白樺と池塘
関東地方上空に寒気が下りてきて、久しぶりに酷暑から開放された日に、標高1400メートルの高地にある湿原の尾瀬に行ってきた。
尾瀬に行く道すがらからして、雨がぱらつき、鈍い灰色の雲は重そうに低く垂れ込め、これからの旅がうまくいくかどうか不安になった。
尾瀬戸倉に車を置いて、バスで鳩待峠に向かった。
車窓から見える沢の景色のところどころ、7月の新潟・福島豪雨の爪あとが深く刻まれていた。
もちろん、鳩待峠から湿原の入り口山ノ鼻への下り坂も、土砂崩れやなぎ倒された木々が沢に落ち込んでいる。
10年以上前はなかった石段や木道が整備されていたが、何箇所か新しく補修している様子にも、集中豪雨の恐ろしさを思いやった。
また、熊避けの警鐘が設置され、水芭蕉が更に巨大化していたり、尾瀬の環境も初めて訪れた30年前とは、随分と変わった尾瀬の姿に驚いた。
山ノ鼻から牛首分岐所、東電小屋へ歩く。
至仏山や燧ケ岳は、すっぽりと雲に覆われて、濃い山すそがそのありかを暗示するに留まっている。
今の時期、花の盛りは過ぎて、秋への準備に入っているような植物達。
あと2週間もすると、草の紅葉が始まるらしい。
木道を歩いて感じたのだが、一様に植物の草丈が高くなっている印象を受けた。
ヨッピ橋から竜宮へと行く木道沿いに、シダ類なのか子供の背丈ほどもある草が威圧感たっぷりに生い茂っていた。
それ以外にも、ワタスゲなのか、細い葉も、草原のように湿原を埋め尽くしていた。
それで、池塘が草に隠れて見えにくくなっている。
おそらく、緩慢な自然の変化によるものではなく、気候と人の来訪によって、湿原の環境が変わったせいであろう。
確か、山ノ鼻にあった案内に、”梅干の種が多く捨てられています。自然物とは言えども、捨てないでください。”の内容があった。
それから、山小屋を利用する者の暗黙の了解に、”石鹸の使用禁止”がある。
もちろん、山小屋の利用案内に、書き添えられているのだが、全ての人が守ることはない。
本来ならば、動植物の世界に分け入れさせて貰って、自然を楽しんでいるのだから、彼らの領域を荒らしてはいけないのだ。
自然を汚さない最低限度の行動をとるべきなのに、なんとも傲慢な人間は、どこまでも自分ルールを押し通してしまう。
水や土を変え、富栄養化した土壌が植物の巨大化を生み、エサが豊富になった湿原にツキノワグマが出没する。
もっとも、熊に関しては、他の理由もあるのだが。
だから、この素晴しい尾瀬の自然を長く楽しませてもらう為にも、細心の注意を払って入山させてもらおう。
自然が何万年の年月をかけて生んだ湿原を、あと数十年か百年後かに失わさせてはならない。
30年間に変わった尾瀬の姿を目の当たりにし、そぼ降る雨の中、木道を踏みしめながら考えたことである。
イワショウブ
ワレモコウ
関東地方上空に寒気が下りてきて、久しぶりに酷暑から開放された日に、標高1400メートルの高地にある湿原の尾瀬に行ってきた。
尾瀬に行く道すがらからして、雨がぱらつき、鈍い灰色の雲は重そうに低く垂れ込め、これからの旅がうまくいくかどうか不安になった。
尾瀬戸倉に車を置いて、バスで鳩待峠に向かった。
車窓から見える沢の景色のところどころ、7月の新潟・福島豪雨の爪あとが深く刻まれていた。
もちろん、鳩待峠から湿原の入り口山ノ鼻への下り坂も、土砂崩れやなぎ倒された木々が沢に落ち込んでいる。
10年以上前はなかった石段や木道が整備されていたが、何箇所か新しく補修している様子にも、集中豪雨の恐ろしさを思いやった。
また、熊避けの警鐘が設置され、水芭蕉が更に巨大化していたり、尾瀬の環境も初めて訪れた30年前とは、随分と変わった尾瀬の姿に驚いた。
山ノ鼻から牛首分岐所、東電小屋へ歩く。
至仏山や燧ケ岳は、すっぽりと雲に覆われて、濃い山すそがそのありかを暗示するに留まっている。
今の時期、花の盛りは過ぎて、秋への準備に入っているような植物達。
あと2週間もすると、草の紅葉が始まるらしい。
木道を歩いて感じたのだが、一様に植物の草丈が高くなっている印象を受けた。
ヨッピ橋から竜宮へと行く木道沿いに、シダ類なのか子供の背丈ほどもある草が威圧感たっぷりに生い茂っていた。
それ以外にも、ワタスゲなのか、細い葉も、草原のように湿原を埋め尽くしていた。
それで、池塘が草に隠れて見えにくくなっている。
おそらく、緩慢な自然の変化によるものではなく、気候と人の来訪によって、湿原の環境が変わったせいであろう。
確か、山ノ鼻にあった案内に、”梅干の種が多く捨てられています。自然物とは言えども、捨てないでください。”の内容があった。
それから、山小屋を利用する者の暗黙の了解に、”石鹸の使用禁止”がある。
もちろん、山小屋の利用案内に、書き添えられているのだが、全ての人が守ることはない。
本来ならば、動植物の世界に分け入れさせて貰って、自然を楽しんでいるのだから、彼らの領域を荒らしてはいけないのだ。
自然を汚さない最低限度の行動をとるべきなのに、なんとも傲慢な人間は、どこまでも自分ルールを押し通してしまう。
水や土を変え、富栄養化した土壌が植物の巨大化を生み、エサが豊富になった湿原にツキノワグマが出没する。
もっとも、熊に関しては、他の理由もあるのだが。
だから、この素晴しい尾瀬の自然を長く楽しませてもらう為にも、細心の注意を払って入山させてもらおう。
自然が何万年の年月をかけて生んだ湿原を、あと数十年か百年後かに失わさせてはならない。
30年間に変わった尾瀬の姿を目の当たりにし、そぼ降る雨の中、木道を踏みしめながら考えたことである。
イワショウブ
ワレモコウ