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戦争の悲惨さを、愚かさを、語り継がなくてはいけない:”硫黄島からの手紙”

2011-08-13 22:53:32 | 映画
昨夜、テレビで”硫黄島からの手紙”を放送していた。
中くらいの人の友人が、映画館のロードショーでこの映画を観て良かったとの感想を聞いていた彼は、観る気になったらしい。
そこで、家族みんなで観ることにした。

戦闘シーンで、被弾する人爆風で吹き飛ばされる人、死体となってそこここに横たわる人、また人。
不毛の硫黄島で、ままならない水に食料、過酷な塹壕堀に従事して心身ともに疲弊していく兵士達。
厳しい上下関係、理不尽に権力を振るう上官、兵士同士のいがみ合い。
ついに姿を見せた、アメリカの艦隊の圧倒的戦力の差を目の当たりにして絶望し、手榴弾で自決をする日本兵たちが、哀れな肉塊と成り果てる。
脱走投降する仲間の粛清、捕虜の非道な扱い(手厚く処置する場面もあった)、思想の統制。
中くらいの人には、ショッキングなシーンが多かったようで、観なければよかったとこぼしてた。

しかし、これはあくまでも史実に基づいてはいるが、作り物の映画だ。
本当の悲惨さには、程遠いのだ。
衝撃的なシーンを観て戦争を理解できるわけではないが、この程度の映像で気持ちが悪いとか、面白くないから観たくないとか、なんと情けないのだろうと思った。
SFなどで観ている戦闘シーンでは、生身の肉体を感じさせないし、設定が架空のものだから、人が戦い死ぬことを、軽くみていたのか。
確かに、幼い頃には残酷残虐なものを見せないようにしていた。
そろそろ、戦争といったものを知るにはいい頃と、考えたのに。
ただの1本の映画を観ただけで判断するのは、早すぎるかもしれないが、中くらいの人の反応に、不安を覚えたのだ。

戦争は、人が起こすもの。
今現在は、大きすぎた天災の爪痕からいまだ立ち直る道半ば、天災に人災でもある原発事故も一向に見通しが立たないでいる。
そんな最中ではあるが、100パーセント人の手によって成される戦争の愚かさと悲惨さを、有耶無耶にしてしまっていいものなのか。
世界各地で起こっている内戦も戦争だ。
ちょっとしたきっかけで、ある日突然起きる戦争。
戦争体験者が少なくなる中、子供達に戦争がどういうものであったかを語っていただき、直に話を聞けたなら、また違うかもしれない。

もっとも、中くらいの人にも、戦争に行った曽祖父がいなかったわけではない。
接する機会もあった。
しかし、その経験の重さに、語られることは僅かだった。
南方の、たしかレイテ島だったか、戦友のこと、その風土、行軍の辛さ、食べるものに困ったこと、あとは、若かった自分を懐かしむことを語るぐらいだった。
自分の祖父では、満州の風土、戦友、軍歌、そのほか,辛く大変だったことは胸に秘めたままであった。
戦争体験者にとって、その体験を語ることは辛い思い出に向き合わなくてはならない。
語りたくなくて当然かもしれない。
もし、その辛さを押しても語っていただける方がいらっしゃるのであれば、是非とも子供達に語っていただきたく思う。
二度と日本が、それから世界の人が、戦争などという愚行に走らない為にも。

※レイテ島ではなく、ラバウルだったと思い出しました。