大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・ライトノベルベスト・[お姉ちゃんは未来人・1]

2018-05-04 07:10:09 | ライトノベルベスト

ライトノベルベスト
[お姉ちゃんは未来人・1]


 文化祭も五回目になると飽きる。

 と言って、あたしは落第を重ねた高校五年生というわけではない。
 中学から数えて五回目。面白かったのは中一の時と高一の時。初めてだったから新鮮だった。厳密に言うと高一の時は昼で飽きた。中学校は、学年で合唱とお芝居だけ。そのどっちか。どっちも学芸会のレベルでつまらない。
 高校は、もっといろんなことがあるんだろうな! と期待した。

 クラブとかの出し物や模擬店は新鮮で、それなりのレベルはあるんだけど、軽音にしろダンス部にしろ、身内だけで盛り上がって、あたしら外野はなんだか馴染めない。ネットで面白い文化祭を観すぎたせいかもしれない。

 クラスの取り組みは、占いとうどん屋さんのセット。

 うどんは100円でミニカップ一個。原価はカップ込みで30円のボッタクリ。占いはタロットと手相の二つで、どっちも100円。担当は、この春に廃部になった演劇部のマコとヨッコ。一週間のアンチョコで、ハウツー本を読んだだけのインチキ。だいたいテストに実験台にされたとき、こんなことを言う。

「う~ん、あなたは珍しい!」
「どんなふうに?」
「生命線がない!」
「え……?」
「本当は、生まれてすぐに亡くなる運命……」
「違うよ、生まれてこない運勢」
「だったっけ……あら、ほんと」
「で、どーなのよ?」
「なにか、特別な使命を帯びてこの世に生まれた。その兆候は十六歳で開花する」
「あの……あたし、まだ何にも開花してないんだけど」
「え、そう?」
「芸能プロにスカウトされたとか、宝くじにあたったとか?」
「あたし、もう十七歳なんだけど……」

 ま、こんな調子。

 言っとくけど、あたしには生命線はあった……うっすらだけど。それが去年の冬ぐらいから消えてきた。ちょっと気になったので、ウェブで調べた。すると、二つのことが分かった。

①:生命線が無い、または薄い者はいる。だが他の線により補完されていて、特に問題は無い。
②:手相は、年齢や体調によって変化する。

 で、マコとヨッコが使っているハウツー本は全然違うことが書いてある。ようはいい加減ということだ。僅かに褒められるのは、元演劇部らしく小道具としての本には凝っていてわざわざ神田の古本屋まで行って買ってきた、古色蒼然とした本だったこと。しかし、奥付の発行年を見ると昭和21年発行の雑誌の付録になっていた。終戦直後の何を出しても売れる時代の粗悪品。先生は「カストリものだな」と言っていた。ちなみにカストリとは三合(三号にかけてる)で潰れる粗悪な酒という意味。

 ま、適当に当番の時間をお勤めして、あとはテキトーに時間を潰して、終礼が終わったらさっさと帰った。まあどこにでもいるややしらけ気味の高校二年生。あ、名前は蟹江竹子……ちょっと古風。亡くなったひい祖母ちゃんが竹のようにスクスクと育つようにと付けてくれた。愛称はタケとかタケちゃん。ま、普通。

「I,m home!」

 ちょっと気取って玄関を開ける。
「ああ、腹減った!」
 言いながらパンかごから、クロワッサンリッチを出してぱくつく。
「もう、行儀の悪い」
 お母さんがいつものように小言。
「はーい」と返事して、食べてから手を洗う。クロワッサンの油やパンくずが手について気持ち悪いから。

