愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 427 漢詩で読む 『源氏物語』の歌  (三十五帖 若菜下-1)

2024-09-09 09:10:26 | 漢詩を読む

[三十五帖 若菜下-1  要旨]  (光源氏41歳春~47歳冬)

柏木は、先に唐猫が引っ掛けて開けた御簾内に垣間見た女三の宮への思いを募らせる。柏木は、女三宮の乳母子の小侍従に逢う機会を作るよう働きかけるが、断られる。そこでせめて件の唐猫を譲り受け、懐けて傍に置き、女三宮の形見にと、猫を手にいれます。

四年後、在位18年を経た冷泉帝は、後を継ぐ息子がなく、朱雀院の息子・春宮に譲位、今上帝の世となる。そこで今上帝と明石の女御の第一皇子が春宮に即位し、明石の入道の宿願が叶った。

源氏は紫の上や明石女御たちを伴って住吉神社に御願果たしに詣で、一行は終夜を歌舞に明かす。十月二十日、月の明かりで遥かに海が見え渡り、松原には白霜が厚く置いて、快く身にしむ社前の朝ぼらけであった。紫の上が詠うと他の人々も和してそれぞれ詠います。

 

  住之江の 松に夜深く 置く霜は 

    神の懸けたる 木綿(ユフ)かづらかも (紫の上) 

 

朱雀院(法皇)は、このまま亡くなっては心名残りであり、今一度女三の宮に逢いたいと望む。源氏も、「ごもっともなことである」 と思い、来年、朱雀院は五十歳になることから、若菜の賀を姫君から奉らせるよう思いつき、その計画を進める。それに備えて、女三の宮に琴を教授する。年が明け、六条院の女君たちで女楽(オンナガク)が華麗に催された。

紫の上は今年37歳の厄年を迎えた。源氏は、紫の上と過ごした年月を追懐し、正妻の葵の上、また六条御息所のことなどを語り、御息所については、“付き合いにくい面倒な人であった”と評する。

源氏が女三宮の元で夜を過ごしている間に、紫の上は急に胸を病んで倒れ、回復の兆しが見えない。加持祈祷をさせるが効果なく、病は同じ状態が続き、2月も終わり、紫の上は二条院へ移された。

 

本帖の歌と漢詩 

ooooooooo    

住之江の 松に夜深く 置く霜は

  神の懸けたる 木綿(ユフ)かづらかも   (紫の上)  

 [註]○住之江の松:住吉神社辺の地名を言う時の常套句; 〇木綿かづら:         明け方の雲を譬えていう語、転じて、「神が願いを受け入れた証」を意           味する。

 (大意) 住の江の松に夜深くおく霜は、神がかけた木綿鬘でしょうか。 

 

xxxxxxxxxxx   

<漢詩>  

  還願行    還願行     [下平声七陽韻]

月映住江畔、 月の映える住江(スミノエ)の畔(ホトリ),

青松戴白霜。 青松 白霜を戴く。

猶如幣假髮、 猶(アタカ)も 幣(ヌサ)の假髮(カヅラ)の如し、

看取願意祥。 看取(カンシュ)す願意(ネガイ)の祥(ツマビラカ)なるを。

 [註] ○還願:願解(ホド)き、(神仏への)お礼参り; 〇猶如:まるで…の如し; ○幣假髮:“木綿(ユウ)かづら”の意; ○看取:見てそれと知ること; ○願意:願い、ここでは、願ほどきの願い。 

<現代語訳> 

  願解(ガンホド)きの旅 

月の映える住之江のほとり、

浜の青松には、白い霜が懸かっている。

この霜は、あたかも神が懸けた木綿(ユウ)かづらのようである、

私たちの“願ほどき”の願いが通じたのであろう。

<簡体字表記> 

 还愿行         Huányuàn xíng

月映住江畔, Yuè yìng zhù jiāng pàn, 

青松戴白霜。 qīng sōng dài bái rǔ shuāng.

犹如币假发, Yóurú bì jiǎfà,

看取愿意祥。 kàn qǔ yuànyì xiáng.

ooooooooo   

 

紫の上に和して、中務の君が詠った歌:

 

 祝子(ハフリコ)が 木綿(ユフ)うち紛(マガ)ひ おく霜は 

   げにいちじるき 神の証か     (中務の君)

  [註]○祝子:神に仕える人、神職; 〇いちじるき:明らかな。 

  (大意) 神に仕える人が持つ木綿蔓と見違えるほどに置く霜は、神がお受               けになった証でございましょう。

 

 

【井中蛙の雑録】

『蒙求』と『蒙求和歌』-5  8句が一塊/接着剤は“韻” -(2) 

   蒙求596句の第2塊の8句を下に示しました。

 

 9 匡衡鑿壁、孫敬閉。郅都蒼鷹、寧成乳

 13周嵩狼抗、梁冀跋。郗超髯参、王珣短簿。  

 

この集合体の“韻”(字)は、仄韻 [上声七麌韻]に属する字です。即ち、第一塊では、“平韻”、今回の第2塊では“仄韻”です。以後、蒙求中の各塊は、ほとんど平韻・仄韻の繰り返しに並べられています。声を発して繰り返し読んだ時、ある種のリズムを感ずるのではないでしょうか。幼童が学習し易くするための一工夫か。


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