時かける少女・18
『ピンチヒッター 時かける少女・5』
「『平成狸合戦ぽんぽこ』の公開は1994年、今は1993年。制作は、まだラフの段階でタイトルも未定、それを、どうして知っていたのかしら?」
この一言で、和子はフリーズした……。
「やっぱり、リープコードがきついのね……」
ミナコは、ケーブルを出して、一端を和子の額にバンドエイドで留め、一端をスマホに繋いだ。
「和子さん、聞こえてる?」
スマホの脳波計に変化があった。
「聞こえてはいるようね。じゃ、始めます」
ミナコはスマホを操作して、情報を送り込んだが、ウィルスとして拒絶された。
「……しかたない。アナログでやるか」
和子は、父が作ってくれたマニュアルに従って話を進めた。
「未来人は、過去を変えてはいけないというのは、リープコードの基本だけど、これは嘘です」
和子の脳波が反応して、混乱している。ミナコはスマホにパチンコの画面を出した。ただ、このパチンコにはチューリップが無く、下に穴が有るだけである。
「いくわよ」
ミナコが画面にタッチすると次々に玉が打ち出され、いろんな釘に当たって、様々なコースをたどっていくけど、最後は必ず、下の穴に吸い込まれる。
「これと同じ。タイムリープしたものは、それだけで歴史に干渉しているの。例えば、あなたが和子として婦人警官になって現れたから、本来婦警さんになるはずだった子が一人婦警さんになれなかった。で、他の人生を歩んでいる。彼女に関わる人たちも少しずつ人生が変わっている。でも、パチンコの玉が必ず下の穴に落ちるように、歴史は変わらない。時間の流れには修正機能があってね、加えた変化の分、修正されて、結果は変わらないものなの」
和子は、少し理解したが混乱は続いている。
「リープコードは、リープで利益を独占したい人が作った勝手な決まり。ほら、このタレントさん覚えてる?」
和子の脳波は、しばらく活性化(つまり考えて)し、答をスマホに出した。
「仲間里衣紗……かな?」
「そう、彼女未来人。この時代でスターになりたくてやってきたんだけど、事故で降板。今は行方不明ってことになってるけど、もう未来に帰ってる。で、彼女がやるはずだった役は、仲里衣沙って女優さんがやってる。これが本質だから。あとはサンプル転送するから理解して」
和子の脳波は大きく乱れ、混乱した。
「ああ、やっぱアナログでなきゃ無理か……あ、和子さん、今リープしちゃだめだよ!」
言う間もなく、和子はモザイクになり、六面体になったかと思うと消えてしまった。
「くそ、逃がすもんか!」
ミナコは、和子のリープの奇跡を追ってリープした。
ドスンという音の後、悲鳴が続いた。
「わ!」
「キャー!」
「イテ!」
場所は、前回と同じ渋谷のハチ公前。空中から降ってきたミナコは、通りすがりの男女の真上に落ちた。
「すんません、どうも」
「一体なんだよ君は!?」
と、若き日の父がむくれている。
「すいません。わたしミナコって言います。ちょっと事故で。あ、オネエサン大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと肩が……」
「すみません、どうも」
そう言いながら、ミナコはスマホを、その女性の後頭部にあてがい、情報を流し込んだ。今度はリープしたてということもあり、すんなりと転送できた。
「白石和子さんとおっしゃるんですか?」
和子は姿形が変わっていた。懐かしい、その人の姿に。
「で、お前は、ただのミナコかよ」
父が、十九年後もそうであるように、鼻の下をこすり、食後のコーヒーを飲みながら、ぶっきらぼーに言った。
「すみません、事情で苗字は勘弁してください」
「どうせ、茨城か埼玉あたりからのプチ家出だろ。こんな飯オゴッてくれなくていいから、さっさと家帰れ。だいたい今の高校生はだな……」
父らしい、でも若い分だけ力のこもったお説教をされた。
その後、三人は、これも何かの縁だろうと封切りになったばかりのジブリの新作を観にいった。そう『平成狸合戦ぽんぽこ』を。
あれから一年たった1994年である。父と母は歴史通り知り合うことができた。
――これで、わたしは生まれることができる!――
ミナミの母は未来人である。リープコードでは、未来人と過去の人間の通婚は禁止されている。母は悩んだ末に、ミナミを生み未来に帰っていってしまった。父の記憶を消して。でも、父は母と同時に出会った家出少女にCPUに記録を残しておくように言われ、その通りにした。
歴史は、干渉しても大筋では変わらない。でも、逆に言えば小さな部分は変化する。ミナコは、自分が、その小さな部分であることを、よく分かっていたのである。
ミナコは、渋谷の雑踏の中、また時の狭間に落ち込んでいった……。
🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
48『クンパ・2』
オレが「デミグラオムレツ」で桜子が「春のオムレツ」だった。
互いに相手のが美味しそうだったので、一口ずつ相手のをすくって食べた。
「桃斗の……サフランライス?」
「桜子のはバターライスだな」
オムライスでも、中のライスが違うようだ。
中学の時も、このオムレツ屋に入ったんだけど、相手のを食べることはしなかった。
間接キスとも言えない小さな飛躍、そんなことが心地いい。クンパに来ていなければ、この小さな飛躍もなかっただろう。
「フフフ……」
「ン、なんかおかしい?」
オムレツの最後の一すくいを口に放り込みながら、桜子が笑う。
「なんだよ、気持ち悪いなあ」
「桃斗、リズムとってるよ」
「ん……あ?」
園内を流れるクンパルシータに合わせて小さく体が揺れていることに気づく。
「知らないうちに中毒になっているのかも」
「そうね、クンパルシータは、曲名知らなくても聞いたことはあるもんね。ラテンでノリもいいし、一回ここにきて聞いちゃったら刷り込まれるかもね」
「かもじゃないよ。そうなるって」
「あたしはならないな。ムードには流されない」
「あ、オレ、ムードでどうこうなんて思ってないから」
「分かってるわよ。ここには二人の確かな思い出があるんだもん。それをトレースしにきた……でしょ?」
桜子がニコッと微笑む。こいつの笑顔はほとんど凶器だ。
絶叫系は午前中に回ったので、ふれあい広場とかティーカップとかの大人しめのアトラクションに回った。
「「最後は……」」
ふれあい広場で兎と遊んでいて、二人の声がそろった。
「同じこと考えてたみたいね」
お互いの視線の先にはクンパ目玉の観覧車が、ゆったりと回っている。
「この子も連れて行きたいなあ」
抱っこした兎をギュっとして、桜子が言う。とても乙女チックだ。
「ハハ、可愛いこと言うんだな」
「桃斗が変なことしないようにね」
桜子はジト目になる。
「ちょっと傾いてる……」
ゴンドラが数メートルの高さになって、桜子が呟く。
「そうか?」
「百斗の方に傾いてる」
「錯覚」
「じゃ、入れ替わってみよう」
狭いゴンドラの中で席を入れ替わる。どうしても体が触れ合って、桜子の匂いが襲ってくる。
ドッキン!
