秋野七草 その一
『そんなつもりは無かった』
そんなつもりは無かった。
ハナ金とは言え、アキバにある男同士肩の凝らない国籍不明の酒屋一件で終わるはずだった。
ところが、二つの理由で、こうなってしまった。繰り返しになるが、そんなつもりは無かった。
理由の一つは仕事である。
防衛省から、ごく内々ではあるが、オスプレイの日本版を作る内示があった。オスプレイの採用は、調査費もついて、ライセンス生産が決まっている。しかしアメリカ的なデカブツで、海上自衛隊で、艦載機として使えるのは、ひゅうが、いせ、いずも、かがなどの空母型護衛艦に限られる。そこで、骨董品になりつつあるSH-60 シーホークの後継機を国産する方針になり、その仕事が、わがA工業に回ってきたのである。むろん他社にも競争させ、基本設計とコストを比較したうえ入札になる。
で、その研究と概念設計の仕事が、わが設計部に回ってきたのである。正式に採用されれば、この三十年ぐらいは、この仕事、タクスネーム「うみどり」で、会社は安泰になる。
で、近場のアキバというオヤジギャグのようなノリで、設計部の若い者達で繰り出した。
もう一つの理由は、話の中で、オレ、秋野大作(あきのだいさく)が、南千住で四代続いた職工の家であると言ったことである。
後輩の山路隆造が感激し、もう一軒行きたいと言い出し、調子にのったオレも「よーし、それなら!」と、上野の老舗のわりに安い牛飯屋に行こうと言ってしまった。
山路と言う奴は、名前の通り山が好きな男で、連休や長期休暇には、必ず休みの長さと天気に見合った山を見つけて登っていた。ウチは爺ちゃんが元気な頃、暇を見つけては山に登りに行っていたので話が合って、気が付けば看板になっていた。山路は、終電車を逃してしまったので、自然に口に出た。
「じゃあ、オレの家に泊まれよ」
かくして、深夜のご帰還とあいなった。
「「ただ今あ!」」
という元気な声が二つ重なった。山路は、酒が入っているとは言え客であるので、神妙にしている。
「ちょ、そこ邪魔!」
と、玄関のドアを叩いて、もう一度の凱歌あげようとする妹の拳を握り、口を押さえた。
「ちょ、なにすんのよ兄ちゃん。妹を手込めにしようってか!?」
「もう、遅いんだ。ただ今は一言でいい。ほら、近所の犬が吠え出した……」
「うっせえんだよ、犬!……あら、いい男じゃん」
そう言うと、酔っぱらいなりに、身だしなみを整え始めた。髪は仕事中とは違うサイドポニーテールというヘンテコな頭に、ルーズな、多分帰り道、酔った勢いで買った、派手なオータムマフラー。それを申し訳程度にいじっておしまい。
「妹さんですか」
「ああ、七草と書いて、ナナって言うんだ。ああ、酒臭えなあ」
酒の入ったオレが言うのだから、相当なものである。
ここまでは、まだ取り返しの付く展開であった。
「どーも、あ、あたし妹の方の七草です」
「あん?」
と、オレ。
「通称ナナちゃん。姉が七瀬って書いてナナセってのがいます。からっきしシャレも冗談も通じない子なんで。兄ちゃん、もうご両親も姉上もお休みのご様子。ここは、あたしの鍵で……あれ、鍵?」
「いや、オレの鍵で……」
「いや、あたしが……」
ナナは、スカートのポケットに手を突っこんだ。その時プツンというスカートのホックが外れる音を聞き逃したのは、失敗。
ここでも、まだ取り返しがついた。とにかく近所の犬が何匹も吠えるので、家に入るのが先決だと思った。
「ここが、お兄ちゃんの部屋。で、こちが、あたしの部屋。その隣が姉上ナナセの部屋。両方とも覗いちゃあいけません! おトイレは、その廊下の突き当たり。では、お休みなさいませ!」
と、この春除隊したばかりの、自衛隊の敬礼をして、その拍子に落ちかけたスカートをたくし上げ、ゲップを二つと高笑いを残して、七草は部屋に入ってしまった。
この時誤解を解いておかなかったのが、この後の大展開とドラマになっていく。
そんなつもりは無かった……。