アメリカの生態学者で、化学万能が浸透してきたアメリカにおいて、生態系の重要性を根気よく訴えた女性、レイチェル・カーソン(1907~1964)。
彼女のもっとも有名な著作は、”沈黙の春”だが、この”失われた森”は、彼女の死後に編纂されたものである。
初期の雑誌への寄稿文などから、講演のスピーチ原稿さまざまに、晩年まで彼女の軌跡を網羅しているので、概要を知るには適していると思う。
地球という、宇宙に浮いた生命の奇跡の宝庫。
そこにおいて、全ては繋がり影響しあって存在している、生態系というものが存在する。
だから、たまたま創造する知能と技術を身につけた人間が、自分本位に地球を我が物顔に扱うことは傲慢で、
ひいては自分の存在を危うくする愚行を繰り返してはいけないと、警鐘を鳴らす。
そして、もっと自然に関心を持ち、命に畏敬の念を持つようにと訴える。
カーソンが、生涯をかけて後世に向けたメッセージに、
・市民一人一人が、科学に目を向け、学べるようにすること。
・科学者達が学問を占有することの間違いを改め、専門の垣根を越えた連携を持ち、スポンサーにおもねない研究をすること。
・企業などの財界は、安易な利益追求をして公害を引き起こし蔓延させず、科学者や政治家に圧力をかけないこと。
・政治家は、道徳に叶った采配を揮い、地球規模の視野で政策を決定履行すること。
がある。
カーソンは初め、海辺の自然のきめ細やかな観察と洞察によって、生態系の思考を手に入れた。
観察の範囲を広げることによって、ますますその重要性を認識し、人間の科学技術の飛躍的進歩に伴って引き起こされる生態系への深刻なダメージに危機感を募らせていく。
ちょうど化学物質(農薬)による汚染で、生物に重篤な影響が出始めた頃であった。
また、原子力エネルギーが脚光を浴び、兵器と平和利用に台頭してきた時期でもある。
繰り返される地上や海洋核実験に、放射性廃棄物の海洋投棄が簡単に行われていた。
海洋生物学者でもあったカーソンは、水の循環に敏感であった。
あと食物連鎖にも。
どこかが一つ狂えば、次々にその影響は伝播して、取り返しのつかない事態に至ることを科学的直感で見抜いた。
人間は、自然治癒力の範疇を超えた物質を生み出し、量産し始めている。
カーソンは、身の毛もよだつ恐ろしさを、ひしひしと感じていたに違いない。
彼女の限られた時間で、地球とそこに生きるものたちへの愛で、出来うる限りの警告を発していった。
それから半世紀あまり、カーソンの危惧はますます現実味を持って、我々に迫っている。
いくらかは、エコロジーを念頭に置いた人間活動をする場面も現れるようになったが、危機を回避するまでにいたってはいない。
おそまつながら、自分がカーソンの思想に深く触れたのは、この本が初めてだ。
もっと早くに、子供のうちに、生態系の重要さと人間の愚かさを知っていたなら、人の基本的教養として備えることが出来たのならと、悔しい思いをしている。
また、人は動物であり自然の一部だということを忘れない為に、コンクリートと鉄とガラス、アスファルトで埋め尽くされた大都市は、解体すべきだとも思うのだ。
そもそも土や森から離れてしまったことが、人間に大きな間違いを犯させる原因になってしまったのではないかと。
彼女のもっとも有名な著作は、”沈黙の春”だが、この”失われた森”は、彼女の死後に編纂されたものである。
初期の雑誌への寄稿文などから、講演のスピーチ原稿さまざまに、晩年まで彼女の軌跡を網羅しているので、概要を知るには適していると思う。
地球という、宇宙に浮いた生命の奇跡の宝庫。
そこにおいて、全ては繋がり影響しあって存在している、生態系というものが存在する。
だから、たまたま創造する知能と技術を身につけた人間が、自分本位に地球を我が物顔に扱うことは傲慢で、
ひいては自分の存在を危うくする愚行を繰り返してはいけないと、警鐘を鳴らす。
そして、もっと自然に関心を持ち、命に畏敬の念を持つようにと訴える。
カーソンが、生涯をかけて後世に向けたメッセージに、
・市民一人一人が、科学に目を向け、学べるようにすること。
・科学者達が学問を占有することの間違いを改め、専門の垣根を越えた連携を持ち、スポンサーにおもねない研究をすること。
・企業などの財界は、安易な利益追求をして公害を引き起こし蔓延させず、科学者や政治家に圧力をかけないこと。
・政治家は、道徳に叶った采配を揮い、地球規模の視野で政策を決定履行すること。
がある。
カーソンは初め、海辺の自然のきめ細やかな観察と洞察によって、生態系の思考を手に入れた。
観察の範囲を広げることによって、ますますその重要性を認識し、人間の科学技術の飛躍的進歩に伴って引き起こされる生態系への深刻なダメージに危機感を募らせていく。
ちょうど化学物質(農薬)による汚染で、生物に重篤な影響が出始めた頃であった。
また、原子力エネルギーが脚光を浴び、兵器と平和利用に台頭してきた時期でもある。
繰り返される地上や海洋核実験に、放射性廃棄物の海洋投棄が簡単に行われていた。
海洋生物学者でもあったカーソンは、水の循環に敏感であった。
あと食物連鎖にも。
どこかが一つ狂えば、次々にその影響は伝播して、取り返しのつかない事態に至ることを科学的直感で見抜いた。
人間は、自然治癒力の範疇を超えた物質を生み出し、量産し始めている。
カーソンは、身の毛もよだつ恐ろしさを、ひしひしと感じていたに違いない。
彼女の限られた時間で、地球とそこに生きるものたちへの愛で、出来うる限りの警告を発していった。
それから半世紀あまり、カーソンの危惧はますます現実味を持って、我々に迫っている。
いくらかは、エコロジーを念頭に置いた人間活動をする場面も現れるようになったが、危機を回避するまでにいたってはいない。
おそまつながら、自分がカーソンの思想に深く触れたのは、この本が初めてだ。
もっと早くに、子供のうちに、生態系の重要さと人間の愚かさを知っていたなら、人の基本的教養として備えることが出来たのならと、悔しい思いをしている。
また、人は動物であり自然の一部だということを忘れない為に、コンクリートと鉄とガラス、アスファルトで埋め尽くされた大都市は、解体すべきだとも思うのだ。
そもそも土や森から離れてしまったことが、人間に大きな間違いを犯させる原因になってしまったのではないかと。
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