春19 (定家 春・104)
[詞書] 山ふきの花を折らせて人のもとにつかわすとて
散残る岸の山ぶき春ふかみこのひと枝をあはれといはなむ
(大意) 春が深まって 岸辺の散り残った山吹の花 手折ったひと枝 いとおしいと言ってもらいたいものだ。
<漢詩>
赠友人一枝花 友人に贈る 花一枝 [下平声一先韻]
臨岸棣棠花, 岸に臨んで棣棠(ヤマブキ)の花あり,
春深後凋娟。 春 深(フコウ)して後凋(コウチョウ)娟(エン)なり。
一条攀採贈, 一条(エダ)攀(ヒ)きて採(ト)り贈る,
乃願説可憐。 乃(スナワ)ち 願わくは 可憐(アハレ)と説(イウ)を。
<簡体字表記>
赠友人一枝花
临岸棣棠花,春深後凋娟。
一条攀采赠,乃愿说可怜。
<現代語訳>
<友に花一枝を贈る> 岸辺にある山吹の花、春が深まって散り残っている花が麗しい。人に差し上げようと、ひと枝を引いて採り贈る、何ともいとおしい と言ってほしいものであるよ。
[注記] 晩春から初夏にかけて、枝に黄色い花を連ねてつける山吹、特に八重咲の花は印象的である。金槐集では山吹に関わる歌12首が収められている。山吹に対し、特に思い入れがあるのであろう。
《夏の部》
夏1 (定家 夏・123)
[詞書] 郭公を待つ
郭公(ホトトギス)必ず待つとなけれども夜な夜な目をもさましつるかな
(大意) ホトトギスが来て鳴くのを是非に待つということではないのだが、もしや来るのではないかと 夜な夜な目をさますのだ。
<漢詩>
等初声 初声を等(マ)つ [上平声十灰 ]
杜鵑鳴覚夏, 杜鵑(トケン)鳴いて 夏来たるを覚(オボ)ゆ,
不必須等来. 必須(カナラズ)しも杜鵑の来るを等(マツ)にはあらず。
或許会来叫, 或許(モシ)や来て叫(ナ)くに会えるやもしれず,
每夜醒頻催. 每夜(ヨゴト)醒(メザメル)こと頻(シキリ)に催す。
<簡体字表記>
等初声
杜鹃鸣觉夏, 不必须等来.
或许会来叫, 每夜醒频催.
<現代語訳>
<忍び音を待つ> ホトトギスの鳴き声を聞くと夏の訪れである、是非にもホトトギスを待っているというわけではないが。もしや鳴き声が聞けるかもしれないと、夜な夜な しきりに目を醒ますのである。
[注記] 建暦元年(1211)、実朝が、永福寺を尋ねた折の作。
夏2 (定家 夏・127) (『風雅集』夏・332)
[詞書] 敦公
あしびきの山時鳥み山いでて夜ぶかき月のかげに鳴くなり
(大意) 山ホトトギスが 深山の奥から出て来て 深夜に月光のもとで鳴くようになったよ。
<漢詩>
杜鵑鳴月影間 杜鵑 月影の間に鳴く [下平声一先-上平声十五刪韻]
夜深山杜鵑, 夜深(フカ)く 山杜鵑(ヤマホトトギス),
逢時出深山。 逢時(トキヲエ)て 深山(ミヤマ)を出(イ)ず。
月亮何明浄, 月亮(ゲツリョウ) 何ぞ明浄(メイジョウ)たる,
嚶嚶月影間。 嚶嚶(オウオウ)たり 月影(ツキカゲ)の間。
<簡体字表記>
杜鹃鸣夜深月影间
夜深山杜鹃, 逢时出深山。
月亮何明净, 嘤嘤月影間。
<現代語訳>
<月影で鳴くホトトギス> 深夜 山ホトトギスは、時よろしく、深山を出たようだ。月の何と明るく美しいことか、月光輝く中で、友を求めて鳴いているか。
夏3 (定家 夏・139) (『続拾遺集』547)
[詞書] 故郷(フルサト)の盧橘(タチバナ)
