りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

鞆の浦。

2012-11-25 | Weblog
今日は午後から家族で福山市鞆の浦へ行って来た。

世間では3連休で、ボクもしっかりそうだったのだが、妻はこの3日間
ずっと仕事だった。
今日は妻の仕事が午前中だけだったし、天気もよく、せっかくの休み
なのに子どもたちも悪いので、遠出はできないけど、ドライブがてら
となり町まで出かけた・・・というわけだ。

3連休の最終日だからか、古い街並みの中を散策するカップルや家族
連れの観光客が多かった。
最近、歴史関係の本にやけにのめり込んでいる息子は嬉々として路地裏
や寺社の境内を走り回っていたし、期末試験の勉強で、連休中も自分の
部屋に閉じこもっていた娘も、少しは気分転換ができたように見えた。

妻も、明るかった。
最近の彼女は傍から見ていても、明らかに疲れていた。
理由を訊いてみると、仕事自体には少しずつ慣れてきたそうなのだが、
それとは別に、やはり“職場”というところには、色々と厄介な事柄が
あるようだ。

20年間ずっと“職場”というところで働いてきたボクからすれば、
(妻には決して言ってないけど)些細なことに思えたり、受け流す術が
見当たるような事柄に感じる。
しかし、専業主婦から10数年ぶりの社会復帰したばかりの当事者の妻にとっては、
本当にどうすればいいのか全く分からない事柄なのだと思う。
この1ヶ月ほどは、妻がそれにとても苦心しているのが、ボクも痛いほど
感じていた。

冬が終われば、春が来る。
夜が終われば、朝が来る。
どんな辛い事も、いつかは終わる。
ボクらくらいの年齢になれば、それはおぼろげに分かりはじめる。
しかしその一方で、その当事者となれば、何歳になってもそんなに冷静に
理解できないのも事実なわけで。

とりあえず、今の自分にできることは、彼女の話を聞いてあげることぐらいだ。
それでも、そこから何かが変わったり、乗り越えていけるヒントが見つかれば
・・・それに越したことはない。
どんなに辛い事でも、時間が経てば笑って話せる。
・・・そういうことも、ボクらくらいの年齢になれば、よく知っているのだから。

山手の寺社や城跡を散策した後、迷路のような路地を抜けると、港に出た。
晩秋の鞆の浦は日差しも優しく波も穏やかで、雁木に座っていると、なぜか
心が軽くなってゆくような気がした。
コメント (4)
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