先に飛蓬-21で、豪雨・暑熱の過酷さを「苦熱」で訴えました。酷暑から解放されるか と思いきや、気象は急変し、台風や地震(北海道胆振)と、続けざまに襲ってきました。
天と言わず、地と言わず、所、時、程度を問わず、牙を剥きだすのが、自然の驚異ではある。21号台風では、当方の家の屋根瓦も吹っ飛ばされ、部分的ながら青シートを被っている情況である。
この“異常気象は…….”とつい叫びたくなります。その思いを弱める術もなく、次の詩を書いて見ました。
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雜詩 (上平声 灰韻支韻)
地波一震岳崖頹、 地波(チハ) 一震(ヒトユレ)して岳崖(ガクガイ)頹(クズ)れ、
暴雨濫河流不衰。 暴雨 濫(ミダレ)し河 流れ衰(オトロ)えず。
永遠自然焉有理、 永遠なる自然 焉(イズク)んぞ理(リ) 有らんや、
杞人憂天笑了誰。 杞人(キジン)の天を憂(ウレ)うるを笑いしは誰ぞ。
註]
地波:(地震の)表面波
岳崖:山や崖
杞人憂天:四字成語で、“昔、杞の国の人が、天が落ちてきたらどうしよう、地が陥没したらどうしよう と心配ばかりしていた” という故事から。余計な心配すること、杞憂
<現代語訳>
雜詩
地面が一揺れすると 山々や崖は崩れ去る、
豪雨で川は氾濫して、奔流は衰えることがない。
自然は永遠、不変なりと言われるが、そのような道理など有りはしない、
“杞人憂天”の故事は笑い事ではないのだ。
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漢詩を読み鑑賞していく中で、否、一般的に、“人生の短さ”を“永遠なる自然”と対比させて嘆く場面によく出逢います。‘異常な’と思えるほどの頻度で天変地異に襲われる今日、宗旨替えをせざるを得ないのではないでしょうか。
中国の杞の国に、「天が落ちてきたら何処に逃げようか」と心配して、ご飯も喉を通らず、夜も眠れない と嘆いている人がいた。賢い親切な人がいて、「天は気体でできているのです。我々は毎日空気の中で生きています。落っこちる道理はないでしょう」と諭した。
杞の人は、さらに「それでは地面がへこんだらどうしよう」と訴えた。賢い人が、「地面は土の塊が堆積したものです。毎日地面の上をあっちこっちと歩いても大地は微動だにしません。何ら心配することはないよ」と諭されて 安心した と。
この時節の天変地異を目の当たりにしてみると、古代の杞の国の人の方が遥かに悧巧であった と思えます。我々は、むしろ杞の人の“憂い”を教訓に(サル?)智慧を働かせる工夫をすべきでしょう。
幸い最新の科学技術の進歩は、満足のいく程度とは言えないにしても、天変地異の発生予測をある程度可能にしています。“想定外であった”という逃げ口上の“想定”の許容幅をできるだけ縮小できるよう心がけ、難を避ける工夫をすべきでしょう。
ところで、“杞の国の人”が気になります。“杞の国”は、殷~戦国時代のころ存在した小国で、現河南省杞県の辺りにあったらしい。ただし、弱小国ゆえ、方々転都の憂き目に逢っていたようですが。
“杞人憂天”から推して、“杞の人”は、‘起こる可能性の無い、突飛なことを想定して思い悩む人種’と、蔑みの対象にされているように思われてならない。“杞の人”にとっては、捨て置けない事態と言えるでしょう。
この物語は、戦国時代に著された書物『列氏』の『天瑞編』に出ているという。『列氏』は、春秋戦国時代の人・列禦寇(レツギョコウ)(現河南省鄭州)の著書と言われており、『天瑞編』を含めて8編から成る と。
『天瑞編』は、道家思想の原理的な記述が主な内容で、道家思想の指南書である と。“天瑞”とは、単細胞的に言うなら、“天文”,あるいは“おテント様から齎される瑞兆”ということでしょうか。
であるなら、『天瑞編』は、天文について、道理を弁えた(当時のレベルながら)上で、着眼点を的確に提示・解説し、読者の理解を援けるよう工夫して著述している指南書 と考えられようか。
登場する“杞の人”は、“蔑みの対象”としてではなく、むしろ重要な問題点を整理・提起して、解説を促す役目を担った人であると理解してよさそうである。それにしても、“某国の某氏”ではなく、何故“杞国の人”なのか?