いにしへをしのぶとなしにふる里の 夕べの雨ににほふ橘
(大意) 昔を懐かしく思うというわけではなしに故郷にいて、夕方の雨に「昔を思わせる」という橘の花の匂いがすることよ。
<漢詩>
故郷盧橘 故郷(フルサト)の盧橘(ロキツ) [下平声七陽韻]
無意緬懷昔, 昔を緬懷(シノ)ばんとの意(イト)は無くて,
欲暫留在郷。 暫(シバシ) 郷(フルサト)に留まらんと欲す。
霏霏夕暮雨, 霏霏(ヒヒ)たり夕暮の雨,
籠罩橘花香。 橘(タチバナ)の花の香 籠罩(タチコメ)てあり。
<簡体字表記>
故郷盧橘
无意缅怀昔, 欲暂留在乡。
霏霏夕暮雨, 笼罩橘花香。
<現代語訳>
<故郷の橘> 特に昔を偲ぼうとの思いがあるのではないのだが、しばし故郷に留まるつもりでいる。しとしとと五月雨が降る夕暮れ、橘の花の香りが漂ってきた。昔の事どもが思い出されるよ。
[注記] 「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(よみ人知らず 『古今集』夏・139)」:この歌以来、 “橘の花の匂い”は 昔を思わせるもの というのが常識となった由である。
夏4 (定家 夏・141) (『新後撰集』 209)
[歌題] 郭公
郭公きけどもあかず立花(タチバナ)の花ちる里のさみだれのころ
(大意) ほととぎすの声はいくら聞いても飽きない。橘の花が散る、五月雨の降る頃。
<漢詩>
聴杜鵑 杜鵑を聴く [上平声八斉韻‐四支韻]
不断杜鵑啼, 杜鵑(ホトトギス) 啼(ナ)くこと断(タエ)ず,
貪聴不自持。 貪聴(ムサボリキク)を自持(ジセイ)することなし。
故郷橘花謝, 故郷 橘(タチバナ)の花 謝(チ)る,
正是梅雨期。 正(マサ)に是(コ)れ 梅雨(サミダレ)の期(コロ)。
<簡体字表記>
杜鹃
不断杜鹃啼, 贪听不自持。
故乡橘花谢, 正是梅雨期。
<現代語訳>
<杜鵑を聴く> ホトトギスは鳴くを止むことなく、鳴いており、聞き厭きることなく 貪るように聞いている。故郷では 橘の花が散り始めた、五月雨の頃である。
《秋の部》
秋1 (定家 秋・155) (『新続古今集』巻四・秋上・347)
[詞書] 七月(フミヅキ)一日(ツイタチ)のあしたよめる
きのふこそ夏は暮れしか朝戸出の衣手さむし秋の初風
(大意) 昨日こそ 夏が終わったのであろう、朝の外出時に袖口の寒さを覚えたよ、きっと秋の初風に違いない。
<漢詩>
初秋風 初の秋風 [上平声一東韻]
無端知昧旦, 無端(ハシナクモ) 昧旦(マイタン)に知る、
先已晚蝉終。 先(マ)ず已(スデ)に 晚蝉(ヒグラシ)終(ヤ)む。
早班袖口冷, 早班(ハヤデ)に袖口(ソデグチ)冷(サム)く,
応是初秋風。 応(マサ)に是(コ)れ 初の秋風。
<簡体字表記>
初秋风
无端知昧旦, 先已晚蝉终。
早班袖口冷, 应是初秋风。
<現代語訳>
<秋の初風> 偶然にも今朝早くに知ったのだが、先に蜩(ヒグラシ)の鳴くのは終(ヤ)んでいる。早朝の早出で外に出ると、袖口が寒かったよ、まさに秋の初風のせいであろう。
秋2 (定家 秋・158)
[詞書] 蝉の鳴くをきゝて
吹く風は涼しくもあるかおのずから山の蝉鳴きて秋は来にけり
(大意) そよ風が涼しくなってきたかと思うと 山からツクツクブシの鳴き声が聞こえてきた、秋の訪れが実感されるようになったよ。
