【はじめに】
当ブログでは長年秘めてきたドリーム交通のモノレールへの想い。
不定期ですが始めます。
本当はもっと早くブログに書こうと思っておりました。
それでも簡単に扱う事が出来なくて長い時間が経ってしまいました。
もう無くなってしまった横浜ドリームランドのモノレール。
小学生の頃からそのモノレールが復活する夢を何度も見てきました。
大人になった今。
軌道は撤去され存在しなくなっても
時おり夢の中であのモノレールを見る事があります。
廃墟のままだったり走行していたり・・・
この連載?が終わるのはいつになるか
短く終わるのか長く引き伸ばすのか
はたまた途中で終わるのか
どうか見守ってやってください。
---------------------------------------------------------
それが何歳の時で小学何年生だったのか正確には覚えていない。
それでもその出会いが私の人生にこれほどまで影響を及ばすとは思いもしなかった。
たぶん箱根か熱海の保養所に行く時で小学2,3年生だったのだろう。
(↑撮影場所は違いますがこんな年齢の頃)
父が勤める会社の保養所に家族で行くのが楽しみだった。
不思議なのが「その出会い」を体験する前までも頻繁に箱根や熱海に行っていたのに何故気付かなかったのかという事。
たぶんその時だけ本来とは違う道を走っていたのだろう。
そうだ、書いてて思い出したがそこは渋滞で有名な場所。
関東にお住まいの方ならラジオの交通情報で「国道一号、原宿交差点で何キロ渋滞」と耳にした事があると思う。
その「名所」を越えると道はスムーズに流れるのだ。
普段その道は「名所」を避ける為に通らなかったのだろう。
コルト1100の後部座席で両側から兄弟に挟まれ真ん中に座っていた。
両親が座る前席ベンチシートの間からよじ登るように前を見ていた私に青い『高速道路』が見えてきた。
こんな所に高速道路なんてあったの?
不思議に思った私はすかさずコルトを運転する父に
「あれ高速道路?」と尋ねると
『あれはモノレール(笑)もう使われていない』
詳しい説明は忘れたが「横浜ドリームランドと大船駅を結ぶ予定だったモノレールで開通前に車両が重くて走れない事が分かりそのまま」
と聞かされた。
幼稚園児の頃から「廃車置き場」や「廃墟」が好きだった。それが鉄道の廃線でモノレールともなると興味を示さない訳がない。
もっともその頃にモノレールという鉄道に乗った事はないが祖父の墓参りで東京へ行く際横羽線から東京モノレールを見ていた。
羽田の飛行場付近でコルトの中から走るモノレールに遭遇すると喜んだものだ。
一国のモノレールのレールの先がどうなっているのかを見ると住宅街を抜けるように敷かれているようだったが何しろ一瞬の事だ。
あの一瞬が全ての始まりだった。
『もう使われてない』
父が何気なく発したこの言葉に火を点けられてしまった感じがする。
レールがあるなら両端の駅舎や車両はどうなっているのだろう?
気になって仕方がなかった。
「帰りもまたこの道を通るの?」
と、しきりに訊ねて帰りも一国を通ってくれた。
翌朝も『通るんだよね?』と念押しした(笑)
帰り道は約束通りに原宿を目指してくれた。
「もうそろそろだよ(笑)」
父の言葉にドキドキしながらレール下を通過するのを待つ。
見えてきたモノレール軌道をよく見ると「→大船」と薄く記入されていた。
上の写真はそれから約5年後に撮影したもので錆が出ている。
でも初めて見た時はまだキレイだったと思う。
家に帰り地図を開き件のモノレールを探すと
そのモノレールはドリームランド線とか大船モノレールと名前が付いており(運休中)(休止中)と名前の後に付いていた。
『もう使われていない』筈なのに復活の可能性を秘めている事の不思議。
悲しいかな、地図で場所を見ても実際に「探検」に行ける訳もない低学年時。
まだ見ぬ駅舎やレールを想像するだけだった。
つづく
↓写真は開通前のドリームランド線と国道一号線(開通記念パンフより)
昭和41年
昭和39年1月13日
横浜ドリームランド建設計画発表
松尾社長のコメントを見ると「将来は隣接地に野球場」とあるのがなんとも皮肉?
↓イラストの拡大図
国道一号線を跨ぐ箇所が実際とは違い横浜寄りとなっている点が同線の運命を変えた?
もっとも略図だと言われればそれまでですが(笑)
当ブログでは長年秘めてきたドリーム交通のモノレールへの想い。
不定期ですが始めます。
本当はもっと早くブログに書こうと思っておりました。
それでも簡単に扱う事が出来なくて長い時間が経ってしまいました。
もう無くなってしまった横浜ドリームランドのモノレール。
小学生の頃からそのモノレールが復活する夢を何度も見てきました。
大人になった今。
軌道は撤去され存在しなくなっても
時おり夢の中であのモノレールを見る事があります。
廃墟のままだったり走行していたり・・・
この連載?が終わるのはいつになるか
短く終わるのか長く引き伸ばすのか
はたまた途中で終わるのか
どうか見守ってやってください。
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それが何歳の時で小学何年生だったのか正確には覚えていない。
それでもその出会いが私の人生にこれほどまで影響を及ばすとは思いもしなかった。
たぶん箱根か熱海の保養所に行く時で小学2,3年生だったのだろう。
(↑撮影場所は違いますがこんな年齢の頃)
父が勤める会社の保養所に家族で行くのが楽しみだった。
不思議なのが「その出会い」を体験する前までも頻繁に箱根や熱海に行っていたのに何故気付かなかったのかという事。
たぶんその時だけ本来とは違う道を走っていたのだろう。
そうだ、書いてて思い出したがそこは渋滞で有名な場所。
関東にお住まいの方ならラジオの交通情報で「国道一号、原宿交差点で何キロ渋滞」と耳にした事があると思う。
その「名所」を越えると道はスムーズに流れるのだ。
普段その道は「名所」を避ける為に通らなかったのだろう。
コルト1100の後部座席で両側から兄弟に挟まれ真ん中に座っていた。
両親が座る前席ベンチシートの間からよじ登るように前を見ていた私に青い『高速道路』が見えてきた。
こんな所に高速道路なんてあったの?