「百斗の心臓がドッキンて鳴った」
「ジト目で言うな。替わろうって言ったのは桜子だろうが」
「やっぱ、桃斗の方に傾いてる」
「そんなことねえよ」
桜子は俺を弄りながらもムードにハマることを避けている。観覧車に乗った意味が無い。
沈黙のうちにゴンドラは観覧車の最上部を過ぎて行く。地上から聞こえるクンパルシータが虚しい。
「どうしたの? 地上に着いちゃうわよ」
「だってさ」
「根性無し、ここから始めなきゃ仕方がないでしょ。百戸百斗と外村桜子は、ここからやり直すの。でしょ?」
「あ、ああ」
「だったら、その決心を確認しよう」
「え、どうやって?」
「中学生のときと違うんだから……キスしよう」
「……!?」
言うと同時に桜子の顔がドアップになり、唇に柔らかいものがフワッと接触した。
で、そうと分かったころには、ゴンドラは地上に着いた。
クンパルシータと心臓のリズムがいっしょになっていた……。
クリーチャー瑠衣・6
『一休みしにきた宇宙人・1』
Creature:[名]1創造されたもの,(神の)被造物.2 生命のあるもの
「ちょっと一休みさせてもらってるよ」
朝、ベッドで惰眠をむさぼっていると声がした。
――……だれ?――
心で聞いてみた。まだ頭は半分眠った状態なので、ほとんど夢のように思っていた。
「ちょっとでいいから、目を覚ましてくれると嬉しいんだけど……最後の日の加藤瑠衣さん?」
自分の名前を呼ばれたことと「最後の日」という言葉にびっくりして本格的に目が覚めた。
「最後の日ってどういう意味? て、なんであたしの名前知ってんの?」
部屋には人の気配はしなかった。かといって誰かがテレキネシスで送り込んできた想念でもなかった。
「……だれ? どこにいるの?」
瑠衣は、すでに起きて掃除機をかけているお母さんに聞こえないように聞いてみた。
「机の上の本立ての上のさらに上の棚の上」
そこは、捨てる決心がつかないというか、整理し損ねたというか、瑠衣のガラクタがまとめて無秩序に積んであった。ガラクタの一つ一つに目をやったが、これだというものが見当たらなかった。
「ハハ、ここだって、ここ」
その声でやっと気づいた。ガラクタ箱の間に挟まった人形から、その声がしている。むろん口も体も動いてはいない。瑠衣の特殊な能力で、やっと感じられるくらいに、例えば耳から外したイヤホンから聞こえてくるほどにか細かった。
その人形は、中二のときにはじめてネット通販で買った「乃木坂学院高校の制服」を着たコスプレドールだった。
瑠衣は中学の頃は乃木坂学院に入りたかった。『はるか 乃木坂学院演劇部物語』という小説を読んで「ここだ!」と思った。体験入学にも行ってみた。気にいった……でも二つのことが足りなかった。
お金と成績……お母さんに、そうそう無理は言えない。奨学金という手もあったけど、成績に自信がなかった。留年したら奨学金は打ち切られる。見かけによらず気弱な瑠衣は体験学習で諦めた。
それから、しばらくして世田谷の我楽多市で、乃木坂の制服を着た人形を見つけて衝動買いした。
最初は、そうは思わなかったけど、傍に置いておくと、なんとなく自分に似てきた……ように思えた。
それにお母さんが心苦しく思うんじゃないかと思って、半月ほどでガラクタの棚の上にやって、それっきり忘れていた。
「でも、瑠衣の想いがこもっているんだよね」
人形は、器用に棚からジャンプして、ベッドの上にやってきた。
「ちょっと、埃だらけじゃんよ!」
「ああ、ごめんごめん」
人形は、水に落ちた猫が体を震わせて水を弾き飛ばすようにしてホコリを振り落した。
「ちょ、ちょっと!」
「ごめん。でも、こんなに埃だらけにしたのは瑠衣なんだからね」
自分によく似た人形が口をとがらせて抗議した。
「で、あんた誰なの?」
瑠衣は直感で感じていた。この人形には別の心と言うか魂というかが憑りついていることを。
「あたし、お父さんと同じシータ星人……ただし、体は、もう動かないから、心だけ、この人形に宿っているの。少しの間休ませてくれる?」
「お父さんと同じ……シータ星人!?」
「そう、名前はミュー。瑠衣が目覚めるまで起きてたから眠い。ちょっと寝させてね」
そう言うとミューは、本当に目をつぶって眠ってしまった。
「いつまで寝てんのよ!?」
お母さんに起こされるまで瑠衣も眠ってしまった……。
時かける少女・17
『ピンチヒッター 時かける少女・4』
ミナコの視界は、しだいに暗くなってきた……。
それもそのはず、ミナコは目をつぶっていたのである。
「ミナコちゃん!」
ミナコは、そっとスマホの画面に触れた。血圧、心拍、体温測定器が音もなく停止した。
「大丈夫、騒がないで。それより冷蔵庫から、ありったけの氷り持ってきて、そこのビニール袋に小分けして持ってきてくれる」
「わ、分かったわ」
和子巡査は言われたとおりにやった。ミナコは氷りの袋を、脇の下、股の付け根、首筋にあてがった。
「これでよし」
「この胸の血は?」
「あ、夕べの晩ご飯に出たケチャップ」
「プ、でも、なんでこんなことを?」
「あのスナイパーたちをまくため」
「やっぱり、撃たれたの?」
「窓ガラス見て」
和子巡査は窓辺によった。そして発見した。
「ここのガラスって、防弾ガラスだったのね」
「防弾にしたの」
「え……?」
「わたしが」
ミナコは、スマホを示した。
「そこのカメラにもダミーの映像をかましてある。わたしが大人しく寝てる画像をね。廊下には和子さんのホログラム。そのドアスコープから見て」
「……ほんとだ、わたしがドアの前で立ってる……でも、どうして?」
「言ったでしょ、スナイパーたちをまくためだって」
「どんな、組織なの、そいつらは?」
「未来人たちが使っているアンドロイド」
「ミナコちゃんの時代の?」
「いいえ、もっと未来の……ああ、寒い。もういいでしょ」
ミナコは、氷袋を外した。
「この部屋は、たいていのセンサーはブロックできるようにしてあるけど、あっちの方が進んでるから、その計測器と、わたしのサーモグラフィーだけは停められなかった。計測器じゃ心臓停まったことになってるのに、体温が下がらなきゃおかしいでしょ。二度近く下がったから、死体の体温低下としては自然でしょ。おお寒う!」
ミナコは、ベッドの毛布をひっかぶった。
「お茶でもいれようか?」
「すみません、お願いします」
「ミナコちゃんは、どれくらいの未来から来たの?」
「二十六年後。2019年から。お父さんのピンチヒッターとして」
「ピンチヒッター?」
「お父さん、心臓弱くて、タイムリープに耐えられないから」
「どうぞ……」
ミナコは、お茶を一口すすって確信を持った、が、まだ言わない……。
「和子さん、お茶入れるの上手ですね」
「そう、お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃないわ。このお茶っぱと水で出せる最高の香りと味わい。ほら」
スマホを、和子に見せた。そこには二つのグラフが重なっていた。
「あら、ほんと。わたしってば、この条件で出せる最高の線いってるのね」
二人で、ゆっくりお茶を飲み干したところで、ミナコは切り出した。
「和子さん……」
「はい……?」
「あなたも未来人でしょ?」
和子は、一瞬戸惑ったような顔になった。でも演技じゃない、本当の戸惑いだ。
「どうして、そんなこと思うの?」
「和子さん、わたしが未来のテクニック見せても、あまり驚かないし、理解も早い。今のお茶のグラフなんて、なかなか見ただけじゃ分からないわ」
「それは、ミナコちゃんが未来の人だから」
まだ、和子は正体を現さない。
「『平成狸合戦ぽんぽこ』の公開は1994年、今は1993年。制作は、まだラフの段階でタイトルも未定、それを、どうして知っていたのかしら?」
この一言で、和子はフリーズした……。
🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
47『クンパ・1』
クンパと呼ぶ。普通に約めればクニパだけれど「ニ」が促音の「ン」になってクンパとなる。
そのクンパと呼ばれるクニトミパークは、県内の遊園地が大規模テーマパークに押されてバタバタ潰れた中で唯一残ったものだ。
県の中心にあって、駅を出ると目の前がクンパのゲートという利便性。戦前からの遊園地なので敷地が広く家族連れや恋人同士が気楽に行くのに持ってこいなのだ。
改札を出るとテーマ曲の『クンパルシータ』が流れている。
この曲がテーマ曲なのは、ただのごろ合わせだ。だけど、この軽快でノスタルジックなアルゼンチンタンゴを聞くだけで、大げさに言えば非日常の夢の世界に連れて行ってもらえる。
「どのアトラクションにする?」
腕輪式のフリーパスを付けてもらいながら桜子に聞く。「百斗が乗りたいのならなんでもいいよ」とは言わない。
「あれ!」と桜子が指差した先はヘルダイバー。クンパ一押しのフリーホール。高さ45mから最高90km/hで一気に垂直落下する、まさに地獄マシーン。
「え……まだ上がるってか」
「これがいいんじゃない」
横一列のシートは、いったん停止して――まだまだこれから――という感じで、さらに上昇する。45mの高さはハンパではない。
ブー! ブー! ブー! アラーム音が響く。演出効果と分かっていても心臓に悪い。
ブー!!
