大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・103『アメイジングスパイダーマン2: テルマエ・ロマエⅡ』

2016-11-24 06:16:49 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・103
『アメイジングスパイダーマン2: テルマエ・ロマエⅡ』

この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ



 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評を転載したものです


行って来ましたよ、梅田TOHOプレッツ。

 8:30でもそこそこ人がいましたが、別館でスパイダーマン見て本館に帰ると……なんじゃ こりゃぁ!!!!満員電車かい!!

スパイダーマン2

 嫌な予感はいきなり来ました。いきなりスクリーンにデカデカ“SONY”の文字!続く“COLUMBIA”の社名の下に“SONY CO.”の文字……よっぽど自信がおありになったんでがしょうねぇ…(´ヘ`;)ハァ~~ 映画はマンガに先祖帰りしとりました。
 本作で一番迫力が在ったのは“予告編”でありますわい……嗚呼(滂沱たる涙)有ったなぁ、「メン・イン・ブラックⅠ」 予告編見たら本編見る必要なし。この映画、コンベンションで30分の予告編を流したとか……その方がよっぽど面白かったんやなかろうか。予告を見る限り、スパイダーマンは複数の敵に囲まれて絶体絶命!「こぉら えらいこっちゃ!」と思うたに…本編ではちまちま1対1で盛り上がらん事夥しい。スパイダーマンの懊悩もグゥエンとの付き合いに関する事ばかり、スパイダーマンの活躍によって、さらに破壊が広がる件についてはほんの付け足し、編集長(出てこないが)は未だに「スパイダーマンは悪者だぁ」と言いつのっている。
 ピーターの両親の最後が出てくる。忌まわの際にデータを送るが、その内容たるや……嗚呼(涙) これ、原作の通りなのかもしれませんが、スパイダーマンでは毎回彼の大事な人が誰か死ぬ。今回は○×△が亡くなった、なんともお可哀想に、ほんで たらたら悲しんでおる所にまたもや怪人出現で大フッカァ~ツ。目出度し目出度し(拍手) 毎度 大暴れいたしますが、今回もニューヨークから一歩も出ず……しゃあないですか、ビルが林立していないと糸を頼りにブッ飛んで行けませんもんね。 兎に角、期待外れもええとこでありました。


テルマエ・ロマエⅡ

 典型的な二番煎じ(また涙) 前作よりも広がりは感じるし、群集モブシーンの撮り方も各段の進歩。とは言うモノの、ダラダラと前作の続きを作ったに過ぎない。まぁ、これで終わるでしょうが、その気になったら“日本全県温泉巡り”っつなもんでシリーズ化するかもね。
「フーテンの寅さん」か「トラック野郎」じゃあるまいし、まさかそりゃあなかろう……と、思いますが……今日の入り(満員)からすると、あながち、いやいやおまへんやろ。
 前作には“比較文化”のメッセージが ちゃんと在りましたが、本作はただただ日本の温泉をコピーしまくるのみであります。それでも、観客を楽しませようっちゅう工夫は十全にこらされてますから、楽しめるのは確かです。
 ただねぇ……二列位後ろに座ってたオバハン〓〓 映画の真ん中辺から、何を言うてるんやらハッキリとは判らんかったがウダウダと……ってん〓じゃっかましいんじゃ〓〓見ながら喋りたかったらテレビでオンエアされるの待っとけ!ちゅうんじゃい〓〓〓 二度と映画館に来るんやないわい〓〓 てな訳で、非情(コノジノキブン)にドッと疲れた半日でござりました。後、“相棒”も行かんとあかんのですが……大丈夫やろなぁ(汗)3日からのH・ジャックマン“プリズナー”も……頼んまっせ。

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高校ライトノベル・秘録エロイムエッサイム・4(真由の最初のエロイムエッサイム)

2016-11-23 06:46:20 | ノベル
秘録エロイムエッサイム・4
(真由の最初のエロイムエッサイム)



 沙耶が五時間目に事故死したことは、六時間目が終わって分かった。

 五時間目に救急車が来て校内は騒然とした。直ぐに警察が来て事件性はないか、設備上の不備はないかと警察とマスコミもやってきた。
 そして、六時間目の間に、沙耶の死亡が病院で確認された。
 六時間目のあとは、臨時の全校集会になり、校長が沈鬱な表情で事情の説明をした。
 沙耶のクラスがごっそり抜けていた……警察の事情聴取を受けているんだろうということは容易に想像できた。全校集会のあと真由は事故現場に行ってみた。何人かの同級生が泣きながら実況見分に立ち会っていた。

――あたしのせいなんだ――

 真由は、どうしても自分を責めてしまう。気に掛けないでくださいと、最後に沙耶は言った。でも自分が殺したという気持ちから抜けきれなかった。
「……検死解剖」
 そんな一言が耳についた。そうだ、テレビのドラマなんかでもやっている。こういう場合、状況から死因が特定できても、本当に事件性がないかどうか検死のための解剖がされるんだ。
 冷たいステンレス製の解剖台の上に裸で寝かされ、喉の下から下腹部まで切り裂かれて、内臓を取り出され、あれこれ検査される。思っただけで真由は恐ろしく、おぞましく、かわいそうだった。

『この世よなくなれ』と『わたしを殺せ』という内容のことだけは願っちゃいけない……沙耶の言葉を思い出した。

――今なら助けられる!――
 真由は、そうひらめいた。ダメ元で、真由は小さく声にした。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……沙耶を助けたまえ!」
 効果が表れたのは家に帰ってからだった。

「ねえ、この小野田沙耶って、真由の友達の妹じゃないの!?」
 帰ると、母がリビングから顔を出し、興奮気味に言った。
――ああ、やっぱダメだったのか――
 そう思ったが、違った。

――さきほどもお伝えいたしましたが、A女子学院で階段から転落し、一時死亡が確認された女子生徒が、死亡確認後二時間たって蘇生したとA警察と病院から発表されました。当該の女生徒は、同校一年生の小野田沙耶さんで……――
 夕方のワイドショーのMCが自分の事のように嬉しそうに繰り返していた。母親は、それが伝染したように、涙ぐんでいた。
 真由は、魔法が効いたことを実感した。

「ちょっといいですか?」
 本人の沙耶が、二日後の昼休みに真由の教室にやってきた。前回と違って、教室のみんなが注目「おめでとう」「よかったね」と声を掛けられていた。沙耶は照れながら真由のブロックにやってきた。
「ちょっと、例のところまでよろしく」
 今回は目立たないように、沙耶が先に行き、少し遅れて真由が続いた。

「朝倉さん、あなたとんでもないことやったんですよ……!」
 沙耶は、小さく、でもしっかりと真由の目を見つめて言った。
「なんのこと?」
「あたしが、今こうしてここにいること」
「やっぱり魔法が効いたのね!」
「シッ、声が大きい」
「ごめん、でもよかった。ほんとに効いて」
「よくないんです。沙耶は死んでいるんです。二日前に魂は、あの世にいっていたんです。人間は死ぬことが分かると、怖さや諦めから、魂だけ先に、あの世に行っちゃう人がいるんです。死ぬまでの何十時間は、いわば惰性みたいなもので、魂の無い状態なんです。こういうのを易学では『死相』が出ているといいます。あたしは、そんな沙耶の体を借りて、あなたに忠告にきたんです」
「じゃ……あなたは?」
「正体は言えないけど、この世のものじゃありません。でも、二つ言っときます。あたしはこの体が死ぬまで小野田沙耶として生きていくんです! それと……もういいわ、あなたを傷つけるだけだから。メアドの交換やってもらえます?」
「え、ええいいわよ」
「これからは、時々真由さんに連絡しなければいけないことが起きそうだから」

