rock_et_nothing

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笑い

2011-12-19 00:28:40 | 随想たち
昨日の”THE MANZAI”を見ての、笑いの質について、家人と話していた。
繰り返しから生まれる笑い、話の飛び方落差から生まれる笑い、ずれから生まれる笑い、けなし落とす笑い、世相を皮肉る笑いなど、その芸をする人たちの方向は千差万別。
家人と意見が一致するのは、下ネタに頼ったり、けなし罵倒したり、固定ギャグを頻繁に入れ込んでくる、そんな笑いを好まないということ。
不快感を与えられるのは、笑いなのだ、真っ平ごめんなのである。
自分は、漫才ブームを中学生の頃経験したが、どうにもそこで繰り広げられる笑いが好きではなかった。
ここ近年のお笑いブームも、やはり懐疑的だが、中には腹を抱えて笑えるものも確かにある。
家人や中くらいの人が見ているお笑いを隣で見ることが多くなり、それなりに面白いと思う芸人達もできた。
テレビ界やお笑い界が、盛り上げようと企画する”M-1"なども見てきた。
そこで1位をとる芸人よりも、2番手のほうが自分にとっては良い芸人である確率が高い。
笑いがソフトで、インパクトに欠けるのか?
たぶん、自分の笑いのツボと、大方の笑いのツボが、違うのだろう。
それは、個人の趣向によるから致し方ないことなのだが、お笑いの芸にしても、人が傷ついたり不快になるネタは、どう考えてもよろしくない。
もっとも、おおっぴらにいわゆる不適切発言ができないでストレスをためている方々の代理人として、お笑いのネタでみなの溜飲を下げている効果があるにしてもだ。
個人主義が万能というわけではないが、全体主義、同一化希求体が席巻しているこの国において、”異”であることの不安、”異”を排除しようとする風潮が、人々を圧迫している。
自分はどう見てもはみだし者なので、過剰反応しているかもしれないが、卑屈な笑いは、人の品性を貶める。
”笑い”は、人の心と体を活性化する重要な働きがあるというではないか。
貧しい”笑い”では、その効用も上がらないだろう。
どうか、心底楽しめる”笑い”をしよう。
活躍している芸人の皆さん、なるべく不快な笑いは扱わないで頂きたいと、お願いします。
笑いに毒はつきものだけれど、隠し味、薬味程度にとどめていただいて。