秋野七草 その四
『ここで遭ったが百年目』
『百年目』という落語がある。
店では謹厳実直な番頭が、店の丁稚や若い者に細かな苦言を呈したあと「得意先回り」をすると言って店を出る。かつてから、こういう時のために借りている駄菓子屋の二階で、粋な着物に着替え、太鼓持ちや芸者衆を連れ、大川に浮かべた船で花見に出かける。
最初は、人目にたたぬよう大人しく遊んでいたが、酒が入るに従って調子に乗り、桜の名所で、陸に上がって目隠し鬼ごっこをする。そして、馴染みの芸者と思って抱きつくと、なんとそれは店の旦那であった。
で、明くる日旦那に呼び出された番頭が、「番頭さん、あの時は、どんな気分だった?」「はい、ここで会ったが百年目と思いました」
この「会う」を「遭う」にしたような事件が妹の七草(ナナ)と後輩の山路におきた。
「やあ、ナナちゃんじゃないか!」
そう声を掛けたときのナナは突然の出会いにナナらしい驚愕と面白さに、一瞬で生気に溢れた顔つきになったらしい。
あとで、ナナ本人に聞くと、一瞬ナナセに化けようと思ったらしいが(といっても、ナナセが本来のナナの姿ではあるが)一昨日切ったはずの指を怪我していないので……ナナセはナナの出任せで、指を怪我したことになっている。で、山路も、それを確認した上で、ヤンチャなナナと確信して声を掛けたのである。
「なんかテレビドラマみたいな出会いだな!?」
「なんで、山路が、こんなとこにいるのよ!」
この二言で、ナナといっしょに昼食に出た同僚たちは勘違い。
「じゃ、秋野さん、わたしたちはお先に……」
「すみません。変なのに出会っちゃって……!」
同僚達は、なにやら勘違いした。
「わたしたちは、いつものとこだから、そっちはごゆっくり!」
そして、桃色の笑い声を残して行ってしまった。
「おまえ、職場だと、かなりネコ被ってんのな」
「あったりまえでしょ。総務の内勤とは言え、この制服よ。会社の看板しょってるようなもんだもん。何十枚も被ってるわよ。でも、A工業の設計部が、なんで昼日中に、こんなとこに居るわけさ?」
「ああ、今日は防衛省からの帰りなんだ。飛行機一機作るのは、ロミオとジュリエットを結婚させるより難しいんだ」
「プ、山男が言うと大げさで陳腐だね」
「大げさなもんか。じゃ、知ってるだけの日本製の飛行機言ってみろよ」
「退役したけど、F1支援戦闘機、PI対潜哨戒機、C1輸送機、新明和の飛行艇、輸送機CX……」
「そんなもんだろ。あと大昔のYS11とか、ホンダの中型ジェットぐらい」
「そりゃ、アメリカが作らせてくれないんだもん」
「いいとこついてるね。F2は、アメさんの横やりで作れなくなったし、ま、そのへん含めて大変なのさ。ところで、一昨日の延長戦やろうか!?」
「よしてよ、こんなナリで、木登りなんかできないわよ」
「昼飯の早食い。これならできるだろ?」
「う~ん、ちょっと待ってて」
ナナは、近くの喫茶店に行き、カーディガンを借りてきた。オマケにパソコン用だがメガネも。
「よーし、天丼特盛り、一本勝負!」
近所の天ぷら屋「化け天」の座敷を借りて、フタも閉まらないほどの洗面器のようなドンブリに入ったメガ盛りで勝負することになった。ご飯は並の倍。天ぷらは二倍半という化け物である。むろん代金は負けた方が払う。
「ヨーイ、スタート!」
と、亭主がかけ声をかけて、厨房へ。ランチタイム、早食いとは言え、終わりまでは付き合っていられない。三分後に見に来てくれるように言ってある。
座敷といっても、客席からは丸見えで、一分もすると、その迫力に人だかりがした。
「ご馳走様!!」
「三分十一秒……こりゃおあいこだね」
亭主の判定と、お客さん達の拍手をうけて、割り勘で店をあとにする二人であった。
地下鉄の入り口で別れようとしたときに、山路のスマホが鳴った。
「出なくていいの?」
「ああ、これはメールだからな」
「そう、じゃ」
「またな」
またがあってたまるか。そう思って、いつものナナ=ナナセに戻って歩き出すと、後ろから山路の遠慮無い気配。
「やったぞ、ナナ。チョモランマの最終候補に残った!」
それだけ言うと、山路は、直ぐに地下鉄の入り口に消えた。
七草は、ナナともナナセともつかぬ顔で見送った……。
『メタモルフォーゼ・13』
信じられない話だけど、中央大会でも最優秀になっちゃった!