 ちょうどそこへ、沙耶のクラスの子たちがやってきて、ピーチクやり始めたので、沙耶は、それに合わせ、真由は教室に帰った。

 真由は、まだ本当には、自分の力が分かってはいなかった……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・102『Ca. アメリカ/ ウィンターソルジャー』

2016-11-23 06:21:44 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・102
『Ca. アメリカ/ ウィンターソルジャー』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ



 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一の映画評を転載したものです。

スカーレット・ヨハンセンが綺麗。

  可愛い~グフッ ありゃりゃ! いきなりスタイルが良くなったよ! 足も長く成った?……と思いきや、これはスタントマンの後ろ姿やね。オシマイ〓 ……ちゅう訳には行きませんか、そらそうでんな。
 まずは、いよいよ本格的にマーベル(ちゅかディズニープロ)が牙剥き出したなって事です。  
 本作は、ハッキリ“アウ゛ェンジャープロジェクト”を名乗っています。アウ゛ェンジャーズ①以降、マーベルのヒーローシリーズにはプロジェクトの冠が着いていましたが、ちょっと遠慮がちでした。本作はほんまに頭からプロジェクトを名乗っています。 今作だけを見て楽しめるのは50%だけ、最低“Ca.アメリカ①”を見ていないと敵の実像が解らない。少なくとも、後“アイアンマンシリーズ”“アベンジャーズ①”を見ないと世界観が解らないし、直面する危機の実相が浮かんでこない。かくして、ディスクがまた売れるっちゅう構造になっております。
 本作はシネマベリテ(主にドキュメンタリーの手法。同時録音やインタビューを盛り込んで臨場感を持たせる)風の作り方に成っていて、誰が味方なのか解らない状況の下サスペンスを盛り上げる形に成っているのだが、それだけに「敵の正体」を知っていないとストーリーに置いていかれる。
 観客は大多数マーベルワールドを知悉しているとのマーケットリサーチが出ているのだろう、「遅れて来た方々は一生懸命追いついて下さいよ」っちゅう自信の程が窺える。

 なら、そのつもりで書きます。

 まず、Ca.アメリカは悲しい存在です。ひ弱な肉体ながら人一倍正義感が強く、何より国に忠誠心を持っている。元々アメリカの戦意高揚コミックとして登場していますから、このキャラクターは外せません、今のアメリカにも必要な性格でもあります。彼はドイツ軍の中の核心的組織ヒドラの陰謀を砕き、自らは氷塊の下に沈んで70年の眠りに着く。現代に蘇生した彼の周りには一人の知人もいない。この、現代の浦島太郎は、それでも懸命に適応しようと努力しており、自ら払った犠牲も人々の自由を守ったのだと納得している。
 そんな彼に、自身が滅ぼした組織に代わって登場した物が牙を剥く、自分は一体何したのかとの懊悩が生まれる。折から、少数生き残っていた70年前の知人が死を目前にしており、かつ、もう一人見つけた知り合いは呆然とするような変貌を遂げていた。キャプテンは現代に生きようとしながらも、70年前からの続きを生きているのであり、その魂は70年前のスティーブ・ロジャーズそのままなのである。
 そんなキャプテンのレーゾンデートルを支えている「自己の行動に対する正当性」を脅かされるエピソードが本作の大きな柱に成っている。キャプテンのみならずSHEALDを率いるフューリーにせよブラックウィドーにせよ、何かしら重い物を背負っている。
 ここまで来ると原作コミックを読んでいないとさっぱり解らない。大体がキャプテンアメリカの初出が40年台、フューリーが60年台、ブラックウィドーはよう知りませんが まぁ6~70年台でしょう。第二次大戦~冷戦時代(朝鮮戦争・ベトナム)~アフガン・イラクとアメリカが戦う戦争の変化に連れてヒーローに求められる姿は変化してきています。
 キャプテンも徐々に変化しているのですが、元々のレーゾンデートルを大幅に書き換える訳には行かない。フューリーは恐らくベトナムを引きずっているだろうし、ブラックウィドーは冷戦構造の歪みから生まれたのだろう。 各々の内面を覗けば、全く違うベクトルが見える筈です。その全く違う要請から生まれたヒーロー群を“アベンジャーズ”の名の下にひとまとめにするのは相当に無理がある。
 まぁ、DCコミック系(バットマン/スーパーマン)に比べれば、マーベル系のヒーロー達はあんまり悩まないのですが、勧善懲悪が有り得ない現代、マーベル系ヒーロー達も懊悩せざるを得ないのです。
 この、何もかも相対化せずにはおかない時代に「我こそは絶対正義なり!」と胸を張る事は誰にも許されません。
 本作の対立構造は“ヒドラが画策する秩序(SHEALDの思い描く秩序も似たり寄ったり)”対“キャプテンアメリカの守って来た自由”です。当然、自由の勝利に終わりますが、それはヒドラだけにとどまらずSHEALDにも牙を剥く事になる。 この歪んだ結論に一体誰が責任を持つのか?  新秩序は何に拠って打ち立てられるのか?  
 当然、完全無欠な答など有る訳は無く、精々「納得いく妥当性を与えよ」が精一杯なところ。この辺り、日本の幕末を当てはめれば分かり易い。幕府 対 薩長なんてな簡単な図式で無いのは皆さんご存知の通り。勤皇/佐幕/倒幕……開国か攘夷か、攘夷にも大攘夷と小攘夷の差がある。しかも幕末の登場人物達は一つの立場を守り通した者の方が少数であり、大方は時と情勢に添って微妙に、ある者は大胆に考え方・立場を変えつつ明治へとなだれ込んでいきました。
 アメリカンコミックは一つのシリーズが終わってもマーケットリサーチで主人公に人気が有れば再開されます。新シリーズに際して、さらにマーケットリサーチしてヒーロー像が決定され脚本家を招請、作画家が決定されます。だからヒーロー達は時代の雰囲気によって、大きな存在価値を変えないまでも微妙に性格を変えて行く。昔は堂々と“アメリカの正義”を名乗ってはいても、現代においては何が正義なのかが解らない。ましてやアメリカ単独の正義など大声で叫んでもアメリカ本国でもそっぼを向く人々がいるでしょう。だからキャプテンアメリカも、所属する組織に牙を剥く結果に成ろうとも、自ら忠誠を誓った物に殉じざるを得ない。彼は「アメリカ」に忠誠を誓ったが、「アメリカ」とは「政府」ではなく、“国土”であり“郷里”であり、そこに生きる人々なのです。求めた“自由”はアメリカ国家の自由ではなく、“人々の自由”だと“彼自身が悟った”のです。
 スーパーヒーローの抱え込んだ悲劇(元々の発生からすれば)とも言えますが、現代を生きるならば必要な変化なのです。

 さぁて、ばらしちゃいますが、ヒドラは完全に壊滅した訳ではなく細胞が残っています。次回作でのリベンジを誓っています。キャプテンアメリカの次回作は“アベンジャーズ②”……って事はアベンジャーズの次なる相手はヒドラ? アベンジャーズ①のラストで次回作での敵は別な宇宙人だったのでは? 更にアベンジャーズ②の前に公開されるのは“スペースガーディアンズ”っちゅう新キャラクターによるスペースオペラ、これまでのシリーズ経過からすると、この新キャラクターもアベンジャーズに絡むはず。
 そうなると、本作のウィンターソルジャーが次回作でどうなるのか、アスガルドのロキはどう動くのか……etc.
 原作を読んでりゃ判るんでしょうが、風呂敷を広げ過ぎて収集つかんのやないですかねぇ。これを圧倒的な画作りで見せきるつもりなら、一体どんな映像を見せてくれるのか。お手並み拝見であります。

 私ゃ ブラックウィドーが綺麗やったら それだけで全くO.K.ではあります。ダハハハ〓

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高校ライトノベル・秘録エロイムエッサイム・3(助けた命 助けられなかった命・2)

