秋野七草と書いて「アキノナナ」と読む、元陸自レンジャーの我が妹の名前である。
今日は、真面目な話があったので後輩の山路をうちに泊めてやると家に電話した。山路は、こないだも終電に間に合わず泊めてやった。
「すみません。今夜もご厄介になります」
で、不幸なことに、妹のナナが直ぐあとに帰ってきた。「「あ」」と二人同時に声が出た。
「あ、ナナセさんの方ですね?」と、山路が誤解した。
無理もない。そのときのナナは会社で指を怪我をしてテープを貼ってきていたのである。指を怪我したのは、先日のイタズラでおしとやかな(しかし架空の)双子の姉のナナセだと思いこんでいる。とっさに、ナナも気づき、ナナセに化けた。
「先日は、不調法なことで失礼をいたしました」
「いいえ、お怪我の方は……」
「あ、もうだいぶいいんですが、お医者様が、跡が残ると生けないとおっしゃって、こんな大げさなことをしております」
「そりゃ、あんなに血が流れたんですから、お大事になさらなきゃ」
まさか、あの時の血が食紅だったとは言えない。
「今夜は、またお世話になります」
「いいえ、先日はまともにお話も出来ませんでしたから、ゆっくりお話ができれば嬉しいです」
心にもないことを言う。
ナナがナナセとして二階へ上がると、携帯が鳴った。アドレスでナナと知れる。
「どうした、なんでオレに電話してくんだ(なんせ二階からかけてきている)え、今夜は泊まり? どうして、せっかく山路も来てんのにさ。あ、ちょっと山路に替わるわ」
「もしもし、山路。どうしたナナ……ちゃん。せっかく今夜は大事な話が出来ると思ったのに。ほら、例のチョモランマ……ええ、そういうこと言うかなあ。男一生の問題だぞ。あ、笑ったな! おまえな、そういうとこデリカシー無さ過ぎ。今度しっかり教育してやっから。それに、勝負もついてないしな。次は絶対勝つからな! そもそもナナはな……」
これで、今夜はナナはナナセで化け通すことになった。オヤジとオフクロには、この間に、話を合わせてくれるように頼んだ。一家揃って面白いことは大好きだ。
「と言う具合で、チョモランマに登るのには、準備も入れて三か月もかかるんです。うみどりの仕事は、その分みんなにご迷惑……」
「アハハ、そんなこと心配してたのか!?」
「だって、僕も設計スタッフの一員ですから」
「最初の三か月なんて、オモチャ箱ひっくり返すだけみたいなもんだ。アイデアを出すだけ出して、使い物になるかならないかの検討は、そのあと、さらに三か月は十分にかかる。それから参加しても遅くはないじゃないか」
「なんと言っても、オスプレイの日本版ですからね、僕だって……」
「気持ちは分かるけどな、A工業には大戦中からのオモチャ箱があるんだ。それこそ堀越二郎の零戦時代からのな。最初のオモチャ箱選びは、オレだって触らせちゃもらえない。オモチャの整理係なんだぞ」
「負けません。整理係でもなんでも」
「そんなこと言ってたら、チョモランマなんて一生登れねえぞ」
「すごいですね、若いのに二つも大きな夢があって」
「あって当然ですよ。僕にとっては、山と仕事は二本の足なんです。両方しっかり前に出さないと、僕って男は立ってさえいられないんです」
「焦ることはない。お前は帰ってきてから、広げて整理したオモチャの感想を言ってくれ。三か月もやってると、好みのオモチャしか目に入らなくなる。新しい目でそれを見るのが山路の仕事だ。うちの年寄りは、そういう点、キャリアも年齢も気にはしない。自分たちも、そうやって育ってきたんだからな」
ここでナナが化けたナナセが割り込んできた。
「戦艦大和の装甲板を付けるとき、クレーンの操作がとてもむつかしくて、ベテランの技師もオペレーターもお手上げだったんです、俯角の付いた取り付けは世界で初めてでしたから。それを、ハンガーそのものに角度を付けるってコロンブスの玉子みたいなことを考えついたのは、一番若い技師の人だったんです……きっと山路さんにも、そんな仕事が待ってます!」
「ナナセさん。いいお話ですね……でも、そんな話し、どうしてご存じなんですか?」
「あ、これは……父が小さな頃に教えて、ねえ、お父さん……寝ちゃってる」
それから、オレたち三人は技術や、夢について二時過ぎまで語り合った。山路はナナが化けたナナセの話しに大いに感激していた。ナナは、陸自に居たときも、実戦でも、技術面でも卓越したものを持っていた。だから、女では出来ないことにも挑戦しようとし、挫折して退役してきた。民間と陸自の違いはあるが、熱い思いは同じようだ。
そして、オレは気づいてしまった。自分の罪の深さに……。