わたしの徒然草・3
大橋むつお
「ガキなんぞ、つくらんほうがええ!」
すごい言いきりです。
例によって、ドーナツなどをかじり、口のまわりを砂糖と油まみれにして、ねっころがって『徒然草』を読んでいて、目に飛びこんできたのがこの一節です。
第六段『わが身のやんごとなからん』であります。
「自分はセレブであろうが、なかろうが、ガキなんぞおらんほうがええ」と、兼好さんはおっしゃるのです。
兼好という人は一筋縄ではいかない人で、ときに逆説めいた書き方をしており、この「ガキなんぞ、つくらんほうがええ!」と言いはなつものも、次の七段や百四十二段では「子供っちゅうのは、ええもんや」的なことを、のたもうておられ、ブレが感じられます。まじめな読者なら、眼光紙背に徹する根性でお読みのなるのでしょうが、浅学非才、軽挙妄動、軽佻浮薄、付和雷同、牽強付会のわたしは、自分流にビビっときたところで好き勝手に述べるしかありません。
兼好法師の、このブレは、わたしなりによくわかります。
数年前、ヤクルトのオネエチャンがドアホンをピンポ~ンとならし、歯磨きのCMのごときさわやかな声で「おはようございますぅ。ヤクルトですぅ!」と、ヤクルト的元気さと、大阪弁的ハンナリさでやってきた。 こころなし「いつもとちゃうなあ……」と思いつつ、まあ風邪でもひいたんだろうと玄関を開けると、双方思わず息をのみました。
「あっ……!」
「おまえは……!?」
「センセ(大阪弁では、先生の発音はハサミでちょんぎったようにセンセになる)なにしとん!?」
なにしてるもなにも、わたしの家である。「なにしとん!?」は、彼女なりの驚きの表現であります。
彼女はわたしの教え子であり、卒業以来、ほぼ十何年ぶりの再会でありました。在学中は、茶パツのギャルメーク、マタ下八センチのミニスカにルーズソックス。油断をするとすぐに授業中でも携帯をいじり、注意すると「わぁってるわ(わかってるよ)……」と、上目づかいににらんで、ふて寝。一人称は「わし」 彼女というか大阪人の名誉のために申しあげておきますが、この「わし」、本人は「わたし」と言っているつもりなのです。大阪の人間ならば、男の「わし」と女の「わし」の違いは分かるのですが。大阪以外の人には、おそらく区別がつかない。つまり彼女は、ありていに言えばウザイ生徒であり、彼女からすれば、わたしがウザイ担任であった。たがいに「なくてありなん」存在でありました。
最初こそ「あ、おまえ……!?」「センセなにしとん?」でしたが、あとはかいがいしく濡れたヤクルトのパックをていねいにふき「毎度ありがとうございます。○○円(値段を忘れた)ちょうだいします。はい、二千円おあずかりします。○○円のお返しです」と、きちんと手を添えてお釣りをくれました。まあ、マニュアルどおりといえば身もフタもないのですが。きちんとした、心のこもった対応でありました。そのあと十分あまり、たがいに河内(かわち)弁まるだしの会話で、「わし、今二人子供おんねん……知っとう、だれそれは今なあ……」「ほんまかいなあ」などと世間話「あ、仕事やさかい、もう行くわ」
ええネエチャンになりよったなあ……しかし、ゲンチャを発進させるときのこきみいい地面のけり方、急発進は昔のイケイケネエチャンままでありました。
ひるがえって、我が子を見れば、もう中二にもなろうというのに、ヒマさえあれば『三国無双』『スーパーマリオ』 ネジがゆるんだように、ホ~と口を開けていそしんでおります。晩婚であったことや、自分の半生をかんがみ、結婚当初、こどもなど「なくてありなん」でありました。「できた」と奥方に言われたとき、正直頭をよぎったのは「しもた!」でありました。それを見すかしたのか「生むで!」と、宣言された。
それから七ヶ月あまり、平成八年五月二日。思えば、六時間目、体育館での学年集会が終わり、ノラクラする生徒(さっきのヤクルトネエチャンもこの中にいました)に「さっさと教室いかんか! はよ出え! はよ出んかい!」と叫んでいたころに、愚息は奥方の腹から出ました。
「なくてありなん」の心境であったので、愚息と初対面のときは、愛情というよりは、とまどいと責任感。一人ナンギな転校生を受け入れた心情に似ていました。
名前をつけるのは、あっさりとわたしにまかされました。半日悩んだ末に、敬愛する司馬遼太郎先生から、一字をいただき「遼介」としました。長男であるので、まんま「遼太郎」でいいのですが、雀の子は雀。「太郎」では荷が重かろうと、人の二番目くらいがいいであろうと考えて「介」の字にしました。律令の官制で二等官をあらわす字であります。
気楽に市役所の戸籍課に届けを出しました。そこで思わぬクレームがつきました。
わたしは「遼」の本字、シンニュウに点が一個多い字で提出したのですが、人名漢字にその字がありません。遼太郎の遼は点が一個多い方が本字。われながら、どうかしていました。戸籍課長を相手にわたりあい、将来人名漢字にこの本字が加えられたら、家裁に持ち込めば、おそらく変えられるであろうという見通しが得られるところまでねばりました。
長ずるに及び、通りすがりの女子高生の集団に「めっちゃかわいい!」と言われ、デレデレ親父になり、ピアノや水泳を習わせ、その上達ぶりに「トンビにタカ」と喜び。小学校の「良くできました」の行列に欣喜雀躍。末は博士か大臣か!?と、まことにめでたいアホ親ぶり。今は地元でも一等有名な進学塾にかよわせております。さぞや、弘法大師のご幼少のみぎりをホウフツとさせる少年に……と、思いきや、『三国無双』と『スーパーマリオ』に、呆けた口をあけ、成績表は三のオンパレード。
「なくてあらまほし」は、わが頭に創り上げた優等生としての息子の虚像こそでありましょう。せめて……いや、理想として、わが教え子のヤクルトネエチャンのように育ってくれれば……「なくてありなん」。このように読んだのですが、兼好法師のおっさん。いえ兼好法師さま。いかがでありましょうか?