アラームがひときわ大きく鳴って、シートが垂直落下!
「「「「「「「「「「「「「「ウッワー!!」」」」」」」」」」」」」」
横並びのシートに並んだ客が一斉に叫ぶ。110キロの体重を一瞬感じなくなる。落下による無重力で体重を感じなくなるのだ。
で、そのぶん減速に入った時のGは、桜子の倍以上。むかし乗った時とは体重が違うので覚悟はしていたが、これほどだとは思わなかった。
「百斗、ひどい汗!」。 で、同情してくれるのかと思ったら「これ、10回も乗ったら痩せるかもね」と、真顔で呟く。
「さ、次いくよ!」
ハイテンションの桜子は、それから立て続けに5つのアトラクションにオレを引っぱって行った。そのことごとくが絶叫系。
「ごめんね、桃斗苦手なのに」
6つ目を乗り終えて、桜子が労わって言う。
「いいよ、桜子はめったに乗れないんだし」
桜子には歳の離れた弟と妹がいる。遊園地に来るときは弟妹に合わせるので絶叫系には乗れないんだ。
昼。クンパのレストランはどこも一杯だ。
で、結局は中学生のときに行ったのと同じオムライスの店に入った。
「どうして、ここなら座れるんだろう?」
「きっと運命だ」
「運命?」
「あのころの二人に戻るには、トレースしなきゃならない道があるんだよ」
「かもね……」
ほんとうは園内をグルグル周っているうちに、ランチタイムのピークが過ぎたというところかもしれない。でも、それを運命と思えるくらいに二人の心は温まっていたんだ……。
クリーチャー瑠衣・5
『希望野高校の百年桜』
Creature:[名]1創造されたもの,(神の)被造物.2 生命のあるもの
二日ぶりに外に出てみる気になった。
力を使わずに、普通の人間として出られるか心配だったが、二日前のようにテレポすることもなければ、通りすがりの歩きスマホ人のスマホを壊しまくることも無かった。ただ、行く先々の信号が全て青になっていたことには気づかなかった。
気が付いたら学校、グランウドに面したベンチに腰かけている。
「お、瑠衣じゃねえか。珍しいな、日曜の学校に、こんな早く……なんか用か?」
野球部の杉本は、早朝練習で学校に来ている。そこに、かねてから心を寄せていた瑠衣が来たのだから、年相応に気持ちが飛躍した。
「学校の百年桜を見に来たの!」
杉本の心が、自分に開かれるのを感じて、とっさに言った。
「ああ……もう八分咲きだもんな、そっか、じゃあな」
杉本は、ジョギングとストレッチに心を戻して、グラウンドの向こうに行ってしまった。
瑠衣は振り返ってみた。そこには言い訳に使った百年桜があった。
どこにでもあるソメイヨシノであったが、並の樹齢の倍は生きていて、今年も立派に花を付けていた。
腕を組みながら桜を見上げている男の人が現れた。不思議なことに古めかしい飛行服を着ている。穏やかな凛々しさに、瑠衣は思わず立ち上がってしまった。
「お、お早うございます」
男の人は、びっくりして瑠衣を見た。そして周囲を確かめると口を開いた。
「きみ、ぼくのことが見えるのかい?」
「はい……人間じゃないんですか?」
「人間だよ。七十五年前の卒業生だけど」
「え……?」
瑠衣は、やっとピンときた。この人は生きてる人じゃないことに。
「こいつは、学校が創立したときに記念に植えられたんだ。これを見るのが楽しみでね、年に一度、こうして楽しみにくるんだ」
男の人から、微かに噴煙の臭いがした。
「あの……昔の軍人さんですか?」
「ああ、学徒兵だけどね。あ、学徒兵というのは……」
その言いだしだけで、瑠衣には、その人のことが分かった。この人は、昭和十八年の学徒出陣で狩り出され、特攻要員に使われた帝国大学の学生さんだ。
「……喜んで行ったわけじゃない。でも強制……でもない。僕らだって、戦争が始まった時は小躍りしていたからね。共同幻想ではあったけど、それなりの身の処し方をしたつもりさ」
「特攻機で、アメリカの船に飛び込むとときも?」
「うん。あれしか無かった。死にたいわけじゃなかったし、納得していたわけでもない。でも、あれしか残っていなかった……僕が最後に部隊に送った無線分かるかい?」
「……お母さん?」
「それほどマザコンじゃない……海軍のバカヤロー!……さ」
「恨んでたんですか?」
「言葉って言うのは、いろんな意味を同時にこめられる。逆に言えば察する気持ちが無ければ、言葉の本当の意味なんか分からないけどね……今の人間は、それを自分に引きつけて好きなように解釈してるだけだ……お、運命の孫がやってきた」
学徒兵の視線の先には、近寄って来る初老の男の人が見えた。
「お早うございます、校長先生」
男の人はびっくりした顔をした。まだ誰にも自分が希望野高校の新校長だとは言っていない。昨日辞令をもらったばかりで、明日の初出勤を前に、人知れず学校の様子を見に来たのだから。
「どうして、僕が新校長だって分かったんだい……?」
「あ……お顔が校長先生してましたから、つい……」
「生徒に見破られるようじゃ、まだまだだね」
「先生は、喜んで校長を引き受けられたんですか?」
学徒兵の影響だろうか、瑠衣は確信をついた質問をした。
「そりゃ、そのために校長昇任試験を受けたんだからね」
言葉にはいろんな意味がこめられるんだと、瑠衣は、さっそく認識した。やっぱりね……そう思って横を向くと、学徒兵の姿は、もう無かった。
「先生のお爺さんて、特攻隊員だったんですね……」
新校長が改めて目を丸くした。
時かける少女・16
『ピンチヒッター 時かける少女・3』
窓の外の茂みがカサリと動いて、ミナコは慌ててベッドから転げ落ちて床に這いつくばった。
「どうかした!?」
婦警の沖浦和子が、ピストルを構えて、病室に入ってきた。
「いま、そこの茂みがカサリと動いたの」
「……動かないでね」
和子は、ガラス越しに、茂みのあちこちに狙いをつけた。
やがて、タヌキが出てきて山のほうに逃げていった。ミナコの部屋は監視カメラがついているので、すぐに警備室から、様子を確かめる無線がかかってきた。
「大丈夫です、ミナコちゃんが、窓の外のタヌキに驚いただけです」
ミナコは、スマホの画面を簡単に操作した。この部屋の平面図が出てきた。ミナコは、その平面図の窓ガラスを指でなぞった。図面の窓ガラスが、太くて青い線になった。和子の目が、こちらに向いたので、急いで画面を変えた。
「どう、今の沖浦さん。いかにも女性警官って感じで、警察のポスターにでも使えそうよ」
「へへ、なんだか、照れるわね。おお……画面が大きくなった!」
「もっと、大きく出来るわよ。ほら」
「ウ、ドアップ。なに、この数字は」
「沖浦さんの肌年齢。十九歳だって」
「うわ、すごいんだね、これ!」
「まあ、デジカメの進化系。プリンターがあれば、印刷できるんだけどね……」
「すごいね、未来の技術は……でも、少し思い出してきたんじゃない?」
「こういう、つまらないことに関してはね。肝心なことはサッパリです」
「まあ、あせらないことね」
正直、ミナコはあせっていた。
これだけの証拠を持って、派手に白昼の渋谷に現れ、マスコミにも取り上げられた。自分よりはるか未来からやって来ている未来人たちが気づかないわけがない。
「やあ、いらっやい」と現れるか、いきなりズドンか……その両方が考えられる微妙な状況だが。