2016-11-22 06:50:10 | ノベル
秘録エロイムエッサイム・3
(助けた命 助けられなかった命・2)



 朝倉真由が通うA女学院は、最寄りの駅から歩いて八分ぐらいの高台の上にある。

 今朝は、この坂道に10分以上かかってしまった。
 ついさっきのことが頭から離れないのである。
 目の前でG高の女生徒が、特急に跳ね飛ばされ大惨事に……なったはずである。
――だめ!――と、反射的に思って目をつぶった。
 そして、目を開けると、G高の女生徒は、何事もなく特急が通過したあとのホームを歩いて、真由と同じ車両の隣のシートに座った。そして、A高の一つ手前の駅で降りて行った。

 坂を上って、学校が近くなり、同じA高の生徒たちの群れに混ざってしまうと、あれは夢だったんだという思いが強くなった。今朝は朝寝坊して少し寝ぼけていた。だから、駅に着いた時も、頭のどこかが眠っていて、幻を見たんだ。真由は、今朝の出来事を、そう結論付けた。そう思わせるに十分な青空が真由の上には広がっている。

 学校では箕作図書館が焼けたことが少し話題になっていたが、ほとんどいつもの学校だった。真由も一時間目の英語の長ったらしい板書を写しているうちに忘れてしまった。

「朝倉さん、いらっしゃいますか?」

 昼休みお弁当を食べ終わると、見知らぬ一年生が、教室の入り口でクラスの生徒に聞いていた。
「真由だったら、窓際」
 そう言われて、その子は、ニコニコ笑顔で、真由たちのブロックに近づいてきた。ブロックの仲間が、一斉に、その子と真由を見比べた――知り合い?――仲間たちは、そういう顔をしていた。
「突然すみません。小野田沙耶っていいます。朝倉さんが一年のとき一緒だった小野田麻耶の妹です」
 そう言えば、どことなく麻耶に似ていた。でも性格は真逆のようで、上級生の教室に入ってきても、ぜんぜん緊張していなかった。真由の知っている姉の麻耶は、教室でも目立たない子で、席が近くだったので、少しは喋るという程度の仲でしかなかった。その妹が何の用だろう。

 南階段の踊り場で話をすることにした。日当たりが良くて、人目を気にせずに話ができるからである。

「今朝、G高の生徒が死にかけましたね」
 真由は、ギョッとした。自分自身やっと白昼夢だと整理したばかりのことであし、誰にも喋っていない。それをこの子はなぜ知っているんだろう。真由はパニック寸前になった。
「落ち着いてください。あのG高の子は死んだんですけど。朝倉さんが助けたんです」
「あ、あたしが? どうやって? どういうこと?」
「一瞬『ダメ!』って思ったでしょ。あれで助けてしまったんです」
「そんな、あたしに魔法が使えるとでも言うの……」
「ええ、今朝から。朝起きた時におでこに血文字が浮き上がっていたでしょ?」
「あれも、本当にあったことなの?」
「夕べ、箕作図書館が焼けました。あれで魔道書の封印が解かれて、朝倉さんの頭に焼き付いたんです。朝倉さんの四代前のお婆さんはイギリスから来た人です。四代が限界なんです……魔道を受け継ぐの。正式な魔法の使い方をお教えしておきます。心の中で『エロイムエッサイム、エロイムエッサイム』と唱えてください。意味は『神よ、悪魔よ』という呼びかけ。コールサインですね。あとは念ずれば、たいていのことは叶います。叶わないのは『この世よなくなれ』と『わたしを殺せ』という内容のことだけです。別に使命を与えられたなんて、安できのラノベみたいに考えなくていいですから。あなたは、魔道継承の適任者だった。それだけですから」
「小野田さん、あなた……」
「真由さん。あなたは死ぬはずだった人間を助けてしまったんです、ただの恐怖心から。帳尻が合いません。代わりにいま喋っている、この子が死にます。でも、気に掛けないでください。この子は明日事故で死ぬはずなんです。それが一日早くなるだけですから。それじゃ」
 それだけ言うと、沙耶は皮肉とも励ましともとれる笑顔を残して、階段を下りて行った。

 そして、五時間目の教室移動の途中で、小野田沙耶は階段を踏み外し、首の骨を折って死んでしまった。

 真由は、死ぬべき人間を助け。たった一日とは言え、生きているはずの人間を殺してしまった……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・101『ローンサバイバー/ウォルト・ディズニーの約束』

2016-11-22 06:30:08 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・101
『ローンサバイバー/ウォルト・ディズニーの約束』

この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ



これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に、身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


ローンサバイバー

“ブラックホーク・ダウン”と同じく、実話です。
タリバンの指導者を狩る作戦で、米軍SEALの偵察隊4名が、現場で出会った村人を解放した為、タリバンに通報されて囲まれる。激戦の中、3名死亡、救出に来たヘリも一機撃墜され、たった一人残った兵士を救ったのは ある村のアフガン人だった。
 何故、アフガンに米軍がいるのか……タリバンがアメリカを憎むのは何故か……この戦争に大義名分はあるのか……ets これらに触れずに本作を語れない。

 しかし、止めます。

 私が「宗教原理主義」を憎悪している事も、アメリカの強引な論理を認めない事も……一切排除して、不屈の男達の物語として語りたい。
 ハリウッドの論理に嵌ったと言われても仕方ないでしょう。確かに、アメリカ人のヤンキー魂に火をつけるストーリー(実話ではあるが、あくまで劇映画)だし、SEALの宣伝と言っても良い……しかし、男達の比類無き勇気と友情に溢れている作品であり、そこに感動が生まれる。
“ブラックホーク・ダウン”では、敵のアフリカ人は単なる野蛮人でしかなかったが、本作ではそのようには描いていない。マーカス・ラトレル兵長を助けてくれるアフガン人がいたと言う事情もある。ハリウッドが表現の論法を変えた(現在、状況を相対的に捉えない作品は陳腐化される)とも言える。
 しかし、作品の裏側にある あらゆる事情を乗り越えて、感動を見る者に伝えてくる。
 本作を見て、嫌悪感しか覚えない人は大勢おられるだろうが、敢えて言いたいのです。これまでの映画では、米軍のSEALといえばスーパーマンの集まりってな風に描かれ、彼らに不可能な作戦は有り得ないように語られる事が多かった。この映画では、確かに筋肉アーマードではあるが、ごく普通の人間として描かれる。
 タイトルロールに重ねて、本物のSEALの選抜シーンが流れる……訓練なんてな範疇には無い、下手をすればどころか殺すつもりの選抜、これを乗り越えるだけで互いに尊敬しあい、絶対の友情が生まれる。そんな男達だから、絶望的な戦況にあっても戦う事を止めない。そんな事が可能なのかと思えるような行動を躊躇なく取る。実話の重みもあって、戦闘する人間の究極の姿がスクリーンに映し出されている。そんな彼らが一皮剥けば 当たり前の人間なんだと言うところに感動がある。
 批判的に見れば“否定”する以外に無い作品ながら(日本人とすれば……本作の意味を問うのはアメリカ人に任せる)ただただ 戦う男達の姿に敬意を覚える。マッチョイズムだとの批判は甘んじて受け入れます。
 しかし、戦う者に敬意を表し、物語を与える(アメリカの国策ですが……)この国が羨ましくもあるのです。ベトナムの反省(帰還兵士を狂人扱いした)も有るのでしょうが、国の為に戦った人間を顕彰するのは至極当たり前な行為であると考えます。


