先々週、東京の温泉『岩蔵温泉』に行ってきました。
集合は来月に閉館される神田の交通博物館。土曜日なので多くの家族連れで賑わっていました。私はこの中で地味な存在だけどサニー1000(カットモデル)や写真のような航空灯台が好きだ。
レーダーや通信の発達により国内で使用されているものは無いそうです。
私が見たのは平塚の海岸沿いにあった航空灯台でした。43年には使用されていなかったそうで私が見たのは海上の灯台としてですが。
なぜか「航空灯台」という言葉、存在にはロマンすら感じます。実際に夜の旅客機から見
える航空灯台の灯はどのようなモノだったのでしょう(しばし妄想・・・)
交通博物館の移転により鉄道の所蔵品はそのまま埼玉に出来る新しい博物館に移るそうですが自動車や飛行機、船舶の展示物はどうなってしまうのだろう?
そんな思いを抱きながら今夜の宿がある岩蔵温泉へと車で向かいました。
私が岩蔵温泉を知ったのは今から15年前のこと。まだ19歳だった頃に友達と青梅の
鉄道公園に行った時だった。周辺案内を見ていると近くに温泉がある事を知り訪れたのが最初。その時は日帰り温泉を味わっただけだが、あまりにも岩蔵温泉郷が素晴しかったのでその後、二回ほど「儘多屋(ままだや)」という旅館に泊まった。
岩蔵温泉には何軒か宿があるのだが初回の印象が良かった儘多屋を選んでしまう。
なので今回も「儘多屋(ままだや)」です。
前に泊まったのは10年前かもしれない。
前はもっと地味な感じがしましたがきれいに改装されていました。
でもなかなか良い感じの改装です♪
お風呂場に続く廊下を抜けると・・・
岩風呂です。
お風呂から見える川の景色が良いんです。
紅葉の季節はもっと凄いんでしょうな。
実際には宿への到着が遅れてしまい上記写真は翌朝撮影しました。
夕食
多摩川で獲れたというヤマメの塩焼きが美味しかったです。
翌朝、次の目的地は青梅鉄道公園。
ここに懐かしの「0系新幹線」があるんです。
いやぁ~、素晴しいお鼻!やはり新幹線といえばこのかたちでしょう!
まさに当ブログが目指す「昭和」「60年代」「レトロ」「懐かし」という条件を全て満たしています。
初期型新幹線ならではのイスに座り名作映画「新幹線大爆破」について一同おおいに語ります。
それにしてもこの新幹線はどれだけ多くの人の人生や夢を運んできたのでしょう?
大阪万博に行く人々、修学旅行での楽しい思い出。大阪から東京に異動する会社員、遠距離恋愛のカップル、新婚旅行者。
いろんな人生模様を載せて走ってきたんでしょうね。
この車両に乗った人達は今なにをしているのかな?
昔のものに触れると、ついそんな事を想ってしまう。
おまけ画像(てっちんさん撮影)『鉄道公園屋上にて』
真ん中の消防車が私です。いや、僕は反対したんですよ!恥ずかしいから。
でも私以外のみんなが「どうしても乗りたい!」って言うからさぁ~・・・
「乗らないと後で後悔しますよ」とまで言われては仕方ないですよね。
困った人達だ♪
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航空灯台といえば、戦前の昭和10年代に建った神戸の大丸百貨店(震災後改築)と京都の丸物百貨店(現・近鉄)の屋上に建っていたガラスの塔屋が、建設時の資料によると「東京から○×(福岡だったか?)を結ぶ空路の、空の道標として航空灯台を設置し、云々」と書かれているのを見て、図書館で一人その失われたテクノロジーの格好よさにうち振るえたことがありました。
当時のマッチラベルのイラストを見ると、20世紀フォックス映画の冒頭のようなサーチライトがビルの上から放射されていて、これまた素晴らしいです。
投光機は、こういう物が付いていたんですね。交通博物館、閉館するまでには間に合いそうにないですが、いいものが見れました。ありがとうございます。
私の趣味をご理解頂いて、というか趣向が近い事にレスを読み興奮して更にレスしています。(思わず名前の所にタイトルを入れてしまいました)
>>神戸の大丸百貨店と京都の丸物百貨の屋上に建っていた~
ビルの屋上に設置されていたとは初耳でした!