「ミナコちゃん、さっき変な言い方したわね」
「え……?」
「女性警官って、なんだか下手な英文和訳みたい」
「あ、この時代は婦人警官なんだ」
「え、未来は女性警官になるの?」
「あ、二十世紀の終わり頃に法律で変わったの、男女雇用ナンタラ法で」
「へえ、雇用に関しては、男女平等が進むのかな!?」
「一応ね。で、仕事の名前が、女性警官とか保育士とか看護師とかに変わんの」
「あら、看護士なら、今でもあるわよ。男の看護職」
看護婦の秋山が入ってきた。
「今のドタバタで、血圧計や心拍計が外れちゃったから、ちょっと付けなおすわね」
「読み方は、いっしょだけど、教師の師になるの」
「なんだか、偉そうね、師なんか付いたら」
「婦って字がいけないんだって。女偏に帚で、女性差別なんだって」
「それで、女性警官か」
「でも、それって間違ってる。帚というのは、もともとは、大昔の日本や中国で神さまをお祀りするときに使った神聖な道具で、それを扱う巫女さんなんかを『婦』って字で現したんだよ」
「だよね、看護師じゃ性別分からないものね。『女看護師』なんか言葉として半熟だよね。わたしは、やっぱり看護婦さんがいいな」
「わたしの時代でも、患者さんたちは看護婦さんて言う人多いよ」
「ミナコちゃん、少しずつ戻ってきたんじゃない、記憶が!?」
「わたしも言ったんだけどね、肝心なことはサッパリだって」
「まあ、午後にも検査あるから、ゆっくり思い出しなさいよ」
大村さんが出て行って、また窓の外でカサコソと音がした。
「また、タヌキね」
「元々、ここはタヌキの多いところだったからね。ほら、ジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台になったところだからね」
そこで和子の無線に小言が入った。
「はいはい、すぐに持ち場に戻ります。ハハ、怒られちゃった」
和子はウィンクして、部屋の入り口の持ち場に戻った。
外は爽やかそうな五月晴れ。できるなら窓を開けたかった。でも、警備上、この窓は開かないハメ殺し、わたしは、缶詰半殺し……などと、呑気にアクビなどしていたら、急に前の窓ガラスに、ビシって音がして、放射状にヒビが入った。胸に手を当てるとパジャマの胸が真っ赤に染まり、ミナコは、ゆっくりと倒れていった。
倒れながら気がついた。『平成狸合戦ぽんぽこ』の公開は1994年、今は1993年。どうして沖浦さん知ってるんだろう……。
その沖浦和子が拳銃を構えて入ってきた。
「ミナコちゃん、大丈夫!?」
ミナコの視界は、しだいに暗くなってきた……。
🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
46『間に合う!』
「……お父さん帰ってこられないわけだ」
ポットの湯を湯呑に注ぎながらお袋が言う。キッチンに梅昆布茶の香りが満ちる。
モーニングショーが『国富港に5人の水死体!』のニュースを繰り返している。キャスターが解説するまでもなく、特徴から紀香の家を荒らしていたやくざ者だということが分かる。
ナポリタンの大盛りをレンジに放り込んだところで、捜査一課長の親父が50型の画面に現れる。記者会見の上半身は、ほとんど等身大だ。
「あら、お父さん」
レンジの前から見ると、お袋の向こうがテレビなので、なんだか、親父がそこに居て語っているような感じになる。
事件と捜査方針を語る親父は能弁で、昨日の食事会とはまるで様子が違う。不見識だがイキイキしているように見える。こんなイキイキした親父を家で見るのは、一昨年の桃の誕生祝以来だ。
やっぱり桃の存在は大きかった。桃だけが家族全員と繋がっていた、血の繋がりだけじゃなくってね。
朝食をナポリタンの大盛りだけで我慢して駅前に行く。
10分前に着くと、ロータリーのバス停近くに、もう来ていた。
桜の花柄なんて、どうかすると子ども子どもしてしまうんだろうけど、ワンピース姿の桜子にはとても似合っている。
「ごめん、待たせたかな!」
「あ、ううん、あたしも来たとこ!」
売店のオバチャンが、右手で3左手で0を作った。
オバチャンに目礼すると、桜子が「え?」という顔をして振り返る。オバチャンはニンマリ笑って親指を立てる。売店のお客さんが不思議そうにオレたちとオバチャンを見るので、ドギマギして歩き出す。
「よく買い物とかしたから、憶えられてるのね」
「そうだな」
桜子が30分も前から待っていたことには触れない。
オレと桜子は、きのうスマホで約束した。思い出のクニトミパークへ行こうって。
「あ、プラットホーム逆だよ!」
いつもの癖で、学校に行く側のホームにきてしまった。クニトミパークは反対側だ。そう気づいた時には、その反対側に電車が入ってくるところだった。
「間に合う!」
階段を駆け下りて反対側のホームに向かう。
こういう時、デブは不利だ。桜子が子犬のように先を行く。揺れるポニーテールからシャンプーの良い香りがした。
オレたちは、失った一年を取り返そうとしていたんだ。
🍑・主な登場人物
百戸 桃斗……体重110キロの高校生
百戸 佐江……桃斗の母、桃斗を連れて十六年前に信二と再婚
百戸 信二……桃斗の父、母とは再婚なので、桃斗と血の繋がりは無い
百戸 桃 ……信二と佐江の間に生まれた、桃斗の妹 去年の春に死んでいる
百戸 信子……桃斗の祖母 信二の母
八瀬 竜馬……桃斗の親友
外村 桜子……桃斗の元カノ 桃斗が90キロを超えた時に絶交を言い渡した
三好 紀香……クラスメートの女子 デブをバカにしていたが様子が変
ライトノベルセレクト
『ホームラン王 残念さん』
三郎は今日も不採用通知を受け取った。これで59社目である。
最初のころは封筒を開けるまでドキドキした。「ひょっとしたら!?」という気持ちがあったからである。
友だちが合格通知を封筒ごと見せてくれて分かった。
合格通知はその後に必要な書類や注意書きが入っていて分厚いのである。友だちのそれは80円で足りず90円切手が貼ってあった。
それから、三郎は封筒を持っただけで分かるようになった。定形最大は25グラムまでである。不採用通知はA4の紙切れ一枚。10グラムもない。持てばすぐに分かる。
次ぎに、三郎はポストの中のそれを見ただけで分かるようになった。二枚以上の書類が入っているものは、微妙に膨らみ方が違う。
次ぎに、三郎はポストに入る封筒の音で分かるようになった。A4一枚の封筒が郵便受けに入る音は、ハカナイほどに軽い。
三郎は、名前の通り三男ではない。単に父が二郎であったことから付けられた名前である。しいて理由を探すと三人姉弟で、上二人が女で、男女雇用機会均等法の精神からすれば不思議ではない。これを思いついたときは、自分でおかしくなり、だらしなく、ヤケクソ気味に笑った。
運動不足で、緩んだ体から緩んだ屁がでた。まるで老人のアクビのように締まり無く、長ったらしい屁で、自分でもイヤになった。
ヤケクソ半分でバットを持ち出して銀行強盗……などは思いもせずに、淀川の河川敷に行った。
河川敷の石ころを拾っては、川に向かっていい音をさせてバットで打ち込んだ。高校時代から使っている金属バットで、それなりに大事にしていたが、万年一回戦敗退の4番バッターでは、煩わしいだけのシロモノに成り果てていた。
カキーン…………!
