対榕樹鞦韆図有懐 [去声4寘韻]
榕樹鞦韆図に対して懐い有り
離別郷里経幾季,
郷里(キョウリ)離れて幾季(イクトキ)か 経る,
榕樹鞦韆催酌意。
榕樹(ヨウジュ)鞦韆(シュウセン)酌意(シャクイ)を催おす。
飛網如今世界狭,
飛網(ヒモウ) の如今(ジョコン) 世界は狭し,
故郷照旧在墳地。
故郷 照旧(モトヨリ) 墳地に在り。
註] 〇榕樹:ガジュマルの木; 〇鞦韆:ブランコ; 〇飛網:飛行機(漢語:飛機)とインターネット(漢語: 網絡); 〇如今:今日; 〇照旧:依然として; 〇墳地:墳墓の地。
<現代語訳>
故郷を離れて幾年月か過ぎた、ガジュマルの木に掛かるブランコの図を見ると、自ずと酒盃に手が行く。飛行機とインターネットのある今日、地球は狭くなった、青山を他所に求めることはない、墳墓の地が有るのだ。
<簡体字表記>
对榕树鞦韆图有怀
离别乡里经几季,榕树鞦韆催酌意。
飞网如今世界狭,故乡照旧在墳地。
<記>
釈月性は、《将に東遊せん……》で、「骨を埋むるに… 人間(ジンカン)到る処 青山有り」と詠んだ。
一方、白楽天は、《香炉峰下 新たに山居……》で、左 遷されて一時廬山の麓に居た折、都長安を想いつつ、「故郷 何ぞ独り長安にのみ在らんや」と詠んで、嘯いている。
作者は、「飛行機やインタイネット等、交通・通信が発達した今、わが故郷が墳墓の地である」と主張している。
子供がガジュマルの枝に掛けたブランコで遊ぶ写真を見ると、つい、故郷を懐い、お酒に手が行くのである。
ガジュマルの横に伸びた枝はブランコを掛けるのにちょうどよく、曾て子供たちは藁縄のブランコを掛けて遊んだものである。
年季の行ったガジュマルは、枝は傘状に八方に広がり、枝から出た気根が見かけの幹を構成して、見事な姿をみせる。
南島喜界島に自生したガジュマルの木
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