大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・ライトノベルセレクト『校長になったキミへ』

2018-05-30 07:08:05 | ライトノベルセレクト

ライトノベルセレクト318
『校長になったキミへ』



 拝啓、退職以来日々世事に疎くなるばかりで、君が真田山学院の校長になっていたのを知ったのは、つい昨日のことです。

 さるバラエティー番組の「学校へ行こう」のコーナーで真田山が取り上げられ、府下でも数少ない女性校長として出てこられたときには本当にびっくりしました。

 もう三十三年、いや三十四年前になるでしょうか、わたしは二十九歳、五回目の採用試験に合格、府下でも指折りの困難校である生駒西高校に赴任しました。
 まだ一学年が十二クラスもある時代でした。生徒は総員で千三百はいたでしょうか。十数人の新転任の教師の中で、女性はキミ一人だけでした。

 生駒西は、並の教師では務まりません。わたしが採用試験に合格しながら三月の終わり近くまで赴任校が決まらなかったのは、出身大学と成績のためであると観念しておりました。
 わたしの前に新採の女の先生が決まっていましたが、若い女性では務まらないと社会科が校長に申し入れ、それで甲子園も準々決勝の日に校長から電話がありました。

 転任者はベテランぞろい、新任は全員体育の格闘技専門かと思われるようなマッチョたちの中で、キミ一人が紅一点でありました。
 正直、あのころのわたしは、おののきながらも「出身大学なんか関係あれへんやんけ」と思っていました。
 社会科の1/3は年下でした。みんな立派な学歴でした。高校は高津、北野、大手前などがゴロゴロ。大学は関関同立は掃いて捨てるほどいました。わたしの隣の又吉君などは高津、京大でした。

 わたしは狭山大学「狭山、和泉が大学ならば、蝶々トンボも鳥のうち」と世間に揶揄された大学です。講師経験こそ三年ありましたが、用はアルバイト。その後の言葉で言えばニートでありました。

 正直、北野高校、東京大学出のキミは、眩しくも畏敬の存在で、直接口も利けませんでした。

 キミとの最初の会話は、明日から連休という四限目の授業の終わりでした。
「ようやっと連休ですね」
 思わず階段の踊り場で声を掛けられた時、わたしはなんと答えたのか覚えてはいませんが「この人も、当たり前の人なんだ」と和むような気持ちになったことを覚えています。

 わたしは途中で組合を辞めましたが、キミは管理職になるまで組合員だったのでしょうね。

 教職員に労働組合が必要なのは重々分かっているのですが、あの民主集中制が支配する組合にいることは、わたしにはできませんでした。日の丸・君が代に反対することも、自分の心情ではできませんでした。

――日の丸の掲揚に反対することを、教職員の総意とする――

 これが職員会議で決議されそうになったとき「総意という言葉は外してください。わたしは賛成です」と、わたしは述べました。ほとんどの先生から侮蔑の目でみられました。その目の中にキミがいたことを古参の組合員に睨まれるよりも気になった。本当です。

 今は管理職はおろか、一般の教職員も国旗に敬礼し、国歌たる君が代を斉唱しなければならない時代になりました。キミは校長なのですから、先頭で国歌を歌っておられるでしょう。
 別に、そのことを責めているわけではないのです。時代が変わったのだから仕方のないことだと思っています。

 へんな方向から思い出を語ってしまいました。

 校長はバカでは務まりません。中には限りなくバカに近い校長もいましたが……たぶん同じ校長の顔が浮かんでいると思います。
 真面目でも校長は務まりません。校門をでたらスイッチがかわるような人間でないと、たとえ三年間とは言え校長はもちません。

 ひとときバカになれる、そういう人物になっておられると願っております。

 早期退職者の、いわば引かれ者の小唄のような手紙です。ご一読されたら、どうぞご失念ください。ただ懐かしさのあまり筆をとった次第であります。御清祥を祈っております。

             狩野雅子様

                               大橋睦夫 敬具 


※ この手紙はフィクションです

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高校ライトノベル・ライトノベルセレクト『NHKは絶対映らないテレビ』