ええなあ……音だけは。
そのささやかな、ウサバラシも、心ないお巡りの一言ですっとんだ。
「ニイチャン、ここでバット振ったらあかん。そこの看板に書いたあるやろ」
「野球はアカンとは、書いたあるけど……」
「バット振るのも野球のうちや」
「あの……」
「なんや……」
また緩んだ屁が出た。偶然お巡りは風下に居た。
「わ、く、臭い! イヤガラセのつもりか!」
「そんなん、ちゃいます……」
お巡りが行ったあと、三郎は、つくづく情けなく、落ち武者のように河原に座り込んでしまった。
「懐かしい臭いであったのう……」
気づくと、三郎の横に本物の落ち武者が座り込んでいた。
「あ、あんたは……!?」
「素直な性格をしておるの。お察しの通り、わしは落ち武者じゃ。もう、かれこれ四百年ほど、ここにおる」
落ち武者は、槍の穂先で大きな頭ほどの石を示した。
「墓……ですか?」
「土地の者は『残年さん』と呼んでおる。少しは御利益のある、まあ、神さまのなり損ない、成仏のし損ないじゃ」
「はあ……」
「慶長二十年、わしは、ここで討ち死にした。徳川方二十余名に囲まれてのう。名乗りをあげようとすると、さっきのおぬしのように長い締まりのない屁が出てな。臭いはおぬしそっくりであった。臭いにひるんだ三人ほどは槍先にかけたが、所詮多勢に無勢。ここで朽ち果てることになったのよ」
「はあ……」
「同じ臭いの縁じゃ。なにか一つだけ願いを叶えてやろう。ただし、残念さんゆえ、大した願いは叶えてやれんがな」
「就職とか……」
「無理無理、ワシ自身が仕官の道が無いゆえ大坂方についたんじゃからの」
「じゃ、彼女とか……」
「……無理じゃのう、その面体では」
「じゃ、じゃあ、ホームラン打たせてくださいよ!」
「ほ、ほーむらん?」
「あ、このバットで、このボールを向こう岸まで打ち込みたいんです!」
「おお、武芸の類じゃのう。それなら容易い。今ここで打ってみるがよい」
三郎は、高校時代の思い出のボールを思い切り打ち込んだ。
カキーン…………!
「また、おまえか!?」
さっきのお巡りが、本気で怒ってやってきた。落ち武者の姿はすでになかった。
偶然だが、このボールは、向こう岸で女の人を刺し殺そうとしていたオッサンの頭に当たって気絶せしめた。あとで、そのことが分かり、府警本部長から表彰状をもらった。
その後、三郎は阪神タイガースのテスト生の試験を受けて合格した。バッターとしての腕を買われたのである。
半年後、目出度く一軍入り。代打者として、またたくうちに名を馳せた。満塁ツーアウトなどで代打に出ると、必ずホームランをうち逆転優勝に持ち込んだ。
そして、その年、タイガースはリーグ優勝してしまった。
三郎はめでたくベンチ入り、日本シリーズも優勝し、いちやく時の人になった。
『イチローより三倍強いサブロー』がキャッチフレーズになった。『神さま、仏さま、サブローさま』ともよばれた。
そして、これが三年続いた。
なぜか、タイガースの人気が落ちてきた。必ず勝つタイガースは関西人の趣味に合わなかったのだ。
阪神は、三郎を自由契約として、事実上首にし、ほどよく負けるようになって、チームの人気が戻ってきた。
その後の三郎が、どうなったか、3年もするとだれも分からなくなり、甲子園球場の脇に石ころがおかれ、誰言うともなく、サブローの残念塚と呼ばれるようになった……とさ。
クリーチャー瑠衣・4
『瑠衣が真実を知った結果』
Creature:[名]1創造されたもの,(神の)被造物.2 生命のあるもの
岸本先生は、四階の外階段から落ちたが一命は取り留めた。救急車の中で「痛い、痛い……」と子供のように泣き叫んだ。
瑠衣は、高坂先生への詫びの言葉が出ないことが悔しかったが、それ以上に自分の力が恐ろしくなった。
――高坂先生を無傷で助けたのも、校長の悪巧みを知って制裁をくわえたのも、都庁まで往復のテレポーテーションをやったのも自分の力なんだ――と理解した。
ショックだった。自分がまるで化け物のように思われて、その日とあくる日は外にも出られなかった。
校長は、あくる日に懲戒免職になった。岸本先生は六カ月の重傷、そして高坂先生は、そんな岸本先生のことをまだ気遣っていることを家に居ながら知ってしまった。テレビからでもなくネットの情報でもなかった。これも自分の力だと理解した。理解はしたが、ただ恐ろしかった。自分は化け物中の化け物だと思った。
「瑠衣、ちょっと話があるの……」
母の心にはバリアーか何かがあるようで読めなかったが、なにか、より恐ろしい話が聞かされそうで、瑠衣は家を飛び出した。
あてもなく歩いた。無意識にテレポしてしまい、景色が渋谷、銀座、原宿、秋葉原などところころ変わった。
途中、歩きスマホをやっている人たちのスマホを全部壊した。
「あれ……」
歩道を猛スピードで走っていた自転車のニイチャンが前のめりになりながらたまげた。自転車のペダルが急に重くなり、歩道を走るのにふさわしい時速8キロにまで落ちてしまった。
コンビニを出ようとして、車のブレーキとアクセルを踏み間違えたオジイチャンは、車が飛び出さずにホッとした。
「いつのまに安全装置を付けたんだろう……?」オジイチャンは不思議に思った。
無意識ではあるが、全て瑠衣の力であった。
一時間後、瑠衣は母の部屋に連れ戻された。
「少しは落ち着いた? お母さんは瑠衣みたいな力はないから、連れ戻すのに苦労した」
「あたしは、いったい何者なの……?」
思ったよりも落ち着いた気持ちで訊ねることができた。かすかにラベンダーの香りがするような気がした。どうやら母の仕業らしい。
「瑠衣のお父さんは死んだって言ってきたけど、そうじゃないの」
「どういうこと……?」
「お母さん、二十二歳の歳にひどい失恋をしてね、今日の瑠衣みたいに街をほっつき歩いて、気が付いたら、あるビルの屋上にいたわ……で、飛び降りちゃった……高坂先生みたいにね」
「高坂先生のこと知ってるの?」
「わたしは、このパソコンを操作しなきゃ分からないけどね……聞いてね。お母さんを助けてくれた人がいるの、高坂先生にとっての瑠衣のように」
「あたしが、高坂先生を助けたの……?」
「そう、あとの不思議なできごともね。瑠衣の力が覚醒したのよ。いつかはと思っていたんだけど、急だったんで、慌てちゃって。でも、瑠衣は、悪いことには力は使っていない。少し安心した」
「どうして、こんな力が……」
ラベンダーの香りが少し強くなったような気がした。
「瑠衣のお父さんは……」
「あたしが赤ちゃんのころに……」
「亡くなってはいない……お父さんはシータ星の数少ない生き残りなの」
「宇宙人……」
瑠衣の頭にシータ星の宇宙座標や、シータ星の情報が流れ込んできた。瑠衣は悲しそうな顔になった。