<漢詩>
聞寒蝉 寒蝉(カンセン)を聞く [下平声七陽韻]
何処微風至, 何処(イズコ)よりか微風至り,
蕭蕭覚快涼。 蕭蕭(ショウショウ)として快(ココロヨ)い涼を覚ゆ。
遙聞山蝉叫, 遙(ハルカ)に聞く 山蝉(サンセン)の叫(ナ)くを,
茲自悟秋陽。 茲(ココ)に自(オノズ)から秋陽なるを悟る。
<簡体字表記>
闻寒蝉
何处微风至, 萧萧觉快凉。
遥闻山蝉叫, 兹自悟秋阳。
<現代語訳>
<寒蝉を聞く> 何処からともなく そよ風が吹きわたり、木の葉が揺れて 涼しさが快い。遥かに山の方からツクツクボウシの鳴く声が聞こえてくる、自ずと秋の訪れが感じられるようになったよ。
秋3 (定家 秋・166) (『新勅撰集』 巻四・秋上・208)
[詞書] 秋のはじめによめる
彦星の行き逢いを待つひさかたの天の河原に秋風ぞ吹く
(大意) 牽牛星が 織女星と行きあうのを待っている天の河原に秋風が吹いている。
<漢詩>
等待織女牽牛星 織女を等待(マツ)牽牛星 [上平声一東韻]
金氣滿天漢, 金氣 天漢に滿ち,
牽牛対岸濛。 牽牛の対岸 濛(モウ)たり。
側足須織女, 足を側(ソバ)だてて織女を須(マ)つ,
只有素秋風。 只(タダ) 素秋の風のみ有り。
<简体字表記>
等待织女牵牛星
金气满天汉,牽牛对岸濛。
側足须织女,只有素秋风。
<現代語訳>
<織り姫を待つ彦星> 天の河には秋気漲って、彦星の立つ河の対岸は霞んでいる。彦星は岸辺で爪先立ちして 織り姫の来るのを待っているが、ただ 秋風が吹きすぎていくばかりである。
秋4 (定家 秋・182) (『新勅撰集』巻四・秋上・237)
[歌題] 故郷萩
故郷のもとあらの小萩いたづらに見る人もなしみさきか散るらむ
(大意) 故郷の小萩は、根ぎわの葉が疎らになっている、見る人もなくて空しく咲き、空しく散っているのであろう。
<漢詩>
懷鄉胡枝子 鄉の胡枝子(ハギ)を懷(オモ)う [上平声五微韻]
故鄉庭上樹, 故鄉の庭上の樹,
根柢葉稀稀。 根柢(コンテイ)の葉 稀稀(キキ)なり。
紫葩無人見, 紫の葩(ハナ) 見る人も無く,
徒開復衰微。 徒(イタズラ)に開き 復(マタ)衰微(スイビ)すらん。
<簡体字表記>
怀乡胡枝子
故乡庭上树, 根柢叶稀稀。
紫葩无人见, 徒开复衰微。
<現代語訳>
<故郷の萩を懷う> 故郷の庭にある萩の木、根っこの葉は疎らに。赤紫の花は、見る人もなく、むなしく咲き、またむなしく散っているのであろう。
秋5 (定家 秋・186) (玉葉集 486)
[詞書] 夕べの心を詠める
たそがれに物思ひをれば我が宿の荻の葉そよぎ秋風ぞ吹く
(大意) 黄昏、物思いに耽っていると、屋敷の庭の荻の葉をそよがして秋風が吹く。
<漢詩>
孟秋黄昏心情 孟秋黄昏の心情 [下平声十一尤韻]
黃昏時分暮雲收, 黃昏の時分 暮雲收(オサ)まり,
陷入沈思自休休。 沈思に陷入(オチ)いり自ずから休休(キュウキュウ)。
瑟瑟秋風撫摩面, 瑟瑟(シツシツ)たる 秋風 面を撫摩(ブマ)し,
垣牆荻葉搖様悠。 垣牆(エンショウ)の荻葉 搖様(ヨウヨウ)悠なり。
<简体字表記>
孟秋黄昏心情
黄昏时分暮云收, 陷入沉思自休休。
瑟瑟秋风抚摩面, 垣墙荻叶摇样悠。
<現代語訳>