ウォルト・ディズニーの約束

 いやいや、あの“メリー・ポピンズ”にこんなインサイドストーリーがあったとは……確かに、単に楽しいだけのファンタジーじゃないとは思ってはおりました。
 しかし、全く違う解釈をしていました。えっ? どんな解釈かって? ご勘弁を、こんな仕事を始める前の、ほんのガキの感想ですけぇ。
 なる程ねぇ、原作者にはこんな悲しい歴史が有った訳ですか、「ハリー・ポッター」のサーリングが シングルマザーで金も無く、カフェの片隅で粘りながら執筆していたとか、「指輪物語」のトールキンは本気で神話を作るつもりだったとか……こいつは知らなきゃ思い至らない話です。
 原作者のトラバース夫人は、ウルトラ気難しい女性。なんせ、あのディズニーが20年に渡って映画化権交渉しながらも口説き落とせない相手! 一体どんな人なのかと見ていたら……こらぁ あきまへんわ、アタクシでしたら出逢ったその日に匙投げてます。
 しかし、ディズニーが20年かけても映画にしたかった物語、担当者だって真剣にならざるえない。
「メリー・ポピンズ」の脚本担当だったドン・ダグラティはまだ生きていて、ミズ・トラバースとの間に良い思い出がある訳もなく……彼は本作を見て号泣したそうです。
 これからご覧になる方々の感動の邪魔になっちゃいけないんですが、ミズ・トラバースにとって「メリー・ポピンズ」は単なる物語ではなく、子供の時の大切な……美しくも楽しくもあり、かつ悲しい思い出……しかも未だに自分の人生を縛っている出来事が下敷きになっていて、彼女にしてみれば人生そのもの、けっして妥協なんぞ……冗談じゃない。
 話はディズニーがミズ・トラバースの過去を探った所から回り始める。これ以上書くのは愚の骨頂ってもんで、この先は劇場で確かめて下さい。きっと、もう一度「メリー・ポピンズ」を見たくなります。
 エンドロールに実際のミズ・トラバースの声が出てきます。エマ・トンプソンの声かと思いましたわ。名優と言われる人は本間になりきります。私らみたいな付け焼き刃役者には想像もできん世界です。

 てな訳で、本日は実話2連発でした。

 どちらも感動作かつ、どちらも今年のアカデミーノミネート、しかも両方無冠です。 そらそうやろね、ノミネートまではええけんど、この両作品に賞を与えるのは考えもんでしょ。片や、9.11はあったものの大儀に?マーク付きの作品。片や、感動ストーリーながら、本の当事者が社長だった会社の作品……“コマーシャルじゃん”といわれたら否定のしようがない。
 しかし、そんな事情は一切捨てた所から見てみたい作品達でありました。

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高校ライトノベル・秘録エロイムエッサイム・2(助けた命 助けられなかった命・1)

2016-11-21 07:03:19 | ノベル
秘録エロイムエッサイム・2
(助けた命 助けられなかった命・1)



 駅につくと、改札を抜けホームにたどりついた。

「ああ、よっこいしょ……と」
 思わずお婆さんのような言葉が口をついた。隣に腰かけたキャリア風のオネエサンがクスクス笑っている。朝倉真由は真っ赤になった。
「ごめんなさい。出るわよね、朝急いで電車の席に座れたときなんか」
「アハハ、ども」
 真由は自分の中にお婆さんがいるような気がしたが、すぐにこの言葉が自然な年ごろになるんだと開き直り、当駅仕立ての準急に乗れたことをラッキーと思ったが、束の間だった。八十ぐらいのお婆ちゃんが真由の前に立ってしまった。
「あ、どうぞ」
 真由は潔く立って席を譲った。
「どうも、ありがとうね」
 お婆ちゃんは素直に座ってくれた。こういう時、変に遠慮されると気恥ずかしいものである。キャリア風が「ナイス」というような顔をした。真由はこういうのが苦手であった。コックンと目で挨拶して、反対側の吊革につかまった。
 島型のホームなので、電車を待つ人、ホームを歩く人が良く見える。真由は、こういう時退屈しない。人間と言うのは、なんだかんだ言ってもアナログの極みで、電車を待つという行動だけで千差万別である。それを観察しているだけで楽しいほどではないが時間つぶしにはなる。
 この準急は、特急の通過待ちなので、発車まで二分近くある。観察は、より深くなる。ホームにいる大半の人がスマホや携帯を見ている。集団の中の孤独という言葉が浮かんで、思わず写メる。真由の、ささやかな趣味。いろいろ撮っては自分一人で楽しんでいる。一頃友達に見せたりしていたが、コピーされてSNSに流されたことがある。男女の学生風が至近距離ですれ違う瞬間で、女子学生が偶然目をつぶった、切り取ったコマは、まるで二人がキスする瞬間のように見えた。関係者が、この写メに気づいて、冷やかしのコメントでいっぱいになり、本人とおぼしき女学生が「迷惑している」という書き込みをしていたので、それ以来、自分一人の楽しみにしている。

――G高いいな。あの制服のモデルチェンジは正解だよ――

 そう思って見ていると、刹那無意識に人を避け、そのまま重心を戻せずに、線路側によろめいて落ちた。そこを特急が通過!
 血しぶきをあげて、女生徒の体はバラバラになって弾き飛ばされた!

――だめ!――

 瞬間心で、強く思った。目はつぶったがスマホのシャッターは切っていた。
 阿鼻叫喚になる……はずであったが、特急は、何事もなく轟音を立てながら通過していった。跳ね飛ばされたはずの女生徒は、スマホを見ながら平然と準急にのってきた。そして真由の横で吊革につかまった。
――え、なんで……?――
 習慣でスマホを見る。いま撮ったばかりの惨劇が写っていた。思わず口を押えた……そして、写メはしだいに薄くなって、当たり前のホームの朝の姿に戻っていった……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・100『ROBOCOP /アナと雪の女王』

2016-11-21 06:39:27 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・100
『ROBOCOP /アナと雪の女王』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


ROBOCOP

これだけ映画のSFXが進化して 様々なSF作品がリブート(再起動…リメイクとは意味が異なる)される中 「まだやらんのかい!」とイライラしながらまっていたのが、まさしくこれでした。

 まず、映像から言うと若干の不満はあるものの、この先シリーズ化されるとして(アメリカでは今一の成績、今後 世界でどれだけ稼ぐかにかかっていますが)その前提で考えると ギリギリ合格点を付けて良い出来上がりになっています。         
 当然の事ながら87年のヴァーホーベン版の どこか漫画チックな画面とは一線を画し、まさに“生きたロボコップ(?)”が暴れまわっています。
 監督のジョゼ・パジーリャ(ブラジル人/主にドキュメンタリー監督「バス174」/ドラマ「エリート・スクワッド」)は87年版とは違うロボコップを作ったが、前作へのリスペクトは全編に溢れている。
 細かい描写はこれから見る人の邪魔になるので割愛しますが、設定に穴が少々……幾つか有りますが、主にロボコップの生体部分維持(前作では ワザと無視してあった)へのこだわりと、そうした場合のメンテナンス費用 及び ラストシーン以降 誰が負担するのか……話がドキュメントタッチに進行する為、かえって気になってしまいます。
 前作ではオムニ社副社長が悪党で、ラスト 社長が副社長に馘首宣言する事に拠ってロボコップの禁忌コードが外れ、会社としてはプロジェクト続行となる。
 今作ではロボットプロジェクトはオムニの一部で、更に本社が存在する(いきなりラストでアナウンスされる)らしく、まぁ その辺は続編に出てくるんでありましょう。
 さて、87年版は 結構政治的な作品でした。アメリカがオイルショック以降 構造不況に陥る中、レーガノミクスが打ち出した新自由主義経済は「公共から民営化」の波を作り出し始めていました。
 こういう状況下、「もし、警察までが民営化されたら?」という設定で作られたのが前作でした。 ヴァーホーベンのアメリカに遠慮の無い語り口と、過剰過ぎる残酷描写は そのディストピアを描き出し、これは まさに現在の世界の先取りでした。
 今作ではブラジル人監督(ヴァーホーベンはオランダ人)が現在のアメリカが既にディストピアの入り口に在るとして製作しています。
 アメリカは兵士の死に耐えられずイラクから撤兵しましたが、これがロボット兵士なら? 映画では2018年にいたるも駐留を続けている事になっています。国内には警察にすらロボットの導入を禁ずる法律が存在するのに……政治経済の微妙な違いを映画は見事に吸収して作られています。
 内容に少し触れますが、前作のロボコップは“人間としてのマーフィー”のアイデンティティを奪われた存在として登場、彼がいかにして人間に再生していくかが重要なテーマでした。 今作でのマーフィーは人間としての記憶を持ったままサイボーグ化され、それでは都合が悪くなり感情を奪われる。それをどう取り戻すのか、家族との関わりを絡ませながら描いて行く。  
 どうしてもストーリーに触れますなぁ。正直、小理屈こねないと半端に感じる部分があるので どうしてもそっちに行っちまいます。これはねじ伏せて続編以降をまちましょう。
 SFアクションとしては基準を満たしています。


