラバンをどこかに預けて、ランドローバーをフェリーで運ぶそうだ。フェリーポートがフェロー辺りに在るらしい。

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ポルトガルの旅 (19) クェイテイラ(Quaiteira)

2010-11-03 15:20:19 | キャンパーヨーロッパ 2010年



アルヴォーのサイトを出てメイン道路を東に向かうと道端の工業地帯の一角に大型店の集団が在る。ポルトガルでは経験した中で一番大きなコンチネンタルというスーパーでショッピング。野菜果物も豊富だけれど英国と比べて特に安いとは思わない。ポルトガルでは豚肉が一番食されているらしく、そのバラエティも大きい。なんといっても魚介類の豊富なこと、魚の色からして、英国の魚屋さんではなかなか目につかない。マッスル1Kgが1ユーロちょっと。刺身用に大きな黒鯛1匹が3ユーロだった。魚を買うと何も言わなくてもうろこを取ったりひれやとげを切り内臓をきれいに取ってくれるサーヴィスはあまり英国では望めない。


 

アルブフェーラの手前で、6年前に気に入って2週間も泊まったキャンプサイトへ行ってみた。でもここにはWiFiがなくて、これからお正月まで誰とも連絡を取らないで住むのは辛いから、アルヴォーから60Kmほど離れたクオーテイラを目指した。6年前に何度か渡った橋を思い出し、道端のあちこちで売っているオレンジを見て ”又ここへやってきた ”との思いを強くした。オレンジは 5Kg で1ユーロから2.5ユーロと値段の幅が見られ、結局どこでも買わずに通り過ぎた。

 


クオテイラのキャンプサイトは町の中心からあるいて1kmくらいの大変大きなサイトで、只のYiFiがキャンパーから500メーターくらい離れたサイト内のレストランに在った。北ヨーロッパからのキャンパーやキャラバンが集結している。ほとんどがここで越冬するつもりらしい。
町の大通りは海岸と平行して走っており、真っ白の高層建築の並ぶ大通りの街路樹は夏には花盛りになるらしいジャカランダの木が冬枯れしている。


 

ブルーのアズレジョの飾られたバス停、道端のカフェーで語らう人たちもポルトガルの気候を見れば不思議でない軽装。晴天で風は冷たいけれど、戸外でイスに座ってコーヒーを楽しむことなど今日の英国の天気ではとっても無理。ちなみにポルトガルのコーヒーといえば、おままごとのような小さなカップにめちゃめちゃに苦い真っ黒のもので、一度で懲りて決して飲まないことにしている。

 


家々の外壁がタイルで飾られたものはやはり古い通りに多く、新築の住宅は真っ白の高層になってしまうようだ。この様な外壁タイルもここポルトガルならこそで、これが冬は凍結する英国や、北ヨーロッパなら一冬で、タイルはぼろぼろに崩れてしまうこと確実。


 


 

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ポルトガルの旅 (20) クェイテイラ・キャンプサイト

2010-11-02 15:17:35 | キャンパーヨーロッパ 2010年



クェイテイラのキャンプサイトへ来てもう1週間も経ってしまった。毎日がのんびり過ぎてゆくが、別段退屈している暇がない。このサイトは夏季ではポルトガルの一般個人キャンプサイトよりも高く、シーズンオフのこの時期でもよそより高いには違いない。というのはよそのサイトでは長期逗留になればなるほどサイトの値段が下がってゆく。しかしこのオービチュアー系列会社運営のサイトはそれがない。しかし今現在はシーズンオフ料金プラスキャンパー20%引き、そして65歳以上に割引制度ありで11ポンドに満たない料金を払っている。
ポルトガル中に10数箇所あるオービチュアキャンプサイトの中でも、ここは今までに泊まったうちでは最大のサイトで、奥行き幅とも500メータ以上ある。はじめに着いた日に友達にメールで、インターネットの通じるサイト内のレストランまで500メータほど歩かねばと書き送ったが、毎日通ってみればそれほど遠くないのが判ってきた。たぶん300メータくらいだろう。
それでもキャンパーの中からメールが送れたカミンハのオービチュア、サイトとは違いずいぶん不便だが只だから文句は言えない。

 