「そう、滅びかけ……お父さんが、助けてくれたのは瑠衣と同じ『死なないで!』という良心から。お母さんお礼がしたくて、間をすっ飛ばして言うと、彼のために、あなたを産んだの。一か月ほどはお父さんいっしょにいてくれたけど、宇宙に散った仲間を探しに飛んでいってしまった」
「連絡とかは?」
「事情があって連絡できないの……瑠衣がインストールした情報で想像はつくでしょ」
「……そういうことなんだ」
自分の部屋に戻ってもラベンダーの香りは付いてきたが、瑠衣の心には大きな穴が開いた。そして母は最後に言った。
「力をコントロールできるようになりなさい。そしてなんのために力を使えばいいか考えてゆっくりでいいから」
瑠衣は、たった一人、海の真ん中に放り出されたように寄る辺ない気持ちになった……。
ミナコは、科学技術庁の預かりということになった。
ミナコの持ち物や身につけているものが、1993年の技術では説明の付かないものがいっぱいあったからだ。
制服が、当時存在しない学校のものであることは大して問題にならなかった。そんなものはいくらでも作れるからだ。問題になるものは他にあった。
ヒートテックのシャツ。この時代では発売はおろか、繊維の発明もされていない。
ナプキンの高分子ポリマーが、この時代のものではない。
電波式腕時計が、アンテナ内蔵式で、1993年の技術ではできていない。
スマホの液晶画面が、この時代の技術ではできない。
アイポッド及び、それに使われている青色発光ダイオードは、この時代では作れない。
携帯ゲーム機が、この時代の技術を、遥かに超えた技術。
持っていた千円札が、この時代のD号券(夏目漱石)ではなく、まだ発行されていない野口英世である。
五千円札も、樋口一葉で、この時代のものではない。
持っていた貨幣のほとんどが、1993年以降のもの、とくに500円玉は、材質デザインが異なる。
どうやら、科学技術庁はダミーで、もっと他の組織が絡んでいるらしいが、よく分からない。まあ、ミナコには想定内のことではあったが……。
「どう、なにか思い出した?」
引き続き、ミナコの身辺警護の沖浦婦警が聞いてきた。ちなみに、女性警官という呼称は2000年にならないと生まれない。
「ううん、なにも……」
沖浦婦警に、こう答えるのは心苦しかった。
実は、ミナコはほとんど全てのことを知っている。それは父のピンチヒッターとして、2013年から、この時代にタイムリープするときに、意識コントロールできるように、父が脳の記憶野に手を加えた。
なんの目的で、この時代に派手に白昼、渋谷のハチ公前をパトロ-ル中の巡査の上に落ちたか。また、この時代に無いものを、ヤツラが不審に思わない程度に持ってきて、今のように隔離されるか。ミナコは全て知っていた。ただ、催眠術をかけても、ポリグラフにかけても、意識の裏に隠せるようになっていた。
科学技術庁の保護を受けるようになってから、奥多摩の施設に移送された。
その場所はミナコには秘密にされたが、スマホのGPSで場所は把握していた。スマホは、ロックがかけられていてミナコ以外には操作できない。ミナコは、担当者の目の前で、シャメの機能だけは披露したが、あとは秘密にしてある。
担当者は、隙を見ては、スマホを調べようとしたが、セキュリティーがついていて、ミナコの許可無く触ったり、持ちだそうとするとパトカーのサイレン並の音がして、一度試されただけで、二度とは行われなかった。
青山通りのセダン爆発事故は、原因究明がかなり進んでいた。進んではいたが、分からない事が多かった。
なんと、このセダンは、自衛隊の90式戦車の榴弾で破壊されていることが分かったのだ。榴弾の破片が出てきたのである。さらに詳しく調べると、同時刻、富士の総合火力展示演習のとき、不発弾として、弾着地点を中心に捜索され、未だに発見されていないものであることが確認され、当然のごとく、この情報は非公開にされた。
「あ、やられた!」
沖浦婦警は、交代で自分の実家に戻ってテレビのチャンネルを回して叫んだ。
「どうしたの和子?」
母が晩ご飯の用意をしながら尋ねた。
「あ、偶然出くわした事故なんだけど、わたし写り込んでるかも……ああ、こんなバカ面で!」
と、ごまかしたが、むろん自分が、いま関わっていることを隠すためである。
テレビは、偶然渋谷をロケ中の帝都テレビが写していたドラマの収録のバックに写りこんでいた。
画質は悪いが、空中にミナコが現れ、宮田巡査の上に落ちてくるのがハッキリ分かった。編集中に気づいた帝都テレビは、近くにいたお上りさんが、落下直後のミナコや付近の様子、救急車の到着までを克明に撮っていたのを買い上げて、特集番組にしたのだ。
「みなさん、ここに注目してください。彼女の腕時計。拡大できますかね……」
MCのビートたけしが言うと、時計のアップになった。アナログなので不鮮明だが、メーカーのロゴが分かる。
「メーカーに問い合わせましたところ、このデザインのものは作っていないそうであります」
「どこかのパチモンじゃないすかね?」
「そういう、おまえがパチモン。だいたいこのメーカーのパチモン作る? ほいで、買うかね、女子高生が?」
「でも、その女子高生がさ、こんな制服の高校はスタッフが調べた限り、どこにもないって」
「う~ん、今のお前がいっぱしの芸人で通っているより不思議だけどな。なんと、このかわい子チャン。入院した病院から、忽然として姿を消した!」
和子は、心配になってきた。どこまで秘密が守れるんだろう。
和子は、職務を超えてミナコに同情心を持ち始めていた……。
🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
45『親父のマチウケ』
「それで桃斗……」
4回目だ。
映画でレコード針が跳んで、同じ音ばかり繰り返すシーンがあったのを思い出した。
「父さん、それって4回目だよ」
二皿目のカルボナーラをフォークに絡めながら親父に言った。
「え……なんか言ったか?」
聞きながら、ビーフシチューの皿にスプーンを突っ込む。とっくに空になっているので、スプーンは虚しく空気をすくう。それさえ気づかずに、親父はスプーンを口に入れる。
「ん? いつのまに……?」
「さ、そろそろお開きにしましょう。三人とも食べ終わったみたいだし」
「あ、そうか?」
オレは、カルボナーラを流し込む。
「もう、たっぷり一時間たちましたし」
お袋がアナログ腕時計を示す。
きょう久々に食事会をやった。
例によって親父の空き時間。でも、空き時間があればいいというものでもない。親父は抱えている事件の事で頭が一杯。
刑事の性で、食事は呼吸するのと同じように無意識でも済む。でも肝心の家族の会話はできない。「それで桃斗……」を4回、「母さん……」を3回言っただけで、すぐに捜査一課長の思考の中にもぐってしまう。