アナと雪の女王

 現在までに作られたCGファンタジーの極北です。身体ごと鷲掴みにされるような物語をクリエイトできる能力は悪魔的ですらあります。これでも褒め言葉なんですよ、もう絶賛する言葉がありませんわ。
「また ディズニーが童話をねじ曲げた」だの「キリスト教の臭いがキツい」だの「アメリカの論理」だのと……散々ハリウッド映画に噛みついてきた私が言います。この作品にそんなイチャモンつける奴は絶対許さん! のめり込みすぎですかねぇ~ なんせ、まるっきり始めのシーンから 余りの美しさ、あまりの躍動感に思わずウルッときちゃいました。エルサが氷の宮殿で歌う“Let It Go”なんて震えました。吹き替えを見ないで良かったと今日ほど思ったことはありませんわ。エルサの吹き替えは松たか子で……最近松たか子を見直したばかりですが、この歌で同等以上の感動を伝えられるとは思えない(ちなみにアナは神田沙也加)
「真実の愛」が魔法を破るというキモ以外はアンデルセン童話とは何の繋がりもありません。100%ディズニーオリジナルの物語。 ピクサーCGとは一味違う、本来のディズニーアニメの歴史線上にある まことに素晴らしい作品です。これは見るというより体験する以外にありません。どうか映画館に足を運んで下さい。
 老婆心ながら、小さい子供連れでなければ 是非とも字幕版をご覧になって下さい。絶対に!!

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高校ライトノベル・秘録エロイムエッサイム・1(その始まり)

2016-11-20 06:51:54 | ノベル
秘録エロイムエッサイム・1
(その始まり Eloim, Essaim)



 晴れと雨を六日繰り返した後、その大風が吹いた。

「春一番てのは聞いたが、冬一番てのは初めてだな!」
「それって、木枯らしって言うんじゃないですか!?」
「木枯らしに、こんな生暖かいのはねえ。それに、なんだ、この臭いは!?」
 確かに、黴臭いような生臭いような臭いが満ちていた。
「古い図書館だから、こんなもんですよ!」
「さっさと見回り済まして帰ろうぜ!」

 この会話が、警報によって駆けつけたガードマン二人の、この世での最後の言葉だった。

 箕作図書館は、その夜十万冊の蔵書とガードマン二人の焼死体を残して全焼した。正確には、一冊の本が奇跡的に残っていた。まるで火事の後に誰かが持ち込んだように、焼け焦げ一つなかった。濡れてはいたが水でふやけるということもなかった。
「なに、この本?」
 やっと現場検証に立ち会えた司書の由奈が取り上げた。その本はタイトルだけが焼けて抜けていた。Eで始まっているのは分かったが、飾り文字なのであとは読めなかった。
「え、なにこれ?」
 もう一人の司書の緑もよってきて、ページをくったが、その本には何も書かれていなかった。ただ装丁から言って、戦前からあった貴重本のような感じで禁帯のラベルが背表紙に貼られていた。


 真美は、いつになく起きづらかった。

「真美、もう時間よ!」
 母が階下で呼ぶ声で、やっと目覚めた。いそいで制服に着替えて鏡の前に立ってびっくりした!
「キャー!」
 慌てて母親が駆け上がってきた。
「どうしたの真美!?」
「あ、あ、あたしの額に……!」
「……額がどうかした?」
「だって、ほら、鏡に……!」

 真美の額にはEloim, Essaimの文字が血の色で浮き出ていた。

「え……なにも見えないわよ」
 母は、鏡と娘の顔を交互に見たが、どこにも異変は無かった。
「だ、だって……!」
 血文字から滴った血が目に入って、真美は一瞬目をつぶった。それを拭って目を開けると、もうEloim, Essaimの文字は見えなくなっていた。
「夕べの風で眠れなかったんでしょ。寝ぼけたか夢の続きか……とにかく急ぎなさい。いつもより五分遅いんだから」
 そう言って母は、ダイニングへ降りて行った。
「どうした、季節外れのゴキブリでも出たか?」
 朝食を終えた父がのんびり言った。
「え、あ、なんだか寝ぼけてたみたい」
 そうとしか言えない真美だった。朝の五分は貴重だ。朝食は流し込み、朝のいろいろは、いくぶん省略。髪の毛の寝癖が気になったが、ポニーテールにしてごまかした。

 そうして、家を出る時には一分遅れ。駅まで早足で歩いて、なんとかいつもの準急に間に合う。真美は日常に戻りつつあった。

 そのことが起きるまでは……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・99『アカデミー賞決定』

2016-11-20 06:10:01 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・99
『アカデミー賞決定』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


実は少々「良かったね」ってのと「ええ~〓」ってのが混ざってます。

 今年はアカデミーに先立つ各賞決定の結果から“作品”“監督”以外は鉄板でしたから予想通りというより予定通りの顔ぶれです。あえて言えば“アメリカン・ハッスル”“それでも夜は明ける(コノ「ホウダイ」ドナイカシテクレ)”の助演女優賞の争い位ですか。

「風立ちぬ」が惜しかったなんぞと言う方がおられますが、これは相手になる訳が無いんです。駿さんはアメリカでも最高に尊敬される監督ですが、なにせ「アナと雪の女王」はアメリカ社会現象的ヒット、劇中の主題歌を知らない奴はアメリカンじゃないってぐらいです。これは素直に脱帽いたしましょう。
「ダラス・バイヤーズクラブ」はなんとか見に行って来ます。“12years a slave (それでも夜~)”は来月までおあづけで、今はなんともコメントできません。

 まあ、予想段階から“ウルフ オブ ウォールストリート”の無冠は判っていたのですが“アメリカン・ハッスル”の無冠は残念です。オスカーがゴールデングローブのようにドラマ/コメディに別れていれば……いやいや、繰り言であります。
 作品賞が最大10作品ノミネートに成っている事で良しとしましょう。これが5作品だけだと“グラビティ”は弾かれた可能性がありますからね。 まだ公開されていないからなんとも言えないのが“her”の脚本賞、コンピューターと恋に落ちる男の物語……こりゃあ公開が待ち遠しい。
 心からおめでとうと言いたい! マシュー・マコノヒーの主演男優賞、彼はまだまだ二枚目で通用するのに20キロ減量して末期エイズ患者を演じた。思えば'13年のキャリアはずっとインディーズ作品、大ヒットはないが限定公開から必ず拡大公開になった。“ダラス~”にずっと関わってメジャー作品に出る時間が無かったのかもしれない。兎に角努力が報われた、本当におめでとうございました。
 ウルフ オブ ウォールストリート/アメリカン・ハッスル/キャプテン・フィリップス/ネブラスカ/あなたを抱きしめる日まで/8月の家族たち……半分はまだ未公開ながら素晴らしい作品である事は間違いない。

