あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

2年の時からずっと・・・

2015-09-26 11:50:06 | Weblog

川島なお美さん 壮絶がん死 54歳 舞台降板発表からわずか7日…

昨日早朝、旅先で夜行高速バスを降りて地図を探してみようと携帯電話を操作している際に

川島なお美さんの訃報を知り途方にくれました。

ずっとあなたが好きでした・・・

初めてなお美さんを知った時は小学2年の時でした。

家族で赤倉にスキーへ行った宿で「お笑いマンガ道場」を観て

「世の中にこんなキレイな人がいるんだ!」と衝撃を受けました。

それから好きでした。以来「お笑いマンガ道場」をなお美さん目当てで観ていました。

今のようにインターネットも無い時代、他にどんな番組に出ているか分らなかったですが

テレビ東京の小倉智昭さん、山田邦子さんと出ていた「TONでネットワーク」

深夜の自動車番組など新聞で出演が分る番組はビデオに録画し何度も見ていました。

因みに私の好きな刑事ドラマ「私鉄沿線97分署」最後のゲストは川島なお美さんでした。

ラジオのミスDJリクエストパレードは知りませんでしたが

FM横浜の「横浜ボーイズステーション」で毎週ラジオで聞いていました。

男性誌にグラビアで出ている事を知ると中、高校の私はドキドキしながらこっそり買ったのも懐かしい思い出です。

中三の時には「本屋でエッセー(『シャワーの後で』)が売っていたよ」と情報を得て

かなり以前に発売されたなお美さんのエッセーを新品で入手できた時は嬉しかったな。

ご本人のお姿を見れたのもこの頃。

昭和61年8月、新聞広告で町田でキリンビールのイベントがあり出演されると知り生で観られ生歌も聴けました。

質問コーナーがありましたが小心者な私は最前列にいながら手を挙げられませんでした。

でも本当にキレイでした。今でもあの感動とステージは忘れません。

私が川島なお美さんのファンだというと『彩雲の世代じゃないでしょ?』と

たいてい驚かれます。

 (数年前に小学生の頃からファンだ!と言ったら友人に「あんた変わってるよ」と笑われて

  そいつとは縁を切りました)

私はあまり音楽を聞きません。
「あまり」なので「まったく」という訳ではなかったのです。

小学高学年、から中学になるとレンタルレコードなるものが出てきて
借りた川島さんのアルバム数枚。

その中でも「銀幕のヒロイン」が一番好きでした。
カセットテープにダビングして何度も聴いていました。
(因みに世代的には『おニャンコクラブ』等が全盛期でしたが
興味無しでした)

そのカセットテープを聴くと今でも中学高校の頃を思い出す。
あの時に聴いていたカセットは大切だが
CDで聴きたいと思いネットオークションで探すも
LPレコードばかりでCDで出回ったアルバムは少ないようでした。

そんな中で6年前に長年探していたCDをやっと入手できました。

川島なお美さんの「銀幕のヒロイン」


他のアルバムもCDで入手し時折聴いています。

昔から今に至るまで自然と頭に流れる歌はなお美さんの曲です。

ちょっと熱が醒めてしまったのは再びブレイクした有名な写真集が出た時。

なお美さんには良かったけど私には残念でした。

それから女優さんとして活躍されていても作品を観る事はありませんでしたが

私の中では歌手としての、なお美さんの存在があり大好きでした。

ドラマや映画ではなくテレビに出て活躍されているお姿に喜んでいました。

職場のホテルが舞台となったあるドラマでなお美さんが出演されていたのですが

その頃の私はスポーツクラブに配属されておりました。今のようなドアマンだったら

お会い出来たのに・・・

ドアマンになってから、もしもなお美さんが来館されたら

アルバム「TOKIOアプローズ」の中に収録されている『Tokio Princess Hotel』に因み

ドアを開ける際に「東京プリンセスホテルにようこそ!」と言おうと決めていました。

でも、それも叶いません。

今回のタイトルはなお美さん自身もお好きだという曲

「1年の時から」をもじりました。私自身は「想い出のビッグ・ウェンズデイ」が一番好きです。

私の中の永遠のアイドル川島なお美さん、今まで本当にありがとうございました。

もうシナモンちゃんに会えましたでしょうか

どうか安らかに・・・








 ドラマ「失楽園」などで知られる女優の川島なお美さんが24日午後7時55分に、胆管がんのため都内の病院で死去した。54歳。名古屋市出身。2014年1月に肝内胆管がんの手術を受けていた。9月7日にはパティシエの夫、鎧塚俊彦氏(49)と共に都内でイベントに出演したが、激やせぶりが心配されていた。17日には体調不良により出演していた舞台を降板、復帰に向けて療養することを明かしていた。葬儀・告別式、喪主は未定。

 無念の舞台降板を決めてからわずか7日、川島さんが人生の幕を閉じた。早過ぎる旅立ちだった。

 川島さんは昨年1月に肝内胆管がんで手術。すぐに仕事復帰を果たした。ワイン好きとして知られ「私の血にはワインが流れている」などの発言で話題になった川島さんは、今月7日に夫の鎧塚氏と共にシャンパンのイベントに登場。「ワインは一生分飲んだ」と笑顔で語り、やせ細った姿を心配する声にも「大丈夫です」と気丈に振る舞っていた。

 同16日には長野県伊那市で「パルレ〜洗濯〜」に出演したが、17日朝に体調不良を訴えて同公演の降板を発表。帰京後入院して、復帰を目指し療養していた。23日にはブログで、「皆さまへ 今は早く復帰したい一心ですが、完璧に元気になって女優に復帰できるよう当面は治療に専念させていただくことになりました」と報告。闘病への決意を示したばかりだった。

 鎧塚氏は自身のフェイスブックで訃報を伝えた。「一週間前まで舞台を勤め、そして最後の最期まで女優として、女房として、人として全力で生を全う致しました。息を引き取るまで川島なお美はやっぱり川島なお美のままでした。本当に立派でした」とつづり、病と向き合いながらも、女優魂を貫いた愛妻の姿を誇った。

 川島さんは97年にはドラマ「失楽園」での濃厚なラブシーンが話題を集めた。私生活では2009年2月に鎧塚氏と結婚した。

 55歳の誕生日(11月10日)を記念して、11月5日に行われる予定だったバースデーライブへの出演は、かなわなかった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする