ライトノベルベスト
[軍艦防波堤]
軍艦防波堤というのがある。
終戦後生き残り、復員任務についたりしたあと、昭和23年ごろに上部構造を取り払い、内部にコンクリートを詰め込まれ、そのまま防波堤になったもので、北九州市の若松港の三隻の駆逐艦がマニアには知られている。
わたしのふる里にも、それがあると聞かされたのは、その港町に、ワケ有で引っ越してひと月ほどだった。
夜逃げ同然の引っ越しで、わたしの生活は180度変わってしまった。成城の家に比べると物置同然と言うような廃屋が住まいになり、お父さんは、港の細々とした仕事をやって、お母さんとわたしを養っていこうとした。
お母さんは、越して三日目に居なくなった。
お母さんと言っても、血のつながりは無い。
わたしが幼稚園のとき、お父さんが連れてきた。幼心にも昼の仕事をやっていた人ではないことが分かった。
ただ、わたしは、お父さんが必要としている人だと思い、紹介されたその日から「お母さん」と呼ぶようにした。
大きくなるにつれ、お母さんのことが分かってきた。銀座で働いていた人だけど、投資や経営の能力が高く、その点もかわれて、お父さんと意気投合し、二十歳も年下なのに、お父さんの後妻としてやってきた。
会社の経営にも口を出したが、けして表に出ることはなかった。リーマンショックでよその会社が潰れたときも、お母さんは勘の働く人で、直前に株の大半を売り損益を出さなかった。
「お前のお蔭で、会社を潰さずに済んだ」
お父さんは、お母さんの手を取って喜んだが、それを鼻にかけることも無かった。
「ただ、なんとなくの勘が当たっただけですよ」
そう言って笑っていた。
そのお母さんの勘が外れた。中国株の売り時を間違え、会社はスッテンテンになった。
お母さんは、何の前触れも書置きもなく居なくなった。責任を感じての事か、お父さんに愛想をつかしたのかは分からない。小さな町で噂は、あっという間に広がった。世間は良い方よりも悪い噂の方を好む。お父さんは一晩で、甲斐性なしの捨てられ男になってしまった。
男一人なら、何をしても生きていける。お父さんには、わたしが足かせになっていることが分かった。わたしは、来年の春には卒業して、東京の中堅企業に就職する。
はずだった……。
内定取り消しの薄い封筒が今日届いた。わたしは、お父さんのお荷物になってしまった。
気が付いたら軍艦防波堤に来ていた。佇んでいると悪いことばかり考えてしまう。4歳でお母さんが亡くなったとき、か細い息の下でお母さんが言った。
「お父さんを信じて生きていくのよ。どんなことでも、お父さんは正しい人だから……お父さんが選んだことなら、その中にお母さんは……必ずいるから、お父さんがすることの中にはお母さんがいると思って。ね、チイちゃん……」
だから、新しいお母さんが来た時も「この人の中に、お母さんがいるんだ」と思ってやってきた。
一人でいると海に飛び込みたくなる。
わたしは、考えないようにするために赤さびた防波堤の説明文を読んだ。
この防波堤は、秋月型の駆逐艦で朧月という。終戦直前に米軍の攻撃をかわしているうちに座礁してしまった。離礁させるには人手もお金もかかるので、そのままにし、座礁した場所が、ちょうど防波堤に最適だったので、そのままコンクリートを詰め込まれて防波堤になった。あとの字は赤さびで、ひどく読みづらかった。
「熱心に読んでるわね」
後ろで声がしたので、びっくりした。小ざっぱりした和服のお姐さんがいた。初めて見る人だった。
「お母さんは、亡くなる前におっしゃったように、どこにでもいらっしゃるわ。居なくなるのは、チイちゃんが居ないと疑ったとき……」
なんで、わたしのことを知ってるんだろう……熱いものが込み上げてきた。
「お母さん!?」
その人は、暖かく、でも寂しそうに首を振った。気まずくなりそうだったので話題を変えた。
「この説明文読めます?」
「そんな古いこと読めなくてもいいわよ。ここに朧月という船があったことが分かれば、それで十分……」
それから、防波堤で海を見ながらお姐さんは寄り添ってくれた。いつの間にか眠ってしまった。
あくる日、街の職安から学校に電話があった。町はずれにある原発の再稼働が認められたので、総務で人間が欲しい。ついては地元の子を優先したいのでどうか……という話だった。わたしは二つ返事で決めた。お父さんも喜んでくれた。
そして春が来て、わたしは原発で働き始めた。
五月にとんでもないことが起こった。C国と急速に関係が悪くなり、いつ戦争になるか分からないことになった。戦争になれば原発は、真っ先に狙われる。
「自衛隊もアメリカ軍もいるから大丈夫さ」と、お父さんは言う。
六月にC国で政変がおこり、臨時政府は国民の不満をそらすために、日本に宣戦布告してきた。同時に二十数発の核ミサイルが撃たれた。大半はイージス艦やパトリオットの迎撃で撃ち落された。
ただ一発が撃ち漏らされて、この町の原発にむかってきた。
そのとき軍艦防波堤の朧月が一瞬、もとの駆逐艦の姿に戻り、六門の対空砲が火を噴いた。核ミサイルは高度6000で撃ち落された。
ただ、公式には故障による自爆とされた。
軍艦防波堤は、元のコンクリートに戻った。でも、あの一瞬の姿とお姐さんの姿が、重なって思い出される。