本番は予選の一週間後で、稽古は勘を忘れない程度に軽く流すだけにしていた。それでも、クラスのみんなや、友だちは気を遣ってくれて、稽古に集中できるようにしてくれた。
祝勝会は拡大した……って、ややオヤジギャグ。だってシュクショウがカクダイ。分かんない人はいいです(笑)
校長先生が感激して、会議室を貸してくださり、紅白の幕に『祝県中央大会優勝!』の横断幕。
学食のオッチャンも奮発してビュッフェ形式で、見た目に豪華なお料理がずらり。よく見ると、お昼のランチの揚げ物や唐揚げが主体。業務用の冷凍物だということは食堂裏の空き箱で、生徒には常識。
でも、こうやって大皿にデコレーションされて並んじゃうと雰囲気~!
「本校は、開校以来、県レベルでの優勝がありませんでした。それが、このように演劇部によってもたらされたのは、まことに学校の栄誉であり、他の生徒に及ぼす好影響大なるものが……」
校長先生の長ったらしい挨拶の最中に、ひそひそ話が聞こえてきた。
「あの犯人、みんな家裁送りだって……」
「知ってる。S高のAなんか、こないだのハーパンの件もあるから、少年院確定だってさ」
「どうなるんだろうね、うちの中本なんか?」
中本は、ちょっとカワイソウな気もした。もとはあたしに興味を持ってスマホに撮った。好意をもって見ているのは動画を見ても分かった。道具を壊したのもAに言われて断れなかったんだろう……って、なんで同情してんだろ。あの時は死んでも許さない気持ちだったのに。
これが、女心とナントカなんだろうか。あたしも県でトップになって余裕なのかな……そこで、会議室の電話が鳴り、校長先生のスピーチも、ひそひそ話も止まってしまった。
「マスコミだったら、ボクが出るから」
電話に駆け寄った秋元先生の背中に、校長先生が言った。
「はい、会議室です。外線……はい、校長先生に替わります」
会議室に喜びの緊張が走る。
「はい、校長ですが……」
校長先生がよそ行きの声を出した。
「……なんだ、おまえか。今夜は演劇部の祝勝会なんだ、晩飯はいらん。何年オレのカミさんしてんだ!」
そう言って、校長先生は電話を切ってしまった。
「校長先生、県レベルじゃ取材は無いと思います」
「だって、野球なら、地方版のトップに出るよ!」
「は……演劇部ってのは、なんというか、そういうもんなんです」
祝勝会が、お通夜のようになってしまった。なんとかしなくっちゃ。
「大丈夫です、校長先生、みんなも。全国大会で最優秀獲ったら、新聞もテレビも来ます。NHKだってBSだけど全国ネットで中継してくれます!」
「そうだ、そうよ。美優なら獲れるわよ。みんな、それまでに女を磨いておきましょ!」
「男もな!」
ミキが景気をつけてくれて、それを受けて盛り上げたのは……学校一イケメンの倉持先輩だった。
「あの……これ、予選と中央大会のDVD。おれ、放送関係志望だから、そこそこ上手く撮れてると思う。みんなの前じゃ渡しづらくってさ。関東大会の、いや全国大会の参考にしてくれよ」
倉持先輩が、下足室を出て一人になったところで、声をかけてきた。
「あ、あ……どうもありがとうございました!」
「いいって、いいって、美優……渡辺、才能あると思うよ。じゃあ」
あたしは、倉持先輩が、校門のところで振り返るような気がして、そのまま見ていた。
振り返った先輩。あたしはとびきりの笑顔で手を振った。
好き……というんじゃなくて、あたしの中の女子が、そうしろと言っていた。
「恋愛成就もやっとるからね、うちの神社は……」
突っ立っていたあたしを追い越しながら、受売神社の神主さんが呟いた。そのあとを普段着の巫女さんがウィンクしていった。
あたしは真っ赤になった。でも、好きとか、そういう気持ちではなかった。
そういう反応をする自分にドギマギしている別の自分が居るんだ……。
つづく