39.大山崎の彷徨と洛西口取材
予定になかった西向日で駅取材しとてから、
もともと長岡天神のあとに予定していた大山崎に行く。
大山崎駅は相対式2面2線の高架ホームを有する京都本線の駅である。
1番線は上り京都河原町方面、2番線は下り大阪梅田方面が使用する。
阪急電鉄京都本線は新京阪鉄道が敷設した路線である。
京阪電気鉄道が淀川西岸に新線を敷設することを目的に、
1922年6月28日に新京阪鉄道に設立が、
1928年11月1日に高槻町(現・高槻市)から、
京都西院(仮駅)までが延伸した時に同時に開業した。
1964年10月開業の東海道新幹線の建設時に、
この付近の地盤沈下が心配され、
その解決策として阪急も高架化することが決定、
高架化に当たって完成した東海道本線の線路を使用して運行し、
その間に路線の高架化工事が行われた。
期間は1963年4月24日~同年12月29日で、
東海道新幹線開業前に阪急京都線の車両が、
一部区間を走って営業運転していたのだ。
そのため地上駅舎も仮設のものが設置されていた。
ここで駅取材してJR京都線山崎駅も駅取材しようとして、
駅周辺を散策してみたが、
事前に生き方を調べて地図を持参しなかったため、
どうしても行き方が分からず断念した。
そのためただでさえ時間が遅れているのに、
更に時間をロスしてしまった。
このあと予定通り、洛西口に行くことにする。
大山崎で電車を待っていると「京とれいん」が通過していった。
「京とれいん」は阪急京都本線で運行されている観光列車で、
種車は6300系6354編成である。
洛西口駅は相対式2面2線の高架ホームを有する京都本線の駅である。
1番線は上り京都河原町方面、2番線は下り大阪梅田方面が使用する。
阪急電鉄京都本線は新京阪鉄道が敷設した路線である。
この地点に最初に駅が出来たのは1946年2月1日で、
“物集女”の駅名で開業した。
戦時中にこの付近の農地に軍需工場が建設され、
その最寄り駅として計画されたが、
開業に漕ぎつけた時は既に終戦を迎えていた。
そのため1948年3月1日には物集女駅は廃止された。
因みに駅名の“物集女”は“もずめ”と読み、
この付近の集落の名に由来する。
戦後の発展で農地が住宅地に転換され、開発に伴って再び駅が必要となり、
2003年3月16日に洛西口が開業した。
開業時は地上ホームだったが、
のちにこの付近の高架化工事が決定しており、
駅舎は簡素なもので上下線を繋ぐ通路もなく、駅舎は独立していた。
2008年より高架化工事が開始され、
2010年9月11日に下り線、12月11日に上り線が高架化された。
2013年10月26日に上りホームが使用開始、
2016年3月5日に下りホームが使用開始された。
京都本線の駅取材はここで終了、このあと桂に行き、
最後の駅取材予定の松尾大社を目指す。