「ただいまー!」

 お姉ちゃんが元気に帰ってきた。

「お帰り」と、あたしの時とは違う優しい声でお母さん。お姉ちゃんは優等の高校三年生だ。もう一時間もすればお父さんが帰ってきて、ごく普通の一家の夕食になる。

 ただ普通でないのは、大したことじゃないんだけど、お姉ちゃんは未来人。

 そして、そのことは、あたししか知らないこと。

 たった、それだけ。 

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高校ライトノベル・JUN STORIES・4《殉の人》

2018-05-04 06:58:49 | ノベル

JUN STORIES・4《殉の人》


 この季節、喪中葉書が多い。

 たいていは、ご両親のどちらかが亡くなったもので、言い方に困るが、我々の親は、たいがい大正生まれなので天寿を全うされたということで、来るべきものが来たんだと、あまり悲壮感はない。
 中には愛犬が亡くなりましたのでというものがあり、ご本人の気持ちには察して余りあるものがあるが、どこかヒューマンな温もりを感じる。

 堪えるのは、友人や歳の近い先輩自身がお亡くなりになったものである。

 元職が教師なので、この手の喪中葉書は例外なく現職、または退職間もない人ばかりである。
 三十年教師をやっていて、関係した(担任、あるいは教えていた)生徒に五人逝かれた。やや多い部類に入る。
 同僚、先輩は、両方の手で足りない。ざっと思い出しても十五六人にはなる。

 他職のことはよく分からないが、少し多いような気がするのだがどうだろう。

 この業界には七・五・三という言葉がある。校長で退職すると三年。教頭で五年、平で七年の平均余命という意味である。
 中には現職中に亡くなる人もいる。一番若かったのは二十三。教職についてわずか半年であった。

 死因は自殺。

 亡くなる前、体中に湿疹ができ、その治療にも通っていた。一応府教委は、校長を通じて職場で問題が無いか調査をしたが、病気治療で通院していたという一事で「病気を苦にしての自殺」で片づけてしまった。
 生徒が自殺すれば、全国ネットで大騒ぎになり、時に裁判沙汰になる。彼の自殺は、新聞の地方欄に天気予報より小さく載っただけである。

 あとで思うと前兆があった。

 教材研究に呻吟していた。穴が空くほどに教科書と指導書を見つめていた。

 物事を理解することと、それを人に教える能力は別物である。大学の教職課程では、この教えることを教えない。教師は、採用され、その日から現場で子供たちを相手にしなければならない。
 府教委もわずかに考え、一年間は指導教官を置く。また、官制研修もアホほど増やした。
 だが、多くの場合指導教官そのものの授業が度し難い場合が多い。官制研修に至っては現場で不適応だった指導主事が多く、これも、ほとんどアリバイにしかならない。
 かれは、授業を中断して職員室に帰ってくることや、授業開始時間になっても教室にいけず、教頭から注意されたりしていた。
 自殺の原因は、誰が見ても仕事の悩みである。
 わたしの勤務校は、府下でも有数の困難校で、わたし自身初年度の夏休みを入院と病気治療に食われてしまった。
 この学校に勤務していて、在勤中、または退職後、転勤後に六人ほどが亡くなっている。

 今年の最初の喪中葉書は、三つ年上の退職間もない先生自身のものであった。何度か読み返した。ご母堂のそれではないかと思ったからである。四回目にご本人が亡くなったことに違いが無いことを理解した。

 日本では、交通事故による死者は、事故後24時間以内に亡くなった人のみをいう。アメリカは州によって違いがあるが、ほぼ事故後一か月を事故死と扱っている。数字はマジックである。

 極端な話、退職してあくる日に亡くなっても教師の死にはならない。二三年もたっていれば、現職時代のストレスと絡んで考えられることはありえない。

『月刊生活指導』というイカツイ雑誌がある。たいていの学校の生活指導室には置いてある。十数年前に「教師のストレス」という特集をやっていた。
 そこにILOの資料が載っていた。
 総じて、教師のストレスは、最前線の兵士のそれに匹敵する。むべなるかなである。

 わたし自身在職中の疾病で、いまだに通院している。むろん、なんの保障もない。

 息子の進路に口出しはしないが、教師になると言えば絶対反対する。命を懸けて殉ずることは絶対いらない。


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