 今年ほど未公開作品だらけで こんな原稿を書いた事はない。一つには試写会に行かないせいではあるが、少なくとも1/3以上はまだ試写会すら開いていないはず……もう言いませんが 何が言いたいかお分かりいただけると思います。 今年のアカデミーを見ていて、ショーアップが足りなかったのが少々不満です。本年のノミネート作品賞の内、なんと6作品が実話とあってイジリ難い部分があったんだとはおもいますが そこをなんとかするのがアメリカンのショウマンシップですよね。
 今年はユダヤも政治色も感じられず、その点スッキリしていたのですが……あんまり地味に過ぎると、いつぞやみたいに視聴者離れが起きます。
 とは言え、無事に86回も終わり、すでに87回に向けてのレースが始まっています。来年に向けては、もう一つのパターンが出ていて、それは宗教です。キリストの生涯/ノアの方舟が既にラインに入っています。

 来年は俄然きな臭くなるのかもしれませんねぇ。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・98『ホビット2スマウグの荒らし場』

2016-11-19 06:29:02 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・98
『ホビット2スマウグの荒らし場』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。



う~ん 納得 満腹です。

 前作「思いがけない冒険」から引き続き P・ジャクソン以下“トールキンオタク”による凄まじいファンタジー作品です。
 
 おさらいさせてもらうと、原作者トールキンはイギリスに神話が無い事を悲しんでいました。ブリテン島の歴史は日本と比べて遜色ありませんが、数度の侵略によって寸断されています。ヨーロッパの国々はいずこも似たような経験を持っていますが、自国の神話は征服者の神話と混淆され長く残っています。グリム・アンデルセンの説話のアンダーグラウンドに共通点が有るのはこの事によります。似たような経緯に有りながら何故かイギリスだけが独自の神話を持っていません。

 イングランドの原形は6世紀末の七王国時代からとされますが、その後 デーン人(バイキング)の侵入を受け、その血を引き継ぎながらイングランドとして安定するのは1100年代から、これ以前の神話は消えています。
 アーサー王伝承(アルフレッド大王/871年~ と北欧神話の混淆)以前のものは判然としません。
 大陸ヨーロッパ(主に東欧諸国とドイツ・オーストリア)の国々は“黒き森”の伝承を有しており、それと征服者の神話が融合しました。
 比べて ブリテン島には“黒き森”のイメージが無く、被征服以前の神話が弱かったんじゃないか……と考えています。第一次大戦後 言語学者であったトールキンは小説形態の神話構築を試みます。それが「指輪物語」なのですが、当初 余りの長部に出版してくれる会社が無く、プレ指輪物語として子供向け童話の形で「ホビットの冒険」を製作しました。
「指輪物語」の中でヴィルボ・バギンスが書いている「行きて還りし物語」がこれです。これが子供だけに止まらず大ヒットし「指輪物語」発刊の後おしになりました。「ホビットの冒険」は童話であると共に「指輪物語」のパイロット版でもあり、その内容は駆け足の「指輪物語」です。大人なら半日もあれば読み終える量しかありません。
 これを指輪シリーズと同じく一編3時間弱の三部作にする為に、映画独自のキャラクター(指輪に登場するエルフのレゴラス/オーランド・ブルーム/は原作には登場しません)を出したり、原作には描かれず謎に成っているシーンが挿入されています。これらはデタラメに作ってあるのではなく、「指輪物語追補篇」「シルマリルの物語」等 本編以外の膨大な周辺部資料をくまなく渉猟した上で製作されています。
 トールキンの残した本編未収録原稿は まさに膨大必ずしも本編に添っているとはいえませんが、これを「ホビットの冒険」に添わせ かつ「指輪物語」に繋がる 矛盾しないストーリーに組み上げてあります。
 ただ一言「見事!」……原作ファンが「こうであろう」と考え「これが見たかった」とつぶやく映像です。
 そこまでの拘って作りこんだ作品ですから、正直 「指輪物語」の世界をご存知無い方には前提となる部分が大きすぎて十全に楽しめないかもしれませんが、一切をそのまま受け入れれば、見事なノンストップアクションファンタジーです。まずは気楽にご覧ください。お気に召しましたら 前作および「指輪三部作」をご覧下さい。原作も読んでいただくと この作品が いかにエゲツナイまでの凄い映画であるか お分かり頂けると思いますです。
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・97『キックアス2』

2016-11-18 06:23:47 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・97
『キックアス2』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が、個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。




あ……アホや……あまりにもアホや。

 ようまあこんな映画、恥ずかしげも無く堂々とつくるなぁ、恐れ入りました もう勘弁して下さい。なんですかぁ~~? 原作はもう一本あるってぇ?? しかも原作はさらにゲロゲロ内容だすってぇ!? いや本間にご勘弁、参った参った もう降参だす。

 前作は「もし本当にヒーローを名乗る者が出現したら?」ってのがテーマで、本作程ではないものの相当狂った世界設定だったが、まだ納得できた。世界観はどんどんズレて行くが、グルッと一回転して、ラストはマニアックかつカルトな味わいがあり ちゃんとカタルシスを感じられた。
 それが……本作はちょっと(どころか大々的に)ぶっ飛び過ぎですわ。一回転し終わらないうちから別な回転が始まり しかも全く違う起点から その回転も中途半端なまま さらにまた回転し始める。収集がまるっきり付いていない。アクションはマジで ほかにもリアルを意識したシーンがあるからさらに混乱する。  
 まぁこの辺りがパチモンモックバスターと一味違う所で金もしっかりかけてます。故に混乱するわけで「マチェーテ」みたいに笑い飛ばして「オシマイ」にはならない。
 ジム・キャリーは本作が余りに暴力的だってんで一切のキャンペーンに参加しなかったそうですが、このジムの使い方が全く意味不明、名だたる百面相役者を使いながら わざわざ仮面のようなメイクを施し表情無しです、目さえ動きません……まるで出演オファーを後悔して わざとそうしているのかと思える程。

 まぁ、あんまりマジに語る作品じゃありませんが、アメリカでも前作ほどには受け入れられておらず、世相を覗く窓にもなりませんわい。
 そう言えばタランティーノが絶賛しています。タランティーノファンなら何か感じるかも(?) ファンならずとも怖いモノ見たさ(珍奇なモノ見たさ)って方、どうぞ お止めはいたしません(犠牲者増やしてやるガハハハハ)
 クロエ・グレースは相変わらずキュートですが、そろそろ怪演以外の演技が見たいと思いますね。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・96『エイジェント:ライアン』

2016-11-17 06:13:12 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・96
『エイジェント:ライアン』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので、転載したものです。


 久方振りの“ジャック・ライアン”さぞかしアメリカでは大ヒットと思いきや、これがスマッシュヒット手前で足踏み。

 理由がよぉ~く判りました。まず、トム・クランシーは“キャラクター原案”者であるのみで脚本には一切関わっていない。クランシーは既に亡くなっていて、現在 遺作の「米中開戦」の前半が発刊されていますが、これと本作脚本の時期的な時間差がどの位あるのか分かりません。もしかしたら、脚本製作時期には関われなかったかもしれません。
 脚本家はアダム・コザックとデビッド・コープ……残念ながらどちらもこれまで注目できる作品はありません。コープの方が多作ですが、性急なストーリーが多く、原作があっての脚色なら分かりませんが、一から彼らの脚本だとすると従来からの強引な展開傾向そのままです。「トータル・フィアーズ」(ベン・アフレック主演)の時にも思いましたが、もっと原作をリスペクトしているライターに仕事させるべきですね。
 まず、ライアンが分析官から工作員に踏み込むシテュエーションが乱暴過ぎる。しかも、作戦の破綻が明らかなのに そのまま続行、そんなアホな……ですわ。 まず、どんな突飛な展開でも納得の状況をセッティングするクランシー原作の緻密さがありません。ロシアの陰謀という設定ですが、これも もう一つ裏の企みなり恨みなりが無ければ有り得ない設定です。
 アメリカ経済の転覆を狙う訳ですが、これは現実の世界経済からすれば両刃の刃で、核と同じく抑止力が働きます。これを発動する為には よほど強い動機と仕掛けが必要ですが、本作ではそのどちらも弱すぎます。映画のセンテンスにしても、時間の逼迫という一番ヒリヒリする部分が迫って来ません。撮影はそれなりだと(ちょっと足らんか?)思いますが、脚本の無理が祟ったか 編集のマーティン・ウオルシュは名手ですが……。
 クリス・パインはまぁええとして、やがてライアンの妻となるキャシー/キーラ・ナイトレイの描き方が中途半端。ケビン・コスナーの上司にしても、端から味方であることは はっきりしていて「一体誰が敵か味方か」というスリルは全くありません。
 総て脚本の不出来ばかりが目につきます。本作はリメイクではなくリブート作として、今後のシリーズ化を目指しているはずですが、クランシー既に亡き後 余程の脚本家を用意しないと このまま沈んでしまいそうであります。