広大な敷地に今の時期でも越冬組みのキャンパーやキャラバンがずいぶんたくさん停まっている。英国車が一番多く、ほかにはドイツ、オランダ、フランスのキャンパーがおおい。キャンプサイトの中にもあちこちにオレンジが実っているが、これらは食用に栽培されたものではないらしく実も小さい上,酸っぱくてとっても食べられたものではない。
後数日でクリスマス、ヨーロッパの各地は11月から通りのデコレーションを始めるがこのサイトでも、各自のキャンパーの回りに豆電球を取り付けたり、サンタクロースを下げたり、このような雪だるまを飾ったりして、夜はあちこちチカチカ瞬いている明かりが美しい。

 

下2枚の写真は2台とも英国から来たキャンパーで大型バスほどのサイズ10メータは在るだろう。おまけに駐車しているときは車の中央部分を横に張り出して居間やベッドルームを広く住みやすい環境にすることが出来る。こんな豪華なキャンパーから見ると私たちのキャンパーの小さいこと・・・・ため息。


 

キャンプサイトの中には熱いお湯がふんだんに出るシャワーとトイレ、皿洗い場、洗濯場の設備がある。そしてここオービチュアのサイトではこんな施設が5箇所もある。又バンガローや備え付けテントが並んでいて、夏季は車で来ればホテルより安くレンタルできるであろう。

 


後4日でクリスマスの火曜日は、暖かく気温も20度を越え、サイトから近くの海辺へ散歩に行った。凍結状態の英国を思うと気の毒で申し訳ないような気持ちになるが、半そでで海風にあおられても気持ちのよい日だった。周囲に立ち並ぶホリディフラットは真っ白に輝き、野原には例の黄色の花が咲き乱れている。

 



 


下の巨大な黄色の花はキャンプサイトの玄関口にあり、花の名前を知らぬ我が亭主 ”オー、サンフラワーか。”ばーか、黄色の花が全部ひまわりであるはずがないでしょ!!。


 





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ポルトガルの旅 (21)市場と落書き

2010-11-01 12:52:33 | キャンパーヨーロッパ 2010年





毎週水曜日の朝、町の中心の広場では青空市が開かれる。一週間前にここを通ったときは午後2時ごろ、ほとんどが閉まっていた。だから水曜日の朝は朝食後すぐにカメラと買い物袋を持って出かけた。この市場は土地の住民の食卓をうるわす為のもので、観光客用でないから、お土産品などは一切売っていない。メインはこの辺りで栽培した野菜で、ほとんど英国のスーパーで買えるものと変わらない。変わったものといえばこの土地の名産のアーモンドと乾燥いちぢく、両方ともこの土地のお菓子やデザートに使われる。





ポルトガルやスペインでは鱈は獲れないが、この国のナショナルディッシュといってよいほど、塩鱈が食される。スーパーでも小売店でもこの塩鱈の売り場は大きい、ここのマーケットでも数軒の塩鱈を売る屋台が出ていた。この塩鱈と豆類を煮込んだ料理がメインディシュで、乾燥豆の種類も多く、これも数軒屋台を開いている。





ソーセージやチーズの屋台も3軒在った。生ハムの塊を買ってきたが、これが塩辛くて、高血圧の亭主にはとっても無理、オリーヴの漬物店では味見をさせてくれたから、塩分の一番少ない黒オリーヴを買ってきた。








お菓子屋でこの珍しい樽様のものは何だと聞いたら中にアーモンドと蜂蜜が入っているという。一番小さなもので3ユーロ、かえって期待して切ってみたらやや固めのスポンジケーキだった。だがあまり甘くないのがいい。





翌日町の西側の探索に出かけた。相当大きな町で中心地から西は高層アパートから住宅地が広がり、まだ新しい立派な屋内プールやフットボールスタジアム、陸上トラック、スケートボードトラックなどが整然と並んでいてそれを取り巻く塀がグラフィーティ(落書き)でいっぱい。でもこれらのグラフィティを見た限りでは只の落書きではなくて芸術的なものが多く、落書き専門芸術家が描いたのではなかろうかと思った。





帰りに狭い路地に迷い込み、出た広場の教会の上にすばらしいコウノトリを見つけた。こんなに真近に写真が写せたのは初めて、興奮して撮ってるものだから、土地のおじさんがニコニコして通り過ぎた。



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