飽食の日本にあって、いまや学校給食のありがたみが薄くなってしまった。
好きなものを好きなだけ食べる習慣を持った現代人には、栄養バランス重視の食事は、嫌いなものが入っていて、我慢がならない。
しかも、食に対する切迫感がないために、一食くらい抜いても困ることがない。
だから、残菜が大量に出る。
ときどき聞こえてくるのが、「味付けがよくないから」とか「メニューが地味で食欲をそそられない」などの声だ。
塩分・油分の一日あたりの摂取量を考え、幅広い年齢に合うような調味となると、味がぬるめになる場合があっても仕方がないのでは。
見た目が地味なメニューこそ、栄養素のバランスが取れる場合が往々にしてあるだろう。
もちろん美味しく楽しんで食べることは、とても大切なことだ。
そうすることで、消化吸収もよくなる。
もしかしたら、給食を美味しく食べられない原因に、偏った食生活による味蕾の未発達でキャッチできない味があること、正しく空腹を感じられないこと、食わず嫌いなどの先入観があること、などがあるのではないか。
何より、食べられることのありがたみを分かっていないことが。
また、給食は、大勢の仲間と一緒に食事が出来る機会だ。
家庭での家族の生活時間帯の一致が、困難な現代社会。
各自ばらばらに食事をし、仕事や学校へと出かけていく。
一日のうちで、家族全員が食事する機会が一回でも持てる家庭が、どれほどあるだろう。
もっと範囲を広げて、何人かの親しい人と一緒に食事をする機会を毎日持てる人が、どのくらいいるだろう。
子供達に、給食だけしか人と共に食事を出来る機会をもてない子が、どのくらいの割合で存在するのだろう。
親もそうだが、子供達も親に負けず劣らず分刻みのスケジュールをこなしているときがある。
誰かと楽しく食事を共にするなんて、できないのかもしれない。
悲しいことだ。
食べなくては、その命を永らえることが出来ないのに、食べることを楽しみ感謝できないでいるのは、不幸で恥ずべきこと。
まずは、子の庇護者である親と食事をするのが基本。
そこで、愛情と、食べる楽しさ大切さを学ぶのだ。
それから、仲間と一緒に食事をし、それぞれの差を環境の違いを食を通して知っていく。
かくして、人生の基礎を学ぶだろう。
給食の歴史には、政治的思惑も多く絡んでいるが、何より子供達が健やかに育つ為のバランスの取れた食事を得られたことが、一番の功といえよう。
発展途上国において、毎日食べることにも事欠く状況下、給食が子供達の命を繫ぎとめている。
経済的先進国でも、発展過渡期を過ぎ、貧富の格差が開き始めた今、給食が低所得者層の子供達の発育を担っているケースが出てきた。
子供は、人類の未来。
健やかに子供達が生きていけるように、給食制度はセーフネットとして存続させて欲しい。
蛇足だが、しかるべき教育の権利と機会も与えるべきである。
人類が、宇宙の営みの中での失敗作とフォローの余地なく断罪されることがないように。
好きなものを好きなだけ食べる習慣を持った現代人には、栄養バランス重視の食事は、嫌いなものが入っていて、我慢がならない。
しかも、食に対する切迫感がないために、一食くらい抜いても困ることがない。
だから、残菜が大量に出る。
ときどき聞こえてくるのが、「味付けがよくないから」とか「メニューが地味で食欲をそそられない」などの声だ。
塩分・油分の一日あたりの摂取量を考え、幅広い年齢に合うような調味となると、味がぬるめになる場合があっても仕方がないのでは。
見た目が地味なメニューこそ、栄養素のバランスが取れる場合が往々にしてあるだろう。
もちろん美味しく楽しんで食べることは、とても大切なことだ。
そうすることで、消化吸収もよくなる。
もしかしたら、給食を美味しく食べられない原因に、偏った食生活による味蕾の未発達でキャッチできない味があること、正しく空腹を感じられないこと、食わず嫌いなどの先入観があること、などがあるのではないか。
何より、食べられることのありがたみを分かっていないことが。
また、給食は、大勢の仲間と一緒に食事が出来る機会だ。
家庭での家族の生活時間帯の一致が、困難な現代社会。
各自ばらばらに食事をし、仕事や学校へと出かけていく。
一日のうちで、家族全員が食事する機会が一回でも持てる家庭が、どれほどあるだろう。
もっと範囲を広げて、何人かの親しい人と一緒に食事をする機会を毎日持てる人が、どのくらいいるだろう。
子供達に、給食だけしか人と共に食事を出来る機会をもてない子が、どのくらいの割合で存在するのだろう。
親もそうだが、子供達も親に負けず劣らず分刻みのスケジュールをこなしているときがある。
誰かと楽しく食事を共にするなんて、できないのかもしれない。
悲しいことだ。
食べなくては、その命を永らえることが出来ないのに、食べることを楽しみ感謝できないでいるのは、不幸で恥ずべきこと。
まずは、子の庇護者である親と食事をするのが基本。
そこで、愛情と、食べる楽しさ大切さを学ぶのだ。
それから、仲間と一緒に食事をし、それぞれの差を環境の違いを食を通して知っていく。
かくして、人生の基礎を学ぶだろう。
給食の歴史には、政治的思惑も多く絡んでいるが、何より子供達が健やかに育つ為のバランスの取れた食事を得られたことが、一番の功といえよう。
発展途上国において、毎日食べることにも事欠く状況下、給食が子供達の命を繫ぎとめている。
経済的先進国でも、発展過渡期を過ぎ、貧富の格差が開き始めた今、給食が低所得者層の子供達の発育を担っているケースが出てきた。
子供は、人類の未来。
健やかに子供達が生きていけるように、給食制度はセーフネットとして存続させて欲しい。
蛇足だが、しかるべき教育の権利と機会も与えるべきである。
人類が、宇宙の営みの中での失敗作とフォローの余地なく断罪されることがないように。