つれづれ日記

心と目の記録

愛犬ジャーナル

2013-05-02 10:38:38 | Weblog

レオ君が1974年の愛犬ジャーナルの表紙になりました。

獣医先生の薦めで、私は初めて母犬ロミをドッグショーに出してCHをとりました。
ショーに出したことで犬種にスタンダードあることを認識し
母犬以上の犬を生ませたいと思い、日本に初めて輸入された
AM、CHのマックと交配、7頭の出産でたった1頭の牡を残しました。
5ヶ月から訓練士さんが通いで来てくださり体作りをしてショーに出しました。
レオ君はW.G.CH をとり犬学者の大野淳一先生が写真を写してくださり
愛犬ジャーナルの表紙になったのです。

                  W.G.CH ADONISU OF HAUSU HAYASIDA

体高85センチという大きさは当時のJKCの関係者達に驚かれました。
訓練士さんと獣医先生と私と3人で我が子のように見守り育て上げたのです。
昼は訓練士の運動、夜は私の運動で走りの足音にも耳を傾け
正しい足の運びに気を配り、時々立たせて立ち姿を観察しました。
姑と夫に昼間に運動するように言われましたが、昼間は他人の目があるし
話しかけられると運動になりませんので夜ばかりです。
私の趣味の犬ですから、3人の娘達は勉強があるので、繁殖の時以外は手伝わせませんでした。。
74年に妹のベルが生まれてからは母犬と兄妹の3頭の運動で
毎晩12キロ以上歩きました。
1頭4キロ計算ですが母犬は3キロ雄犬は5キロ、妹ベルは4キロと
3回出るのですから最後の犬は雨が降ってくることがあっても
犬たちは楽しみに順番を待っているので止めませんでした。
犬が行きたいというのなら月までも一緒に歩きたいと本気で思っていました。

あれから40年の歳月が流れ今もピレニーズは頭と心の中で華やいでいます。