38.阪急京都線-長岡天神と緊急取材の西向日
大阪梅田で13:40発の特急に乗り込み、
ここから帰りの新幹線の時間まで京都本線の駅取材をする。
既に乗り潰しは完了しているので、
あとは帰りの新幹線の時間まで駅取材して時間を潰すことでもある。
予定では、
12:40大阪梅田※-阪急京都本線・特急・京都河原町行(31)-13:11長岡天神[27]
13:38長岡天神-阪急京都本線・準急・大阪梅田行(4)-13:42大山崎[39]
※JR京都線山崎駅
14:21大山崎-阪急京都本線・京都河原町行(10)-14:31洛西口[30]
15:01洛西口-阪急京都本線・京都河原町行(2)-15:03-08桂[9]
15:12桂※-阪急嵐山線・嵐山行(5)-15:17松尾大社[18]
15:35松尾大社-阪急嵐山線・嵐山行(2)-15:37嵐山[37]
16:14嵐山-阪急嵐山線・桂行(8)-16:22桂[6]
16:28桂-阪急京都本線・京都河原町行(10)-16:38烏丸[56]
※夕食/京都かつりき 11:00~22:00(L.O.21:30)
17:34四条-京都市営烏丸線・国際会館行(4)-17:38京都[35]
18:11-13京都-東海道新幹線「のぞみ244号」(131/2:11)-20:24東京
となっているが、時間が来たらそこで撤収すればいい。
まずは予定通り、長岡天神に行く。
長岡天神駅は島式2面4線の地上ホームを有する京都本線の駅である。
1番線は上り京都河原町方面待避線、2番線は上り主本線、
3番線は下り大阪梅田方面主本線、4番線は下り待避線となっている。
画像は西口で橋上駅舎化されている。
阪急電鉄京都本線は新京阪鉄道が敷設した路線である。
京阪電気鉄道が淀川西岸に新線を敷設することを目的に、
1922年6月28日に新京阪鉄道が設立された。
翌年、十三から淡路を経由して千里山の区間を敷設していた、
北大阪電気鉄道を買収して同社が所有していた免許で、
1925年10月15日に淡路から天神橋(現・天神橋筋六丁目)までを敷設、
1928年1月16日には淡路から高槻町(現・高槻市)まで延伸、
同年11月1日には高槻町(現・高槻市)から京都西院(仮駅)までが延伸、
同年11月9日には桂から嵐山の現・嵐山線が開業した。
西京極から地下区間を走行することになり、
新京阪鉄道は1930年9月15日に京阪電気鉄道に合併、
翌年、1931年3月31日に西院から京阪京都(現・大宮)まで延伸した。
京阪電気鉄道は戦時中の1943年10月1日に、
阪神急行電鉄と合併、京阪神急行電鉄となる。
戦後の1949年12月1日に京阪神急行から京阪電気鉄道が再び独立するが、
京阪神急行電鉄新京阪線は阪急に残され、阪急電鉄の京都本線となる。
駅名は西に徒歩約10分の距離にある長岡天満宮に由来する。
桓武天皇が784年に平城京から遷都した長岡京の西南の外れに位置する。
この付近は菅原道真の所領があったとされ、
太宰府に左遷された時に付き添った菅原氏一族の中小路宗則が、
帰り際に託された道真自作の木像と念持仏を祀ったのが始まりとされている。
このあと予定にはなかったが、上りに乗り隣の西向日に行く。
西向日駅は相対式2面2線の地上ホームを有する京都本線の駅である。
1番線は上り京都河原町方面、2番線は下り大阪梅田方面が使用する。
画像は西口で、東口にも独立した駅舎があり、地下通路で繋がっている。
かつては構内踏切を使用していたが、地下通路を建設した時に長岡京の遺稿が見つかった。
ここに駅が出来たのは1928年11月1日に、
高槻町(現・高槻市)から京都西院(仮駅)までが延伸した時、
同時に“西向日町”の駅名で開業した。
1972年10月1日に向日町の市制施行により駅名も“西向日”に変更された。
新京阪鉄道は西向日分岐して伏見、山科方面の免許を有していて、
親会社京阪電気鉄道が山科から大津市馬場に至るまでの特許を有していた。
京阪ではさらにそこから名古屋までの名古屋急行電鉄の構想を持っていたが、
1929年の世界恐慌で京阪の経営が危うくなったことからこの構想は頓挫した。
ここから予定していながら飛ばした大山崎に向かう。