 原作で残っているものが、まず映画化不能(ライアンが大統領になって日本・中共・ロシアと戦争になる)な内容ですから余計に脚本のアイデアが勝負になりますからね。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・95『RUSH』

2016-11-16 06:34:56 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・95
『RUSH』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


興奮しました。

 76年のF-1シーンを知らなくても絶対エクサイト、且つ感動出来る作品です。

 爺婆であろうが若かろうが、およそモータースポーツを愛する者ならハートを鷲掴みされます。絶対にお薦め!
 以下、オッサンの感傷であります。お暇な方だけお読み下さい。
 私がF-1に夢中になりだしたのは70年頃、まだ今のように全レース中継など無く、モータースポーツ誌でしか詳細が判らなかった頃。二本立てロードショー公開の一本がF-1のドキュメントでした。マイケル・アンドレッティがワールドチャンピオンに成った時の映画で、当時 もう一本が目的で行ったのに、F-1の迫力に圧倒されました。
 当時のヒーローは陽気なアメシカン/マイケル・アンドレッティ……ハントもラウダもまだ居ません(彼らはF-3で暴れていた頃)エマーソン・フィッティバルディやジャッキー・ステュワートなんかとマイケルのデッドヒートの時代でした。
 今や、F-1carは世界一安全な車、300キロでスピンクラッシュしてもドライバーは安全です。94年の アイルトン・セナ以降、F-1ドライバーの事故死はありません。セナにせよ、あの当時250キロでコンクリート壁に真っ正面から激突しなければ……彼はまだ生きていた筈です。
 セナやプロストの活躍より20年前、F-1全ドライバー(25-6人)の内、年平均2人がレース中に事故死しています。クラッシュした車の破片やタイヤが観客席に飛び込んで巻き込まれた観客も多数います。当時は今より観客席がコースに近く、かつ コースの至る所に観戦客がいました。作中、ハントが「走る棺桶」とマシンを表現していますが、まさにその通り、軽自動車のドライビングビュウポイントより 更に低いビュウポイントで、軽自動車並みの自重しかないマシンに500馬力のエンジンが搭載されている。以前、軽自動車にツインキャブ搭載が流行った時、道路からの飛び出し事故が多発しましたが、F-1ドライバーの恐怖はそんなもんじゃなかった筈です。今のように機械的に接地力を付加している訳ではなく、車体前後のウィングによるダウンフォースとタイヤの食いつきに頼るしかない。しかもステアリングもダウンかアップか いずれかの傾向がある。そのため、コーナーでは車をドリフトさせるなどスライドさせてクリアしていく。現在では車をドリフトさせるのはタイムロスに成るため、そんなテクニックは事故車をスルーする時くらいにしかお目にかからない。
 現在の車はオートマティックで半分コンピューターが走らせているようなものだが、当時はマニュアルで、しかもクラッチなど踏まない。エンジン回転とスピードを合わせてギアチェンジする。勿論、回転計は装備されているが、殆どはエンジン音の変化で回転数を察知する。あの頃のエンジントラブルの大多数は回転が合っていないのに強引にシフトチェンジする事によって引き起こされています。

 さて、本作の76年のシーズンですが、よう覚えております。
 やっぱりニキ・ラウダがドイツGPでクラッシュ炎上、生死の境をさまよいながらもシーズンに復帰、最初苦戦したレースの中盤からの激走で4位に付け、ラウダ/ハントのチャンピオン争いに注目が集まった。我がアイドル マイケル・アンドレッティは既に盛りを過ぎたりとは言えまだまだ若いもんには譲らない気迫で、私ゃ相変わらずマイケルを応援しとりました。
 この時もテレビ中継は無く、ラウダのクラッシュ炎上も後のドキュメントで見ました。映画の中のクラッシュシーンが、あの時の記録映像そのままなのにはびっくりいたしました。あの頃はジェームス・ハントっちゃあ野獣のプレイボーイでラウダは冷たいコンピューター野郎、全く私の好みじゃなかった。しかし、この頃のF-1ドライバーは皆個性的、今のドライバーはストイックでアスリート性が高くなったけど人間臭さを感じられない。セナ/プロストの競り合い、プロスト引退後シューマッハが非力なマシンでベテランを脅かし始めた頃までが私には面白かった。殊にセナの死後、急速にF-1から興味が失せた。

 ワークスチームの浮沈は今も変わらないがドライバーは似たり寄ったりに成った。この頃のフェラーリも低迷していてラウダの参戦から上向きに成った。ハントタイプとラウダタイプ……どちらも天才ではあるが安定して勝つのはラウダタイプ、となると現在のドライバーは皆さんラウダを目指す。決して意地を張ったりはしない。かくして、ラウダ/プロスト/シューマッハタイプの大行列になってしまう。

 あの頃のF-1ドライバーはデッドレースに参加する異常者と言って良く、その分向こう見ずで怖い者知らず。いい子チャンになる必要がなかったとも言える。
 言うなれば闘技場でグラディエーターの試合を見ている気分、だから観戦中に事故に巻き込まれてもコミッションを訴える人間など居なかった。(と……思う) だから、観戦客もとことんエキサイトした。ハントとラウダの舌戦は雑誌に格好の記事を提供、しかし その裏にあった二人の葛藤までは知り得なかった。この映画を見て、初めて二人の関係の真相を知り深く感動いたしました。

 さぁて、なんぼでも書きたい事が浮かんできますが、あんまりしつこいのもあきませんね。最後に、ハンス・ジマーの音楽が最高!マシンのエグゾーストノートを更に増幅しています。エグゾーストノートはまさにサーキットにいる雰囲気。カメラワークは迫真!今までの総てのカーチェイス作品には無かった視点から撮影されている。監督のロン・ハワードは役者出身でアメ・グラなんかに出ていたが、かのロジャー・コーマン(製作)の「バニシングIN TURBO」で監督デビュー、B級映画まっしぐらに成るのかと思いきやどんどん名作を発表、アボロ13/ビューティフル・マインド/フロスト×ニクソン/ヘルプ……枚挙に暇無し。

 すんません、ホンマにそろそろ止めまっさ。レース映画としても、ヒューマンドラマとしても超一級作品です。見て損無しで~す!


