高校ライトノベル
『ケータイとコンタクトレンズ・2』
――まるで、ヘンクツジジイだぞ――
なるほど、美優のメール通り、そう見えなくもない。しかしオレは、年相応に苦み走ったいい男に思えた。だから、その時はコンタクトにはしなかった。
しかし、ある日パソコンの数字一つを読み間違い、九割方まとまっていた注文をフイにしてしまった。
「今度やったら、北海道の営業所に行ってもらうからな……」
課長が、横を向いたまま、そう言ったときにヤバイと思った。
「コンタクトレンズにすればいいのに……」
ベッドでの事が済んだあと、それまでオレの髪をかきむしりながらあえいでいた女とは思えない静かさで美優が言った。
その美優の呟きのような一言は、オレをそのまま眼鏡屋に足を運ばせるのに十分な力があった。
「こんなところに眼鏡屋があるのか?」
そこは、センター街から外れた脇道の突き当たりだった。心なしか道は下っていた。小さなショウウインドウには、こういうことには素人のオレが見ても、時代遅れの眼鏡や腕時計が並べられていた。
『眼鏡 時計 機械小物の服部商店』の看板が、切れかかった電球にチラチラ照らされていた。
店の奥には人影もなく、ボンヤリ蛍光灯の豆球が点いているだけじゃないかと思うほど、陰気で、薄暗かった。
「おい、こりゃ、もう店閉めちまったんじゃないか」
もう、午前0時に近い、センター街でも開いているのは、飲み屋と風俗ぐらいの時間帯である。
「ううん、この店変なお店だから、これぐらいが開店時間なの。オジサン……オジサン、あたし」
美優が、そう言いながら、店の入り口をホタホタと叩くと、店の灯りが灯り、奥からオヤジがノッソリ出てくるのが分かった。
「こりゃ、かなりの重症だな」
検眼鏡でオレの目を覗き込んだオヤジが言った。
「よせよ、脅かして、ぼったくろうったって、オレそんなに金持ってないからな」
「それぐらい、見りゃ分かるさ。わしは、こう見えても、ちゃんと眼科医の資格も持ってる。この目は、ほうっときゃ、三年と持たないよ」
「よ、よせよ……」
「オジサン、なんとかならない?」
「なんとかしたいから、うちに連れてきたんだろ?」
「う……うん」
「覚悟はいいな?」
「うん……」
美優が頷くので、オレも覚悟を決めた。どうやら、自覚している以上に美優に惹かれているのかもしれない。
「このコンタクトは、そこらへんのコンタクトとは違う。つけて三十分以上すると、もう外せなくなる」
「外せない?」
「ああ、これは眼球に同化するタイプでね、なあに、試しに着けて、イヤなら止せばいい」
オヤジのぶっきらぼうな言い方は、並の店の慇懃さより新鮮で、営業慣れしたオレを、その気にさせた。
「あ、あの……値段は? 気にいっちまって、外せなくなってからじゃ、たまらないから」
「代金は、もう美優からもらってる。あとは、おまえさんが気に入るかどうかだけだ」
「美優、いつのまに……?」
「いいの、杉山さんの目が良くなるんなら」
美優の有無を言わせぬ笑顔に負けて、成り行きに任せた。
コンタクトを着けるのは簡単というか、強引だった。美優が、オレの頭を固定して、オヤジが左手で、おれの目玉をひん剥き、ペタンと装着したあと目蓋を閉じさせ、馴染ませるように目蓋の上からスリスリ撫でる。これが痛くはないが無性にかゆい。例えて言うなら目玉が水虫になったような感触だ。
「目玉が水虫い……!」
オヤジと美優が笑った。
片方が終わると、目が開かないように目蓋が絆創膏のようなもので塞がれ、もう片方にうつった。同じようにかゆかったが、二度目は機嫌よく笑うことができた。
「よし、もういいだろう」
両方が終わって、オヤジは静かに絆創膏を外した。
目の前にジジイがいた。
「わ……!」
「ハハ、思ったよりジジイなんでビックリしたか」
美優を見て、さらに驚いた。目鼻立ちの整った、そこそこのやつだとは思っていた。しかし、それは誤解だった。
「美優……こんなに美人だったんだ!」
「もう、人をからかって!」
美優は照れかくしに、ぶつマネをした。
「まあ、三十分考えるんだな」
「いや、考えることなんかないよ。今までのオレはなにを見てたんだって感じ。こいつに決めたよ」
「そうか、じゃあ、そうしな。気に入ってもらって何よりだ。ただ、今夜一晩目はこするんじゃないぞ。一応かゆみ止めはコンタクトに付けておいてやったがな」
「大丈夫、今夜は、わたしが付いているから」
「それは、けっこうだが、あっちの方はひかえてな。興奮するのも半日は……」
「今日のぶんは、十分に興奮したもんね」
「ハハ、若い奴は、アケスケだな」
「じゃ、オジサン、これで」
「どうも、お世話さま」
店を出ようとすると、ショーケ-スに二台のケータイが並べられているのに気づいた。
「オジサン、ケ-タイも扱ってんの?」
「古いタイプだけだがな。スマホは、もうわしの手には負えん」
「これ、オジサンが作ったの?」
「ああ、だから不細工でね、もうほとんど売れないよ。ほら……」
ショーケースの下の段の布をめくると、レトロなケータイがズラッと並んでいた。
「この二台は?」
「ああ、修理を頼まれたんだが、持ち主が亡くなっちまってな」
「そうなんだ」
「わしも、歳だ、いつまでやってられるかね……」
オヤジが顔をツルリと撫でると、意外な愛嬌で手を振った。
「今夜は、わたしんちに来てね。同じ服で会社いったら泊まったの丸わかりだから」
「ああ、いいよ」
階段を上がってセンター街に出ると、その脇道の奥は、眼鏡屋のチラチラする看板以外闇に沈んでいた……。