昨夜来の雨降りです。何もしたくないので本を読みます。
偶々、童話の本が置いてあったので・・。
柳田国男さんと一味違う昔ばなしです。
清水寺のお話(洛東)
今からず~っと昔、まだ都が奈良にあった頃のことです。大和の国、高市の小島寺で仏の修行をしていた延鎮(えんちん)という坊さんが、あるとき音羽山で、一人の不思議な翁に会いました。
翁は、「ここの霊木で観世音の像を彫ってはくれまいか。ここは寺を建てるには、またとない良い場所じゃ、わしはここに立派な寺を建てて、その像をまつりたい」
と言うと、かき消すようにいなくなったのです。
延鎮さんは、狐にでもつままれた様に、ぼんやりとそばの高い杉の木を見上げていましたが、その日から、音羽山にこもってお経を読み始めました。
やがて20年の歳月が流れ、都は今の京都へと移されましたが、翁との約束は、まだ果たされていません。
それからまた10年。まだ観音様を彫れない延鎮さんは、毎日思い悩んでいました。
そんなある日、坂上田村磨(さかのうえたむらまろ)という偉い将軍さまが延鎮さんのいる山へやってきたのです。
二人は、心打ちとけて話合いましたが、将軍が奥方の安産を願うために、鹿の肉をとりに来たと知り、延鎮さんは、仏の教えを話して、生き物を哀れむようにと諭しました。
感銘した将軍が、射止めた鹿を供養してやると不思議に、奥方は軽々と子を産んだのです。
将軍は、それから深く観音様を信仰するようになって、音羽山に、それは立派な寺を建ててくれました。
そして、大喜びの延鎮さんは、さっそく音羽山の霊木で、観音像を彫ったのです。
その後、大同6年、平城天皇の御代となり寺では、長岡京の御台所の紫宸殿に使っていた材木をもらって、高いがけに、立派な桟敷を組み立てました。これが今も有名な
「清水の舞台」 と言われるものです。
また、清水寺の奥の院の建っているところは、はじめに延鎮さんと翁とが顔を合わせたところだと言われており、いまでもそこには、高く大きな杉の木が立っています。
お終い・・・