不思議に思った私はすかさずコルトを運転する父に
「あれ高速道路?」と尋ねると
『あれはモノレール(笑)もう使われていない』
詳しい説明は忘れたが「横浜ドリームランドと大船駅を結ぶ予定だったモノレールで開通前に車両が重くて走れない事が分かりそのまま」
と聞かされた。
幼稚園児の頃から「廃車置き場」や「廃墟」が好きだった。それが鉄道の廃線でモノレールともなると興味を示さない訳がない。
もっともその頃にモノレールという鉄道に乗った事はないが祖父の墓参りで東京へ行く際横羽線から東京モノレールを見ていた。
羽田の飛行場付近でコルトの中から走るモノレールに遭遇すると喜んだものだ。
一国のモノレールのレールの先がどうなっているのかを見ると住宅街を抜けるように敷かれているようだったが何しろ一瞬の事だ。
あの一瞬が全ての始まりだった。
『もう使われてない』
父が何気なく発したこの言葉に火を点けられてしまった感じがする。
レールがあるなら両端の駅舎や車両はどうなっているのだろう?
気になって仕方がなかった。
「帰りもまたこの道を通るの?」
と、しきりに訊ねて帰りも一国を通ってくれた。
翌朝も『通るんだよね?』と念押しした(笑)
帰り道は約束通りに原宿を目指してくれた。
「もうそろそろだよ(笑)」
父の言葉にドキドキしながらレール下を通過するのを待つ。
見えてきたモノレール軌道をよく見ると「→大船」と薄く記入されていた。
上の写真はそれから約5年後に撮影したもので錆が出ている。
でも初めて見た時はまだキレイだったと思う。
家に帰り地図を開き件のモノレールを探すと
そのモノレールはドリームランド線とか大船モノレールと名前が付いており(運休中)(休止中)と名前の後に付いていた。
『もう使われていない』筈なのに復活の可能性を秘めている事の不思議。
悲しいかな、地図で場所を見ても実際に「探検」に行ける訳もない低学年時。
まだ見ぬ駅舎やレールを想像するだけだった。
つづく
↓写真は開通前のドリームランド線と国道一号線(開通記念パンフより)
昭和41年
昭和39年1月13日
横浜ドリームランド建設計画発表
松尾社長のコメントを見ると「将来は隣接地に野球場」とあるのがなんとも皮肉?
↓イラストの拡大図
国道一号線を跨ぐ箇所が実際とは違い横浜寄りとなっている点が同線の運命を変えた?
もっとも略図だと言われればそれまでですが(笑)
なにしろ原点だと思っているので(笑)
展開が楽しみですね
わずかに小雀信号所を取り上げた位でした。
これが続けばいいんですが(笑)
ちなみに次回は違うネタです。
それでも、撤去前に信号所跡を案内してもらえた事は一生の思い出です。
今後の展開を楽しみにしてます!
デボネアとコルトで鎌倉で待ち合わせして。
湘南モノレールを見に行ったりもしましたね。
信号所編は本当に撤去直前でしたな~。
もっとお近くだったら沿線走破オフにも参加してもらえたのにと残念です。
>>今後の展開を楽しみにしてます!
ありがとうございます。
下書きをしていると小学生時代の事が甦り懐かしくも切なくなります。あれからも25年以上前か、と・・・。
でもいい思い出です♪
交通情報の「国道一号、原宿交差点で○キロ渋滞」というアナウンスは懐かしいですね(特に今は郷里を離れているもので)
原宿の発音も東京の原宿と違い、「ら」の部分にアクセントがあり、ちょっと高めに発音するですよね。
また、国道一号を「国イチ」ではなく「イチ国」という言い方も懐かしいです。(昔はそう言ってました)
他には、国道16号は「16号」、国道246号を「2・4・6」、国道134号を「134(ヒャクサンジュヨン)」など道の呼び方も色々でしたね。
新聞の略図の「六会」駅が「六合」となっているのは
なぜなんでしょう?(単なら誤植?)
ちょっと話が脱線してしまいましたが、当初モノレールの大船への軌道は、大船観音の西側に開通させ、大船駅舎に連結する計画だったようですが、国鉄や行政からの圧力みたいなもので、大船駅の東側の外れに置かれる計画に変更させられたみたいですよね。
当初の計画通り話が進んでいたらモノレールの歴史はまた変わっていたかもしれませんね。
前コメントの訂正を。
「当初モノレールの大船への軌道は、大船観音の西側に開通させ・・・」ですが、西側ではなく大船観音の鎮座する山にトンネルを掘り、大船駅舎の丁度真ん中に乗り入れる予定だったようです。
>>連載が続く事を願っております。
なにしろエンパイアの話が止まってますからね。
今回も続く予定でしたが早くも「休止中」となりそうです。