親父は、お袋やオレの顔も見ることなく、スマホを見ながら県警本部に帰って行った。
「親父、スマホのマチウケ替えてたね」
「え、そう? 相変わらずの桃のでしょ、誕生日の?」
「今度のは、親父の誕生日に撮ったやつだった」
「そうなんだ」
「両方とも同じ服だから、一見区別がつきにくいけどね」
「ああ、お父さんが『似合ってる』って、誉めてたやつよね」
「カーディガンは、お袋が編んだやつ。カチューシャは……してなかった」
「そうだっけ」
「親父の誕生日のときは、まだカチューシャは持ってないから」
あのカチューシャは、たった一回、オレが誕生祝に桃にプレゼントしたもんだ。二人っきりの時に渡したから、親父もお袋も知らないかもしれない。
桃を棺に収める時、その三点セットを身に着けさせてやった。そのことは言わない。思い出せば、きっと今でも涙になるから。
「でもさ、気まずいわりには、あっという間の一時間だったね」
オレは、もう一皿くらい食べたかった。
「そうね……」
お袋は隠しもしないでアナログ腕時計の針を戻していた。
その夜、桃は膝小僧を抱えてベッドの隅に現れた。
「どうした、今夜は遠慮してんな?」
「だって、お兄ちゃん嫌がるもん」
口を尖らせて、どうも拗ねている。
「そんな顔してると幽霊みたいだぞ」
「ム~、桃は幽霊だもん」
そうだ、桃は幽霊だった。このごろ忘れることが多い。
「くっ付いていいから、その顔はやめろ」
「ちゃんと抱っこしてくれなきゃヤダ」
ちょっと不憫になる。桃が人のぬくもりを感じられるのは、オレ一人しかいない。
「……わかった。抱っこしてやるから」
「ほんと!」
桃が胸に飛び込んできた。ガキンチョのころのようにギューっとしてやる。
「桃……こんなにちっこかったんだ」
涙が出そうになる。
「デブになったから、そう思うんだ。110キロなんだもんね!」
「おい、腹の肉つまむな」
「この余計な肉、あたしの体重と同じなんだよね」
祖母ちゃんも同じことを言ってた。あまり嬉しくはない。
「桃、どうして最後に着せてやったナリで出てこないんだ?」
「あたりまえでしょ、火葬場でみんな焼けちゃったわよ」
「あ、そうなんだ……親父、スマホのマチウケにしてたよ」
「お兄ちゃんは、してくれてないんだ」
「そういう趣味ないんだ」
「薄情もの」
「痛て!」
「罪滅ぼしに、もっとしっかり抱っこ!」
「わ、分かったよ。ギュ-ッ!!」
幽霊だからか意地になっているのか、桃は「苦しい!」とは言わない。
「……やっぱ、背中にまわれ!」
桃を背中に投げ飛ばす。
「キャー! なんでよ!?」
身体を丸くして、理由は言えない。
クリーチャー瑠衣・3
『瑠衣の覚醒』
Creature:[名]1創造されたもの,(神の)被造物.2 生命のあるもの
『都立希望野高校校長 人事異動内示書の違法公開!』『許せぬ民間人校長のパワハラ!』
そんな見出しが各紙面のトップに踊っていた。報道各社は、いっせいに都庁二号庁舎にある都教委と学校に押し寄せた。
瑠衣は都教委の廊下で待っていた。すでに廊下にはテレビ局や新聞社の記者で溢れている。
やがて、校長が緊張した顔で記者たちにもみくちゃにされながら階段を上がってきた。
途中まではエレベーターを使っていたが、狭いエレベーターの中で、記者たちに質問攻めにあうことに耐えられず、校長は発作的にエレベーターを降り、十五階分階段を上がってきた。記者たちも同時にエレベーターを降り、体育会系バラエティー番組のように、一気に十五階を校長を囲む集団で取り囲みながら上がってきた。
「校長、極秘であるべき内示書を何十枚もコピーして職員室で撒いたんですか!?」
「内示書が、極秘扱いになっていることはご存じだったんですよね?」
「パワハラになるという自覚あったんですか!?」
「内示書の中には個人情報が含まれてますよね!?」
校長は、記者たちの質問には一切答えず、教委に指示されていた会議室へと向かった。
校長は、嘘の答弁を用意していた。
「大切なものなので、取扱いに注意し、問題は職員みんなで共有しなくちゃなと教頭に話し、教頭はそれを誤解して印刷、職員室に積み上げたもの」
これだけでは監督不行き届きにしかならない。驚いたことには生徒から集めた教材費をプールし、二重帳簿を作っていた。これは管理職はみな承知のことで、いわば運命共同体であり、教頭にも泥を被せたのである。
会議室は遮音されていたが、なぜか会話は丸聞こえである。これが自分の力であるという自覚は瑠衣には無かった。
「こ、こ、こ……」
「校長先生、落ち着いてください」
「この件は、普段私の意に従わない教職員への見せしめであり、校長が学校で最高の権威者であることを、みんなに思い知らせるために……」
「正気ですか、校長先生?」
「え、あ、いや……」
校長は狼狽したが、思ったことがそのまま口に出てしまう。
「内示書の中には、とても重要な個人情報が含まれています。年齢や履歴、さらに指導専従という記載のある先生は、それだけで本人が隠していた国籍まで分かってしまいますよ」
瑠衣は意外だった。あの内示書には本名そのものが書いてあると思っていたから……それは、瑠衣の能力が高く、そこまで深く読んでしまったということが分からなかった。
「本日付で、休職していただきます」
「え……休職?」
「これが最終決定ではありません。事の重大さと、今の先生の答弁は予想を超えて問題があります。教育委員会に諮り、以後の措置を検討します。別命あるまで自宅で待機なさってください」
その後、校長がマスコミから、ほとんど非難と言っていい取材に晒されたことは言うまでも無い。
校長は方がついた……そう思った瞬間瑠衣は、学校の英語科準備室に瞬間移動してしまった。目の前に岸本先生がいる。
「岸本先生」
「わ、なんだ立花、いつの間に入ってきたんだ!?」
「先生、内示書見ましたね」
「あ、ああ、職員室に無造作に積んであったからな。なにか問題でもあるのか、あれを公開したのは校長だぞ」
「そのことはいい。先生は、あれを見て高坂先生が外国籍だということに気づいて、心変わりしたでしょう」
「そ、それは」
「高坂先生がどれだけショックだったか分かる!?」
「そんな、オレの責任じゃ……」
「先生にも、高坂先生と同じ目に遭ってもらう……」
岸本は校舎の外階段の最上部まであがり、そこから飛び降りた。
グシャ
瑠衣は、そこで愕然となった。
「なんて、恐ろしい力……!?」
瑠衣が、自分の力が覚醒したことを自覚した瞬間であった。
時かける少女・14
『ピンチヒッター 時かける少女』
東京タワーが見えたのは一瞬だった。
その次ぎに紺色の服と帽子が真下に見えたような気がして、意識はそこで途切れた。
気がつくと病院のベッドだ。
「看護婦さん、看護婦さん、この子意識がもどりましたよ!」