<初秋黄昏時の心情> 夕暮れ時分 暮雲が収まり、物思いに耽って心穏やかである。そっと秋風が吹き抜け 頬を撫でる、垣根の荻の葉が緩やかに揺れて、長閑である。
秋6 (定家 秋・188)
[詞書] 庭の萩 わずかに残れるを 月さし出でてのち見るに 散りにたるや 花のみえざりしかば
萩の花暮れぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ
(大意) 萩の花はつい先ほどの日暮れ時まではあったのだが、月が出てから見てみるとなくなっていた、何と儚いことだ。
<漢詩>
花生命短暫啊 花の生命の短暫(ハカナ)さ [下平声六麻韻]
庭前僅剩胡枝花、 庭前 僅(ワズカ)に剩(ノコ)る胡枝(ハギ)の花、
直到黃昏映彩霞。 直に黃昏到(マデ) 彩霞に映えていた。
月亮上昇来看見、 月亮(ツキ)上昇(ノボ)りて 来て看見(ミル)に、
応憐露水絕紛華。 応(マサ)に憐むべし 露水の如くに紛華(フンカ)絕えたり。
<簡体字表記>
花生命短暂啊
庭前仅剩胡枝花, 直到黄昏映彩霞。
月亮上升来看见 应怜露水绝纷华。
<現代語訳>
<花の命の儚ないことよ> 庭先にわずかに残る萩の花、つい暮れまでは、夕焼けに映えていて、美しかった。月が昇って、月下に見るに、まさに憐れむべし、儚く、美しい花はなくなっている。
[注記] この歌は、“実朝らしさを表す歌”として、諸家が評価する歌である。
秋7 (定家 秋・190)
[詞書] 槿(アサガオ)
風を待つ草の葉におく露よりもあだなるものは朝顔の花
(大意) 風が吹けば露が散る。その風前の露よりもなお儚いものは 咲くかと見れば直に萎れる朝顔の花である。
<漢詩>
短暂命花 命の短暂(ミジカ)い花 [下平声一先韻]
草葉露華鮮, 草葉の露華(ロカ) 鮮なるも,
待風起寒煙。 風を待ちて 寒煙起る。
牽牛花更憫, 牽牛(アサガオ)の花 更に憫(アワレ)なり,
剛開就萎蔫。 開いた剛(バカリ)で 就(ス)ぐに萎蔫(シオレ)る。
<简体字表記>
短暂命花
草叶露华鲜, 待风起寒烟。
牽牛花更悯, 刚开就萎蔫。
<現代語訳>
<花の命の短きこと> 草葉に置いた露は鮮やかであるが、風に遭うと忽ちに煙のように散ってしまう。アサガオの花は 露よりも一層哀れなものだ、朝に咲いたかと思うとすぐに夕には萎れてしまうのだ。
秋8 (定家 秋・192) (『続後撰集』秋上・297)
[詞書] 秋歌
朝な朝な露にをれふす秋萩の花ふみしだき鹿ぞ鳴くなる
(大意) 毎朝 降りる露の重みに耐えられず、花をつけた秋萩の枝は折れ伏すほどである。鹿は、落ちた花を踏みしだいて彷徨い 鳴いている。
<漢詩>
鹿找友鳴 鹿 友を找(モト)めて鳴く [上平声八斉韻]
朝朝露盈盈, 朝朝(チョウチョウ) 露珠(ロシュ) 盈盈(エイエイ)たりて,
秋樹枝折傾。 秋樹 枝 折れ傾く。
雄鹿花踐踏, 雄鹿(オジカ) 花 踐踏(フミシダ)き,
彷徨山奧鳴。 彷徨(サマヨ)いて 山奧に鳴く。
<簡体字表記>
鹿找友鸣
朝朝露盈盈, 秋树枝折倾。
雄鹿花践踏, 彷徨山奥鸣。
<現代語訳>
<友を求めて鳴く鹿> 朝な朝な 草木の枝には露が満ちて、秋の花木萩の枝も撓(シナ)っている。牡鹿は花を踏みしだき、山奥を彷徨い 友を求めて啼いている。
秋9 (定家 秋・210) (新拾遺集 巻五 秋下 425)