箴言や諺などの類には、出典の著述内容とは異なった意味、むしろ真逆の趣旨で語られることが往々にしてあります。「杞人憂天」もその一例と考えてよいのかもしれない。
しかし“何故‘杞国の人’なのか?”はやはり興味を引く点ではあります。実を言えば、筆者は、『列氏』に未だ接していません。知識の浅薄さを曝け出しておりますが、折を見て仔細に調べてみたい とは思っている所です。
天と言わず、地と言わず、所、時、程度を問わず、牙を剥きだすのが、自然の驚異ではある。21号台風では、当方の家の屋根瓦も吹っ飛ばされ、部分的ながら青シートを被っている情況である。
この“異常気象は…….”とつい叫びたくなります。その思いを弱める術もなく、次の詩を書いて見ました。
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雜詩 (上平声 灰韻支韻)
地波一震岳崖頹、 地波(チハ) 一震(ヒトユレ)して岳崖(ガクガイ)頹(クズ)れ、
暴雨濫河流不衰。 暴雨 濫(ミダレ)し河 流れ衰(オトロ)えず。
永遠自然焉有理、 永遠なる自然 焉(イズク)んぞ理(リ) 有らんや、
杞人憂天笑了誰。 杞人(キジン)の天を憂(ウレ)うるを笑いしは誰ぞ。
註]
地波:(地震の)表面波
岳崖:山や崖
杞人憂天:四字成語で、“昔、杞の国の人が、天が落ちてきたらどうしよう、地が陥没したらどうしよう と心配ばかりしていた” という故事から。余計な心配すること、杞憂
<現代語訳>
雜詩
地面が一揺れすると 山々や崖は崩れ去る、
豪雨で川は氾濫して、奔流は衰えることがない。
自然は永遠、不変なりと言われるが、そのような道理など有りはしない、
“杞人憂天”の故事は笑い事ではないのだ。
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漢詩を読み鑑賞していく中で、否、一般的に、“人生の短さ”を“永遠なる自然”と対比させて嘆く場面によく出逢います。‘異常な’と思えるほどの頻度で天変地異に襲われる今日、宗旨替えをせざるを得ないのではないでしょうか。
中国の杞の国に、「天が落ちてきたら何処に逃げようか」と心配して、ご飯も喉を通らず、夜も眠れない と嘆いている人がいた。賢い親切な人がいて、「天は気体でできているのです。我々は毎日空気の中で生きています。落っこちる道理はないでしょう」と諭した。
杞の人は、さらに「それでは地面がへこんだらどうしよう」と訴えた。賢い人が、「地面は土の塊が堆積したものです。毎日地面の上をあっちこっちと歩いても大地は微動だにしません。何ら心配することはないよ」と諭されて 安心した と。
この時節の天変地異を目の当たりにしてみると、古代の杞の国の人の方が遥かに悧巧であった と思えます。我々は、むしろ杞の人の“憂い”を教訓に(サル?)智慧を働かせる工夫をすべきでしょう。
幸い最新の科学技術の進歩は、満足のいく程度とは言えないにしても、天変地異の発生予測をある程度可能にしています。“想定外であった”という逃げ口上の“想定”の許容幅をできるだけ縮小できるよう心がけ、難を避ける工夫をすべきでしょう。
ところで、“杞の国の人”が気になります。“杞の国”は、殷~戦国時代のころ存在した小国で、現河南省杞県の辺りにあったらしい。ただし、弱小国ゆえ、方々転都の憂き目に逢っていたようですが。
“杞人憂天”から推して、“杞の人”は、‘起こる可能性の無い、突飛なことを想定して思い悩む人種’と、蔑みの対象にされているように思われてならない。“杞の人”にとっては、捨て置けない事態と言えるでしょう。
この物語は、戦国時代に著された書物『列氏』の『天瑞編』に出ているという。『列氏』は、春秋戦国時代の人・列禦寇(レツギョコウ)(現河南省鄭州)の著書と言われており、『天瑞編』を含めて8編から成る と。
『天瑞編』は、道家思想の原理的な記述が主な内容で、道家思想の指南書である と。“天瑞”とは、単細胞的に言うなら、“天文”,あるいは“おテント様から齎される瑞兆”ということでしょうか。
であるなら、『天瑞編』は、天文について、道理を弁えた(当時のレベルながら)上で、着眼点を的確に提示・解説し、読者の理解を援けるよう工夫して著述している指南書 と考えられようか。
登場する“杞の人”は、“蔑みの対象”としてではなく、むしろ重要な問題点を整理・提起して、解説を促す役目を担った人であると理解してよさそうである。それにしても、“某国の某氏”ではなく、何故“杞国の人”なのか?
箴言や諺などの類には、出典の著述内容とは異なった意味、むしろ真逆の趣旨で語られることが往々にしてあります。「杞人憂天」もその一例と考えてよいのかもしれない。
しかし“何故‘杞国の人’なのか?”はやはり興味を引く点ではあります。実を言えば、筆者は、『列氏』に未だ接していません。知識の浅薄さを曝け出しておりますが、折を見て仔細に調べてみたい とは思っている所です。
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