2018-05-30 06:57:31 | ライトノベルセレクト

ライトノベルセレクト
『NHKは絶対映らないテレビ』


 NHKは、なにがなんでも受信料をとる腹だ。

 松野はむかっ腹が立った。

 松野は、もう何年も、ひょっとしたら何十年もNHKにチャンネルを合わせていない。
 理由は特にない。強いて言えば「面白くない」からである。
 NHKを面白いと思ったのは、幼いころに観た『ひょっこりひょうたん島』が最後であった。
 それからは、NHKどころか、テレビを観ない生活になってしまった。
 それについては、いろいろ面白いことがあるのだが、先を急ぐので割愛する。

 電気技師であった松野は『NHKは絶対映らないテレビ』を作った。

 アキバに通って部品を集め二週間で作り上げたテレビを、幼なじみの大学教授の研究室へ持ち込み「絶対にNHKは映らない」ことを実証してもらった。
「松野、これは面白いことになるよ」
 大学教授も面白がり、松野を焚きつけ『NHKは絶対映らないテレビ』の新案特許を申請させた。
「こんな特許申請、通らないぜ」
 松野は思ったが面白いので申請をした。
 その様子を動画にして五回連続のシリーズでアップロードした。

 世間は面白いことに飢えているので、動画のアクセスはイイ線をいって、マスメディアも取り上げるようになった。

「こんな面白いことをやっている人がいます」

 NHKも、余裕のよっちゃんで、松野のことを放送したりした。
「しかし、松野さんには気の毒ですが『放送を受信できる設備を設置した者は受信料を支払わなければならない』と定められておりますので、松野さんには受信料をお支払いいただくことになります」
 アナウンサーは気の毒そうな顔はしているが、余裕のよっちゃんで語った。
 ま、ただのトピックニュースの扱いであった。

 松野のテレビは『はらないテレビ』と略され、半月後には、さらに略され『Hテレビ』として認識された。

 面白いことは広まるもので、模造品が出回り始めた。
 そして、ここにきて松野の特許申請が生きてきて『Hテレビ』は一躍ブランドになった。
「『Hテレビ』基盤も液晶そのものもNHKを拒絶するように出来ています。改造等で受信できるようには絶対できません!」
 このキャッチコピーがウケてしだいに売れ出した。

 まあ、シャレで。

 という感覚で数万台が売れてから、世間はかまびすしくなってきた。
「絶対映らないのに、受信料とるっておかしいよ!」
 半年もすると、ネットを中心に声が大きくなってきた。
「そうおっしゃられても、放送法がありますからねえ……」
 NHKは、慇懃にふんぞり返った。

『Hテレビ』が三十万代売れたところで異変が起こった。

「放送法を改正しろ!」
「NHKを解体しろ!」
 
 プラカードやムシロバタを掲げ、胸に『Hテレビ』のシールを貼ったデモ隊がNHK前と国会前に連日押しかけるようになった。

 デモ隊は『Hテレビ』シールから、いつしかシールズと呼ばれるようになり、安保闘争並の賑わいになってきた。

 デモ隊が二十万人を、署名は百万を超え、シールズの勢力は侮りがたいものになり、古い言い回しではあるが「山が動いた」

 一年後、議員立法による『改正放送法』が可決され、百年続いたNHKは事実上解体されてしまった。

 代々木のNHK放送センター跡地には、期せずして英雄になった松野がアッカンベーをしている銅像が建っている。
 

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高校ライトノベル・『メタモルフォーゼ・17』

2018-05-30 06:50:21 | 小説3

高校ライトノベル
『メタモルフォーゼ・17』
        


 片道一時間ちょっとかけてのレッスンが始まった。

 学校が終わって、4:05分の大宮行きに乗って、東京で地下鉄に乗り換えて神楽坂で降りて5分。放課後は必死。掃除当番なんかにあたると、駅までダッシュ。
 ミキとは別々。下手に待ち合わせたら、いっしょに遅刻してしまうし、みんなの目もある。
 だから一本違う電車になることもあるし、同じ電車に乗っても並んで座ったりはしない。地下鉄に乗り換えても、気安く喋ったりしない。
 これは人の目じゃなくて、自分のため。行き帰りの二時間半は貴重だ。学校の予習、復讐、台本読んだり(演劇部は続いている)レッスンの曲を聞いて歌やフリの勉強もある。

