rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

今日は皆既月蝕、2011年12月10日

2011-12-10 22:45:24 | 空・雲・星・太陽たち

9時50分頃

今日は満月、皆既月蝕。
薄雲が、空全面覆っているけれども、月が消えることはない。
冷え込んでいるが、昨夜ほどの痛さはないから、観測しやすいだろう。
土曜の夜という好条件で、子供達も遅くまで起きて観測ができる。
完全な皆既月蝕は、11時32分あたりらしい。
前回は、11年前の2000年。
次回は、2030年とのこと。
明日のことは、誰も分からないし、19年後なんて生きている保証はもとよりない。
だから、今夜は月を思い切り楽しもう。
そして、この時をいとおしもう。


10時15分頃


23時30分

天国に近い国、ブータン:ティンプー

2011-12-10 00:42:00 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」、タイムリーにブータン:ティンプー。
先月、ブータン国王夫妻の来日で、にわかに身近になったブータン。
その首都ティンプーは、標高2400メートルのティンプー川沿い南北に広がる人口10万の街。
この国には、信号機は存在しない。
そのかわりに警官が、交通整理をするのだ。
もちろん、交通量が破壊的に多ければ、信号機無しでは流れを捌けないだろうが、それほど多くはなさそうだ。
あとは、この国の時間は、ゆったりと流れ、待ち行く人の顔は穏やかで、余裕なくあくせく働く様子もみえない。

ブータンは、チベット仏教の一派の宗教を信仰している。
市中には、お坊さんの衣服専門店があり、マニ車がいたるところに設置されている。
マニ車は、ありがたい経文が納められていて、右回りに一回まわすと千回以上お経をあげた御利益がある。
マニ車には、いろいろな大きさ種類があり、携帯用、水力や太陽電池で回るものなど様々だ。
人々は、日に何度もマニ車を回し、死後の安寧を願い、厄災から免れるよう、仏に願っている。
また、三代目国王が建立した仏塔(メモリアル・チョルテ)の周りを回るのも、同じ効果があるといって、熱心に回る人々はあとを絶たない。
そして、どの家にも、日の辺りのいい一番よい部屋が、仏壇の間として備えられている。
信仰が、深く人生と生活に根付いているのだ。

ブータンの民族衣装に、日本の着物に似た”ゴ”と”キラ”がある。
”ゴ”は、男性用で、着物を大きくたくし上げて着用する。
そのたくしあげた部分は、何でも入るポケットの用途になる。
”キラ”は、女性用で、一枚の布を巻きつけて、くるぶしまですっぽりと覆う姿になる。
学生と公務員は、民族衣装の着用を義務付けられているとのことだ。

日本のそばに似た”フタ”という食べ物がある。
そば粉を捏ねて、押し出し機で麺を押し出し、湯がいてから、卵とネギを炒めたものに絡めて食べる。
味は、なんとなく想像できるが、そばのぼそぼそとした食感の汁無しは、少し抵抗感があるのは、自分だけか。

国王は、GNH国民総幸福量を、GNP国民総生産より重要視する国策を採っている。
国民の90パーセントが幸福を感じているという成果が現れているようで、経済第一主義を身上とする世界に、一石を投じている。
高く険しい山に囲まれ高地にあるがゆえに、農業でも工業でも発展が難しく、大国に囲まれた地理的要因もあるだろう。
しかし、多くを望まなければ、相手に隙を作らず、信仰を支えとして、つましく生きていける国という姿もありえる。
大国と経済資本主義の毒牙から免れる為には、小国を導くのに必要な身の振り方と思えなくもない。
まずは、内側から強くするのに、信仰という共通項は、とても適した土台となる。
それが、とても強く人々の中に行き渡っているのを見て、少しばかり違和感を感じたのは、気のせいなのか。
とはいえ、短い人生、平和に生きられるのなら、それはそれでいいのかもしれない。

そうだ、ブータンの国技に弓があるが、140メートル離れた距離から的を射るのは大変難しそうだ。
だからなのか、的に当たると競技者全員、的の前で歌い踊る光景が見られた。
喜びを分かち合う連帯感が、人々の心の闇を鎮め、信仰とあいまって、人にやすらぎをもたらす、そう感じた場面であった。

昨今、”絆”という言葉をよく耳にする。
それは、渇望の現れ。
他人と自分の存在の稀薄さが、心もとない状況を生み、つながりを求める風潮を生み出したのだろう。
でも、それはなかなか本物にはなれない。
ジレンマのスパイラルが、空を覆っている。
GNH、あなたはどのくらいだろうか。