[詞書] 月歌とて
天の原ふりさけみれば月きよみ秋の夜いたく更けにけるかな
(大意) 大空を仰ぎ見れば、月がさやかに輝いて、秋の夜がひどく更けてしまっているよ。
<漢詩>
清澄月夜 清澄(セイチョウ)な月夜 [下平声八庚韻]
仰望長天眼界清, 長天を仰望すれば 眼界(ガンカイ)清く,
月輪皓皓露晶晶。 月輪 皓皓(コウコウ)として露 晶晶(ショウショウ)たり。
無声氣爽月光徹, 声無く 氣 爽やかにして月光徹(トオ)る,
知是素秋已深更。 知る是(コ)れ 素秋(ソシュウ) 已に深更(シンコウ)。
<簡体字表記>
清澄秋月夜
仰望长天眼界清, 月轮皓皓露晶晶。
无声气爽月光彻, 知是素秋已深更。
<現代語訳>
<澄んだ秋月夜> 澄み切った大空をふりさけ見れば視界は澄んで、円い月は皓皓として輝き、草葉に置く露滴がキラキラと輝いている。物音一切なく、外気は爽やかにして、月光が射しており、秋の季節、すでに夜更けの頃であるよ。
秋10 (定家 秋・221)
[詞書] 月前の雁
天の戸を明け方空に啼く雁の翼の露に宿る月影
(大意) 天の戸が開く明け方の空に 鳴きつゝ群れをなして南に渡る雁の群れ、翼に置いた露に月影が美しい球のようにきらきらと輝いている。
<漢詩>
月前雁 月前の雁 [上平声一東韻]
月西拂曉空, 月は西に 拂曉(フツギョウ)の空,
邕邕雁如弓。 邕邕(ヨウヨウ)と啼きつつ雁の群れ弓の如し。
翅膀降珠露, 翅膀(ツバサ)に降(オ)く珠(タマ)の露,
輝輝月影籠。 輝輝(キキ)として月影 籠(コ)む。
<簡体字表記>
月前雁
月西拂晓空,邕邕雁如弓。
翅膀降珠露,辉辉月影籠。
<現代語訳>
<月前の雁> 月が西の空に傾いている明け方、雁の群れが鳴き交わしつゝ 弓のような隊形をつくって飛んで行く。翼には珠のような露が降りて、月影を映してきらきらと輝いている。
秋11 (定家 秋・222) (『新勅撰集』 秋・319〕
[詞書] 海のほとりを過ぐるとてよめる
わたのはら八重のしほぢにとぶ雁の翅(ツバサ)のなみに秋風ぞ吹く
(大意) 大海原のその限りなく、幾重にも重なる波の塩路を 雁が列をなして飛んで行く。その雁の翼の波に秋風が吹きつけている。
<漢詩>
海上雁行 海上の雁行 [下平声八庚韻]
汪洋大海亮晶晶, 汪洋たる大海 亮として晶晶(ショウショウ)たり,
重畳無垠潮路平。 重畳し無垠(ムギン)の潮路 平なり。
南去雁行風籟爽, 南に去く風籟(フウライ)爽(サワ)やかに,
秋風吹打翼波亨。 秋風吹打(フキツ)ける翼の波 亨(トオ)る。
<簡体字表記>
海上雁行
汪洋大海亮晶晶, 重叠无垠潮路平。
南去雁行风籁爽, 秋风吹打翼波亨。
<現代語訳>
<海上に帰雁を見る> 洋洋たる大海 浪の華がきらきらと輝いている、幾重にも重なる無限の波の潮路、海面は穏やかに広がっている。南に向かう列を成した雁を遥かに見て 風音が爽やか、その秋風が雁の翼の波に吹き付け 雁行は順調に進む。
秋12 (定家 秋・223) (『新後撰集』 291)
[詞書] 海のほとりをすぐるとて
ながめやる心もたえぬわたのはら八重のしほじの秋の夕暮れ
(大意) 大海原の、その限りない潮の流れを眺めているうちに 耐えがたい寂しさを感じた秋の夕暮である。
<漢詩>
秋天晚憂鬱 秋天 晚の憂鬱 [上声十三阮韻]
