りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

大学生。

2012-08-11 | Weblog
昨夜も、国会周辺で反原発デモが行われたようだ。

毎週金曜日に行われるこのデモは、週を重ねるごとに
参加する人数が倍々ゲームで増えているという。
中には幼い子どもを連れた家族での参加も少なくないらしい。

今日、テレビニュースでその模様を視た。

国会前でシュプレヒコールを連呼する群衆の様子を前に報道記者が
状況を伝えていたが、その様子は、まるでボクが生まれる前に起こった、
第一次安保闘争のように見えた。

現場から報道が終わった後、コメンテーターとしてスタジオにいた
某大学教授が興味深いことを言っていた。
今回のデモと50年前の第一次安保闘争には、明らかに違う点があるという。
それは、参加者の中で、大学生の数が著しく少ないことだという。
しかしそれにも理由があって、しかもその理由は、たったひとつだけだとも。

「要するに、安保の頃は日本はまだ発展途上国だったんです。大学生が唯一の
エリートだったんですよ」

淡々と語った大学教授の言葉に、ボクは唸った。
なるほど、そういうことか。

昔は、今のように誰もが同じ情報を同じ時に同じ量だけ受け取れる状況ではなかった。
いわば情報や知識や世界といったものは、一部の階級の人間だけのものだったのだ。
それが、大学生だった。
だから当時の大学生は、(それが稚拙かどうかは、この際別として)憂国の想いに
掻き立てられて行動に移したのだろう。

では、今の大学生はどうか?
極端なことを言えば、今の大学生というのは、この国で最も浮世離れした階級の人間
ではないだろうか。
ボクは、そう思う。

ボクが当事者、つまり大学生だった頃も、すでに大学生は浮世離れした存在だったような
気がする。
ただでさえも豊かな時代に生まれ育った上、しかも、時代はバブルのど真ん中だった。
当たり前だが、そんな時代に学生運動なんてしているヤツはいなかったし、キャンパスの
中にもそんなグループは存在しなかった。貧しさなど、無縁の生活だったのだから。

もちろん、すべての大学生が浮世離れしていたとは思っていない。
中には、平成になって間もない世の中で、真摯に時代や社会と対峙していた連中もいた。
大学は違うが、同じ街にあった別の大学のキャンパスに行った時、「米軍岩国基地粉砕!」
と手書きの文字で書かれた大きな看板を目にしたこともあった。
だから今の時代にも、スタンスやイデオロギーは違えど、時代や社会と真摯に向き合っている
大学生はそれなりにいるはずだ。
ボクは、そう信じたい。

その後、テレビニュースは、どこかの花火大会の模様を流してた。
大学生のカップルにインタビューしていた。
記者が「原発についてどう思うか?」と尋ねたところ、その大学生は何がおかしいのかヘラヘラと
笑いながら、こう答えていた。
「オレ、再稼働した方がいいと思うんスよねぇ~、だって電気代上がったら、ヤバいじゃないスか」
コメント (5)
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