大橋むつおのブログ

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らいと古典『わたしの徒然草49 少年老いやすく……』

2021-03-18 05:56:40 | 自己紹介

わたしの然草・49
『少年老いやすく……』    

 



徒然草 第四十九段

 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。(後略)

「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」
 前半はこれと同意ですね。人生はあっと言う間で、なかなか事をなし難い、だからちょっとした時間も無駄にしてはいけないぞ。さっさとやらなければならないことをグダグダやってんじゃねえぞ。

 後半は、ゆっくりやってりゃいいものを、急いでやって失敗すんじゃねえぞってな内容です。

 人が大人になるまでに、折に触れて言われることですね。

 たいていは、格言通りには無しえずに、自分の子どもや生徒やらの若い世代に、自分の事は棚に上げて忠告しては煙たがられます。

 ピラミッドの中の落書きにも「今の若いもんは……」という年寄りの繰り言があるんだそうです。

 いつの時代も、人間とは、世代を超えて、そういうアホらしさがあるもので、それが人間の可愛らしいところだと思います。兼好も、全体を通して読むと、そういう可愛らしさを愛でているようにも思えます。

 まあ、兼好も世間のオッサンと違わないということですね。この四十九段は、教訓めいて、あまり面白くありません。

 少し見るところがあると思えるのは「古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ」のところでしょうか、当時の日本人は十人生まれて五十歳まで生きられるのは一割か二割、半分以上は成人するまでに死んでいます。

 わたしはゴジラと同い年です。統計的に見ると、同世代の一割ちょっとが鬼籍に入っています。

 指を折って見ると五人の同級生が亡くなっています。前後三年くらいの幅で数えると、二十人ほどになるでしょうか。分母は「親しい」の括り方にもよるのですが、二百人ほどです。事故死は一人だけで、残りは病死、心臓疾患と癌とが半々というところです。心臓も癌も患っている時間が長く、どの友人知人も、家族込みで大変でした。下世話な話ですが、年金支給前に亡くなると、残されたご遺族(ご遺族も、たいてい知った仲です)の大変さを思うと胸が塞がります。

 兼好さんは、付き合いの多い人ですから縁故の九割が亡くなっていたでしょう。そして、その多くが成人前に亡くなっていることでしょう。

 その死者の数の多さは、戦争で大勢の友人知人を亡くした親たちの世代と同じだと思います。

 生きているうちに、親たちの世代から、もうちょっと話を聞いておけばよかったと、ちょっと思います。

 

 


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