 一カ月が、あっという間に過ぎてしまった。

「美優、明日からチームZね」

 突然プロディユーサーから言われた。普通研究生からチームに入るのには、最速でも三か月はかかる。
 ちなみに、神楽坂46は、チームKからZまである。K・G・Rがメインで、ユニット名もKGR46。Zは、いわば予備軍ってか、劇場中心の活動で、たまにテレビに出ても、ひな壇のバック専門。
 でも、チーム入りには違いない。「おめでとう」とミキが伏目がちに言ったのは戸惑った。
 そのミキも三週間後には、チームZに入った。ただ、あたしは入れ替わりにチームGのメンバーになり、ここでも差が付いた。

 そんな暮れも押し詰まったころ、ミキのお祖母ちゃんのカオルさんの具合が悪くなった。

「ありがとう、大変だったでしょ。二人揃ってスケジュール空けてもらうの」
「ううん、たまたまなの。わたしは完全オフだし、美優は夜の収録までないから」
「そう、よかった」
 カオルさんは、ベッドを起こして、窓からの光に照らされ、あまり病人らしく見えなかった。
「並んでみて、そう、光があたるところ」
「ミキ、こっち」
「う、うん」
「美優ちゃんは、自然と光の当たる場所に立てるのね……」
「たまたまです、たまたま」
「ううん。自然に見つけて、ミキを誘ってくれた。美優ちゃん、これからもミキのこと、よろしくね」
「よろしくって、そんな……」
「ううん、美優ちゃんには、華がある。不思議ね、こないだミキのタクラミでうちに来たときには、ここまでのオーラは無かったのにね。あ、看護婦さん」
「カオルさん、今は看護師さんて言うのよ」

 抑制のきいた笑顔で看護師さんが入って来た。


「はい、なんですか、カオルさん」
 看護師さんは、気楽に応えてくれた。
「このスマホで、三人並んだとこ撮ってもらえませんか」
「いいですよ。じゃあ……」
 カオルさんを真ん中にして、三人で撮ってもらった。
「ほら、これでいいですか?」
「あら、看護婦さん、写真撮るのうまいわね」
「スマホですもん、誰が撮っても、きれいに写りますよ」
「いいえ、アングルとか、シャッターチャンスなんかは、スマホでも決まらないものよ」
「へへ、実は十年前まで、実家が写真屋やってたもんで」
「やっぱり……!」
 カオルさんは、勘が当たって嬉しそう。カオルさんが嬉しそうにするとまわりまで嬉しくなる。さすが、元タカラジェンヌではある。それも、この感じはトップスターだ。
「ほら、見てご覧なさい。写真でも美優ちゃんは違うでしょ」
「確かに……」
 ミキは、わざと悔しそうに言った。
「アハハ、ミキ、その敵愾心が大事なのよ」
「あの、カオルさんの宝塚時代のこと見ていいですか?」
「え、どうやって?」
「あたしのスマホで」
 あたしはYou tubeで、秋園カオルを検索した。
「あら、美優ちゃんのスマホ凄いわね!」
「カオルさんのスマホでもできますよ」
「ほんと、全然知らなかった!」
「カオルさん、思いっきり昭和人間なんだもん」
 そうやって、カオルさんの全盛期の映像を見て、楽しい午後を過ごした。

 そして、その四日後、カオルさんは静香に神さまに召されました……。

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