知らないオバサンが、ナースコールで看護婦さんを呼んでいた。
「よかったわね、うちの子も、さっき峠を越したって、先生に言われたとこよ」
横のベッドを見ると、頭をネットにくるまれ、あちこちチューブに繋がれた男の子が横たわっていた。
「こりゃあ、ちょっと時間がかかりますね。いいんだよ、無理に思い出そうとしなくても」
お医者さんが、そう言った。
わたしはミナコという名前以外は、なにも覚えていない……と、いうことになっていた。
「すみません。今は何年ですか?」
「ああ、平成五年、1993年だよ。なにか思い当たるのかい?」
「え……いいえ、なんにも」
「きみね、いきなり空からオレの頭に降ってきたんだよ」
首を揉みながらお巡りさんが、不満そうに言った。
「空はおおげさよ。空だったら、宮田さん今ごろ命ないですよ」
女性警官の人が、おかしそうに、宮田というお巡りさんに言った。
「そうだよ。この子の怪我もこんなもんじゃ済まない。推定でも、落ちてきた高さは二メートルは超えないよ」
「でも、渋谷のハチ公前ですよ……空はともかく、とにかく上からなんですよ、真っ直ぐに」
「そこなんだよね。車の上からとか、胴上げされて、あやまって落ちてきたんなら、もっと斜めに落ちてくるはずなんだけどね。状況的には真上、それも二メートル以下としか考えられん」
そのとき、女性警官の無線に連絡が入った。
「はい、沖浦……あ、防犯ビデオに写ってましたか……え、そんな……こちらは意識は戻りましたが、記憶が……ええ。なにか分かりましたら連絡します。以上」
「なにか、分かったんですか?」
「この子が落ちてくる瞬間が、広場の防犯カメラに写ってたの……でも、宮田さんの頭の直ぐ上に現れて、直ぐに落ちてきたんだって」
「そんな……」
お巡りさんと、お医者さんが同時に声を上げた。
「悪いけど、あなたの持ち物調べさせてもらったわ。カバンの中から、着ている服まで」
「あ……」
わたしは、病衣の下に、なにも身につけていないことが分かって、ドキッとした。覚悟はしていたが、やっぱり、ガチ恥ずかしい。
「その制服は、どこの制服でもない。『女子高制服図鑑』の編集まで確認とったけど無し。メーカーにもあたったけど、その制服は作ってないって。靴や、下着まであたったけど、どのメーカーも作ってない。その時計に至っちゃ、メーカーも存在しない」
「最大の謎が、この携帯テレビみたいなの。わたしは新型のゲーム機かと思ったんだけど、電源入れてもロックされてんのよね」
「ちょっと貸してください」
わたしは、なかば無意識で、それを受け取って画面を開いた。マチウケにしているアイドルの上半身が出てきた。この子が生まれるのは、まだ十ヶ月先だ。
「うわー、きれいね。画面も写っている子も!」
沖浦さんが、女性らしい好奇心を示した。
わたしは、アイドルの子の顔を二回クリックした。
そのころ、富士の演習場では、自衛隊の総合火力展示演習がおこなわれ、メインのMBTの90式戦車が五両集まって千メートル先の的を目がけて、実弾射撃をしていた。
「てっ!」
指揮官の号令のもと、二発目が五両の90式戦車の砲口から撃ち出された。
そのうちの四発は無事、見事に目標を破壊したが、一発が、なぜか、土煙もあげなかった。不名誉なことではあるが、不発弾と、その時は判断された。
同時刻、乃木坂に近い青山通りを走っていたセダンが大爆発を起こし、バラバラに吹き飛んだ。
そのときは、この二つの出来事を結びつけて考える者はいなかった。
「ミッション成功……」
ミナコは、表情にも出さず、そう思った。だが、その記憶は十秒後には自動的に消去された……。
🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
44『コホン!』
「「「「「「「「「「「「「「起立! 礼!」」」」」」」」」」」」」
最後のあいさつが終わって、クラスが解散になる。三学期の終業式は格別だ。
「紀香、持ってやるよ」
大輔が、紀香の荷物を持ち上げた。
「悪いわよ」
「いいよ、オレ自分のは昨日もってかえったから」
「で、でも」
遠慮した紀香の手が荷物に伸びる。ほとんど息がかかりそうな近さに、大輔の頬が染まる。ご丁寧に、紀香の手は大輔の手に重なっている。
「いいからいいから」
「そ、そう……じゃ、おねがいね」
そう言うと、紀香は通学カバンだけ持って、大輔の横を歩いて下足室のある一階に下りて行った。
廊下も階段も、ホームルームが終わって下校する生徒でごった返している。ぴったり寄り添っていても不自然ではない。
後ろから来た生徒が、追い越しざまに紀香の肩にぶつかった。
「キャ」
かわいく叫んで、紀香は大輔の腕に掴まる。大輔の胸がキュンとしたのが後ろからでも分かる。
そこで、オレは二人から距離をとった。もう、関わるのは止そう。
110キロの腹を持て余しながら靴を履くと、後ろから声を掛けられた。
「百戸君」
振り返ると、至近距離に紀香の顔があった。たった今の決心が吹き飛んでしまう。
「分かってると思うけど、あたしに関わるのは止めてね。あたしも組織も完璧だから、見破られることはないけど、嗅ぎまわられるのは疎ましいから」
「分かってるよ2号」
「2号じゃない、紀香よ」
「待てよ」
踵を返した紀香2号の腕をつかんだ。
「こういうことを言ってるの、止めてって」
「オリジナル紀香はどうしたんだ?」
「あたしたち、みんなオリジナルなの」
「クローンだからな。でも、オレが言ってるのは持久走で救けた紀香だ。おまえを救けた憶えはないからな」
「生きてるわ。それ以上は言えない」
「仕草とか距離の取り方は、すごく上手いけど、目が生きてない。そのうちバレるぞ」
「バレない。ほら、百戸君と喋っているだけで……」
下足室の出入り口で、大輔が怖い顔をしている。どうやら紀香の作戦に乗せられてしまったようだ。大輔が不審に思うことはないだろう。
「ごめ~ん大輔、いっしょ帰ろ。マックとか寄りたいなあ……」
鼻にかかった声、大輔の目がへの字になる。
――やられたな。関わらないって決めたのにな――
「コホン!」
真後ろで咳払い。
振り返ると、桜子が怖い顔をして立っている。
もう金輪際、あいつには関わらないと誓いなおすオレだった。
🍑・主な登場人物
百戸 桃斗……体重110キロの高校生
百戸 佐江……桃斗の母、桃斗を連れて十六年前に信二と再婚
百戸 信二……桃斗の父、母とは再婚なので、桃斗と血の繋がりは無い
百戸 桃 ……信二と佐江の間に生まれた、桃斗の妹 去年の春に死んでいる
百戸 信子……桃斗の祖母 信二の母
八瀬 竜馬……桃斗の親友
外村 桜子……桃斗の元カノ 桃斗が90キロを超えた時に絶交を言い渡した
三好 紀香……クラスメートの女子 デブをバカにしていたが様子が変