>>空の道標として~
↑の言葉でご飯三杯いけます!
>>その失われたテクノロジーの格好よさ~
もうこれ以上私を泣かせないください!
>>20世紀フォックス映画の冒頭のようなサーチライトが~
おお!なんと分かり易い!
現在仕事中ですが明日の明けで再び見に行ってこようか迷っている自分がいます。
近日中に「航空灯台ネタ」をまた載せてみますので宜しくお願いいたします。
短い全長にたいしてC62と同じ巨大なボイラーを搭載したなんともユーモラスなスタイルが特徴です。青梅にあるのは30年以上前から知っているのですが、一度も行った事はありません。小回りを利かせるため第4~5輪にフランジが無いと言う特殊な構造を是非この目で見てみたいものです。
私もあの決して格好良いとはいえないアンバランスなタンクが好きです。
きっと彩雲さんが写真を何枚か公開してくれるでしょう、期待しましょう。
実は個人的には美唄鉄道で活躍した4110の方が古武士の雰囲気プンプンで好みです。4110は一台が公開保存されていますが、実は数台は個人のマニアが密閉した倉庫の中で保存されているそうです。当然非公開なんですが見てみたい....。
一瞬日本にいるZUBEBIBO
私は過去に2回、美鉄の廃線跡を訪れたことがありますが、その2回ともなぜか東明まであと少しと言うところで折り返してしまい、結局一度も4110を見たことがありません。わざわざ北海道まで行って、何やってるんでしょうね・・・orz
その時にバンコクにいたZUBEBIBOさんから安全体操さんに「E10の運転台写真を撮ってきて。」と指令が来ました。さまひさんによると『バック運転メインを前提に作られたから運転台が他と違い右側にある』との事でした。
へぇ~!!
と感心しているとさまひさんから『真中の車輪はフランジが無いんですよ』と説明され更にへぇ~!へぇ~!と感心するばかり。
そしてF先生からも『E10』の事を聞かれ驚くことばかりです。
が!期待を裏切って写真は撮っていません(使えないな~)それよりも0系新幹線の方に気が行ってしまいました。
(一時帰国中の)ZUBEBIBOさん
>>きっと彩雲さんが写真を何枚か公開してくれるでしょう、期待しましょう。
と、いう訳で期待を裏切る彩雲です。それにしても皆さん詳しいですね。
さまひさん
フランジが無い、バック運転等の話は感動しました。普通に見ていたら気付きませんから。素晴らしいガイドでした。
>>あと少しと言うところで折り返してしまい~
レイテ沖海戦の栗田艦隊を思い浮かべてしまいました。
wikipediaには
>高度な細工を凝らした桃山式の内装は、もはや
>修復できる技術の持ち主が残っておらず、復元
>実現にまでは至らなかった。やむなく装飾など
>を取り払われた上で、大井工場に保管されてい
>る。
と書いてました。あーあ。
移転先の新しい鉄道博物館に展示されるようですが、どういう状態で出てくるか非常に気になるところです。
実動車じゃなければ可燃性の素材も使えるので、なんとか形にはなると思いますが・・・。
確か、E-10の動いているカラー写真は数枚しかないと聞いた事があります、「空母の信濃や大鳳の写真」ぐらい貴重なものです!。
ところで、E-10の元祖の4110がまだ保存されているなんで知りませんでした、世の中知らない事がまだ沢山あるんですね、驚きです。
です、名前を書くのも忘れて投稿していまいました、申し訳ない。
>>私の記憶が確かなら~
さすが!たしかそうでした。で、説明にも「当初は右側」と書いてありました。
それよりも
>>、「空母の信濃や大鳳の写真」ぐらい貴重なものです!
という私のツボをついた見事な例えに爆笑でした!(職場で休憩中でしたが)