16.岡谷の朝食綺譚と飯田線の旅の開始
特急「あずさ3号」は10:05に岡谷に到着する。
駅構内に駅蕎麦があればそこで朝食を喰おうと思っていたが、
残念ながら駅蕎麦店はなかった。
乗り換え時間は37分で、駅の外に出て先ずは駅舎取材する。
JR岡谷駅は単式1面1線と島式1面2面に加え、
単式ホームの辰野方を切り欠いた計2面4線の、
地上ホームを有する中央本線(中央東線)の駅である。
駅舎に隣接しいる単式ホームは1番線に付番、中央本線上りが使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番、中央本線下りが使用する。
単式ホームを切り欠いた飯田線専用のホームは0番線に付番されている。
一部の飯田線は2番線、3番線を使用することがある。
単式ホームと島式ホームは地下通路で結ばれている。
中央本線(中央東線)は甲武鉄道が、
1889年4月11日に新宿から立川の区間を開業させたのが始まりで、
同年8月11日には立川から八王子の区間が延伸開業した。
その後、1894年10月19日には牛込(現・廃止)まで延伸、
翌年には飯田町まで延伸した。
飯田町は現在の飯田橋とは異なる。
1904年12月31日には御茶ノ水まで延伸した。
1906年3月31日公布の鉄道国有法により、甲武鉄道は国有化された。
その一方で八王子より先は官設鉄道として建設された。
1901年8月1日には八王子から上野原までが開業し、
1903年6月11日には甲府までの延伸、
1905年11月25日には富士見から岡谷まで延伸、
その時終着駅として開業した。
更に官設鉄道は延伸を進め、1906年6月11日には塩尻までの延伸を完了する。
また1908年4月19日には御茶ノ水から更に昌平橋(現・廃止)まで延伸し、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称設定で中央東線となった。
1911年には中央西線を編入する形で中央本線となる。
1912年4月1日には万世橋が開業して昌平橋は廃止、
1919年1月25日に東京駅に乗り入れとなった。
こうして中央東線は現在の形で全通するのだが、
この時は塩尻峠を迂回するため、岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートであった。
現在の辰野支線が本線としての正式ルートだったのである。
現在のみどり湖を経由する新ルートになったのは1983年6月21日からで、
この時に岡谷から辰野に至り、塩尻に行くルートは辰野支線に格下げになった。
現在では辰野から飯田線が岡谷まで直通している。
駅前には「ララ岡谷」という複合商業施設がある。
駅取材後にここに行ってみるが、朝食を喰えるような場所は無かった。
と云うか、入居するテナント27施設のうち、
現在残っているテナントは5件だけである。
第1案で夕食に予定していた「レストランよしの」も移転していた。
駅前施設でここまでのシャッター商店街になっているのは逆に珍しい。
仕方がないので、NewDaysでミックスサンド260円と天然水108円を購入、ベンチで喰う。
腹を満たして再入場し、0番線に行く。