大海茫茫穩, 大海 茫茫(ボウボウ)として穩(オダヤ)かに,
潮路無際遠。 潮路(シオジ) 際限無く遠し。
碧空遙望尽, 碧空(ヘキクウ) 遙かに望んで尽き,
寂寞秋天晚。 寂寞(セキバク)たり秋天の晚(クレ)。
<簡体字表記>
秋天晚忧愁
大海茫茫稳, 潮路无际远。
碧空遥望尽, 寂寞秋天晚。
<現代語訳>
<秋の夕暮れの憂鬱> 大海原は広々として穏やかに、潮路は際限なくはるかに遠い。蒼空は遥かに望む所まで広がり、寂しさを覚える秋の夕暮れである。
秋13 (定家 秋・228)
[詞書] 田家夕雁
雁のいる門田の稲葉ちそよぎたそがれ時に秋風ぞふく
(大意) 秋の黄昏時、遥かに見る大空には南に渡る雁の群れが目に入る。あばら屋の門前に広がる田園では 稲穂が秋風にそよと揺れている。
<漢詩>
田家傍晚 田家の傍晚 [下平声七陽韻]
火焼雲間群雁翔,火焼雲(ユウヤケグモ)の間に 雁の群が翔んでいる,
田園瞭望映金黃。田園 瞭望すれば 金黃(コガネイロ)に映える。
威威搖動門前景,威威(ソヨソヨ)と搖動(ユレ)ている門前の景,
佳節清商掠稲粱。佳節の清商 稲粱(トウリョウ)を掠(カス)めてあり。
<簡体字表記>
田家傍晚
火烧云间群雁翔, 田园瞭望映金黄。
威威摇动门前景, 佳节清商掠稻粱。
<現代語訳>
<田舎の夕暮れ時> 夕焼雲の雲間に雁の群れが飛んでおり、田園遥かに見渡せば、黄金色に映えている。門前で そよそよと稲穂が揺れ動いており、爽やかな時節、秋風が稲を掠めて吹き渡っているのだ。
秋14 (定家 秋・237) (『新勅撰集』 秋・303)
[歌題] 鹿をよめる
雲のいる梢はるかに霧こめてたかしの山に鹿ぞ鳴くなる
(大意) 雲の掛かっている梢を 見渡す限り遥かに霧が籠めて、高師山に鹿が鳴いている。
<漢詩>
聞鹿 鹿を聞く [入声一屋韻]
峨峨高師岫, 峨峨(ガガ)たり高師(タカシ)の岫(ヤマ),
雲翳罩山腹。 雲翳(ウンエイ) 山腹に罩(カカ)る。
梢外霧弥漫, 梢外(サンガイ)に霧 弥漫(ビマン)し,
呦呦鳴叫鹿。 呦呦(ヨウヨウ)と鹿 鳴叫(ナ)く。
<簡体字表記>
闻鹿
峨峨高师岫, 云翳罩山腹。
梢外雾弥漫, 呦呦鸣叫鹿。
<現代語訳>
<鹿の鳴くのを聞く> 高く聳える高師の山、中腹に雲が覆うってあり。梢の向こうでは霧が一面に立ちこめていて、山では鹿が鳴いている。
秋15 (定家 秋・243) (『続千載集』秋・下・284)
[詞書] 名所秋月
さゝ浪や比良の山風さ夜深(フケ)て月影さむし志賀の唐崎
(大意) 比良山から山風が吹き下ろす中、夜更けて 月が寒々と照らしている志賀の唐崎である。
<漢詩>
名勝秋月 名勝の秋月 [上声二十三梗韻]
比良山風過, 比良の山風 過ぐ,
松籟清涼境。 松籟(ショウライ) 清涼なる境(トコロ)。
志賀唐崎畔, 志賀の唐崎の畔(キシベ),
夜深寒月影。 夜深くして 寒き月影。
<簡体字表記>
名胜秋月
比良山風过, 松籁清凉境。
志贺唐崎畔, 夜深寒月影。
<現代語訳>
<名所の秋月> 比良の山から山風が吹き下ろし、麓では爽やかな松籟が響く。志賀の唐崎の岸辺には、夜更けて 寒々とした月影が映えている。
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