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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・94『アメリカンハッスル』

2016-11-15 05:58:58 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・94
『アメリカンハッスル』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


 今年のアカデミーに最多10部門ノミネートされ、“ダラスバイヤーズクラブ”“グラビティ”“それでも夜はあける”と並んで作品賞大本命です。

 監督は「ザ・ファイター/2010-助演男女優賞」「世界に一つのプレイブック/2012-主演女優賞」のデウ゛ィッド・O・ラッセル……今回の脚本も自ら手掛け、すっかりオスカー請負人の顔になっています。アメリカでは大ヒットになっていますが、日本ではどうもコケたようですね。物語は1979年にあった「アブスキャムスキャンダル」……マフィアと議員の贈収賄……を下敷きにしたお話で、これまた良~うでけた脚本であります。
 今回も一切 見落とし聞き落とし不可です。解らなくなるというより 勿体無い、大体が無駄なセリフやシーンが全くありません。実際の事件もFBIの強引な囮捜査で明らかになったもので、当時「いくら何でもやり過ぎ」と非難されたとか、本作のブラッドリー・クーパー演じる捜査官も大概強引な奴で、予算を渋る上司を殴りつけて脅迫するのも厭わない。てな具合で、所々なんぼなんでも脱線し過ぎな場面もありますが、シリアスシーンの間に絶妙なバランスで嵌っています。
 今回、クリスチャン・ベールは、例によって髪の毛を抜いた半禿げですが、痩せるのではなくデップリ中年男の天才詐欺師をやっとります。そのベールのカミサンがジェニファー・ローレンス、この人、まだ若いのに もはや大女優の風格があります。ベールの相棒兼愛人がエイミー・アダムス……エイミーも 来年40歳なんだなあ、でも 年齢なりにいつまでも綺麗な女性ですねぇ。理知的女優であり、かつ、如何なる役も演じきる。私はこころから今年の主演女優賞を彼女にあげたいんですが……今年も大混戦ですねぇ、ビッグネームがずらっと並んどりますわ。エイミー危うし……でんなぁ。主演女優賞ノミネートはまだエイミーと「グラビティ」のサンドラ・ブロックしか日本公開されていませんから、何とも言えませんねぇ~
 この映画の見所 その一、嫁ジェニファー vs 愛人エイミーの対決!若いだけでアーパー、しかし口から生まれたような嫁と 年増ながら頭バリ切れ者の愛人。通常噛み合わない筈が、各々の思惑のズレが 逆に作用して妙に噛み合います。
 さて、本作のストーリー。FBIの囮捜査に引っかかった詐欺師カップル、減刑と引き換えに囮捜査に加担させられる。政治家を4人釣り上げれば良いのだが、そこにマフィアが絡む、しかも極めつけ大物……このまま騙したら命が危ない!手を引きたいがFBIは思わぬ大魚に色めき立って許してくれない。どちらを向いても絶対絶命。さて、この危機をいかに切り抜けるのか? 結論を言うと、鮮やかではあるが、至極簡単なトリックでまんまとひっくり返してしまう。なんでバラしてしまうかっちゅうと……ご心配めさるな、これだけだと、良く出来たクライムサスペンス、面白いがオスカーノミネーションには物足りない。  
 天才詐欺師の癖に、変に心優しいベール君。なんぼ何でも この嫁はアカンと思うが捨てられない。しかも、嫁の連れ子を溺愛している。愛人のエイミーは詐欺の掛け替えない相棒であり、愛しているのも間違いない。ここにFBIのブラッドリーが横恋慕、エイミーはベールと別れてブラッドリーに付く、そうとも知らず嫁は噛みつくわ、マフィアと浮気して いらん事を喋りまくるわ……人間関係が歪みまくっている。 これが歪んだままラストになだれ込むと……いや、お見事と拍手する以外にございません。去年の「世界に一つ~」を彷彿とさせるストーリーテリングでありまする。

 これが日本人に受けないのは あまりに勿体無い。人気がないから、いつ行ってもゆったり見られます。どうか、一人でも多くの方にご覧になっていただきたい。絶賛お薦めです。
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・93『マイティーソー2』

2016-11-14 06:41:57 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・93
『マイティーソー2』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


今や説明不要のマーベルコミック実写版です。

 先週末公開、アメリカではスタートからダントツのブッチギリ1位でしたが、我が祖国におきましては“永遠の0”がなんと7週連続一位でございました。大方予測としては“抱きしめたい”に座を譲ると見ていましたが、実際は動員に5万人差を付けて“0”が貫禄1位でした。
 ちなみに、永遠の0-29.6万人、抱きしめたい24.6万人でした。続く3位が“ウルフ オブ ウォールストリート”14.6万人、4位に漸く“マイティーソー2”14.4万人でした(興収は3Dがある分ソーの方が若干多い)。 “ウルフ~”と同じくオスカー候補で大本命の“アメリカンハッスル”は初登場10位……動員5万人か、それ以下……嗚呼。
 
 ま、データはその位にして本作であります。さすがに“アベンジャーズ”以降主演のヘムズワースの無茶人気振りに後押しされて、前作とは金のかけ方が段違い。本国だけで充分回収して、世界興行益は丸儲け。実際、海外でもヒットしているようで、公開第一週で1位をとれなかったのは日本くらいじゃないんかな。どうも日本じゃアメリカ製のファンタジー/SFの受けが悪い状況が続いていますなぁ~。
 “ソー”のシリーズがマーベルコミックの中にどれだけ有るのかは知りませんが、今回のお話は、もしかするとアスガルドより古いかも知れない“ダークエルフ”との闘い。宇宙を暗黒に戻そうとする勢力にソーが挑む。恋人ジェーンが巻き込まれ、オーディンからは直接対決を禁じられて、ソーは裏切り者として捕らえられている弟ロキと手を結ぶ。さて、ロキは黙ってソーに協力するのか、またしても裏切るのか?……というのが見所の一つ。 宇宙の原始から存在する巨大エネルギーにいかに立ち向かうかが二つ目の注目ポイント。
 ストーリー構成の是非には突っ込みますまい。「アメコミやなぁ~」と感じたとだけ申し上げときます。 話も、ここまで来ると、もう「リアルがど~した こ~した」と突っ込むのも野暮ってもんで、エヘラエヘラと楽しむ以外に見方は有馬線。その意味、観客を楽しませようというサービス精神に溢れています。どうか気楽にお楽しみ下さいませよ。
 マーベルがディズニーに買収されて以来、徐々に積み上げて来たヒーロー映画は“アベンジャーズ”で花開き、現在アベンジャーズ2に向かって作戦進行中、本作の次は“キャプテンアメリカ2”と新キャラクターが待機中。狙いは、ずっと先まで企画されているようで、ソーの3も すでにお約束されとります。
 アベンジャーズは80年台にあった“BAND AID”から始まったエチオピア救済のミュージシャンチャリティーと同じ効果を果たしています。AIDそのものは純粋にチャリティーでしたが、それまでポップス/ロックのミュージックシーンに関心の無かった層を巻き込み、参加したミュージシャンは全員大スターになり、90年台始めまで一大ミュージックマーケットを作り上げました。
 マーベル系の実写版は過去にも有りましたが、社会現象的ヒットはおろか、コケる作品も珍しくはありませんでした。これがアベンジャーズ以降、一定のヒットが約束されるようになったので、今や やりたい放題になっています。まさにアメリカン・マーケットリサーチの勝利ですね。
 比べて、DC系が“バットマン”以外 大苦戦なのが以外ってか 面白い所。まぁ、これにはアメリカン気質や、アメリカが世界の中でどんなポジションにあるかが微妙に絡んでいると考えるのでありますが…今回は置いときましょう。まだまだ この類の作品はドンドン作られますから、いずれ何かの作品で持論ぶち上げます。乞う、ご期待。アハハハ〓〓
 さて、このマーベル・サーガとも言える作品群は、目の前の一本だけを見ても楽しめる映画に作ってありますが、やはりシリーズ全体を見通さないと20%方解らない仕組みにも成っています。一本公開ごとに他作品のビデオやコミックの売り上げも見込む……ディズニー商法の真骨頂です。分かっていても、そこに乗るか降りるかは…自己責任っちゅう事で、当方は一切関知いたしません。そこんとこ、夜露師苦~〓
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