愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 257 飛蓬-148 京都嵐山三絶 其一

2022-04-11 09:52:57 | 漢詩を読む

蘇軾(1037~1101)の官僚として最初の任地は、鳳翔(ホウショウ、現陝西省宝鶏)であった。そこで3年間の任を終えたのち、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンで名高い華清宮が造営されていた驪山を訪れている。その折の印象を連作・「驪山三絶句」として詠っています。新進気鋭の若手官僚としての気概が感じられる三首です。 

 

蘇軾の《驪山三絶句》の韻を借り(和韻し)て、京都嵐山の印象を「京都嵐山三絶句」として詩作に挑戦してみます。とはいえ、肩肘張らず、率直に想いを表現できれば……と、取り掛かりました。まず、其一、“嵐山”の名称に拘りました。 

 

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<漢詩と読み下し文>  

 次韻 蘇軾《驪山三絶句 其一》 

  京都嵐山三絶句 其一            [下平声八庚韻]    

錦楓幽境秋氣盈、 錦楓(キンプウ)幽境(ユウキョウ) 秋氣盈(ミ)つ、 

保津映容川面平。 保津(ホズ)(川) 山の容(スガタ)を映(ウツ)して 川面 平(タイラカ)なり。 

不負名人難靠近、 名に負(ソム)かざれば 人 靠近(チカヅキ) 難(ガタ)かろうに、 

山中棋戦下音清。 山中の棋戦(キセン)  石を下(ウ)つ音清(キヨ)し。 

 註] 〇錦楓:紅葉した美しいカエデ; 〇幽境:世俗を離れた静かなところ; 

   〇保津:保津川; 〇不得:…できない; 〇靠近:近寄る;

   〇棋戦:囲碁の対戦; 〇下:囲碁の石を打つこと。 

<現代語訳> 

 蘇軾《驪山三絶句 其一》に次韻す 

  京都嵐山三絶句 其一    

楓はすっかり紅葉して山は静まり返り、秋の気配が満ちており、

保津川の川面は波静かで静かな佇まいの嵐山の姿を映している。

嵐山という名の通りであるなら、この山には人は近づき難かろうに、 

この山中で囲碁を打つと パシッと澄んだ石音が樹々の間をぬけて消えていく。 

<簡体字およびピンイン> 

 次韻《蘇軾驪山三絶句 其一》 Cìyùn SūShì 《 lí shān sān juéjù  qí yī》 

  京都岚山三絶句  其一   Jīngdū lánshān sān juéjù  qí yī   

锦枫幽境秋气盈、  Jǐn fēng yōu jìng qiū qì yíng,  

保津映容川面平。  bǎojīn yìng róng chuān miàn píng.  

不负名人难靠近、  Bù fù míng shéi nán kàojìn,   

山中棋战下音清。  Shān zhōng qí zhàn xià yīn qīng.  

 

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<蘇軾の詩> 

 驪山三絶句 其一   [下平声八庚韻]  

功成惟欲善持盈、 功成って惟(タ)だ欲す 善く盈(エイ)を持(ジ)するを、  

可歎前王恃太平。 歎ずべし 前王の太平を恃(タノ)むを。  

辛苦驪山山下土、 辛苦す 驪山(リザン)山下の土、  

阿房纔廃又華清。 阿房(アボウ) 纔(ワズ)かに廃(ハイ)すれば又(マ)た華清。  

 註] 〇驪山:陝西省臨潼(リンドウ)県東南の山。秦の始皇帝の陵がある。唐の玄宗は 

  ここに華清宮という離宮を作った; 〇持盈:最高の状態を持続させる; 

  〇恃:頼りにする; 〇前王:先立つ時代の天子。秦の始皇帝や唐の玄宗を指す; 

  〇阿房:秦の始皇帝が造った宮殿の名。楚の項羽によって火を放たれ全焼した; 

  〇纔:たったいま…したばかり、動作や行為が起こったばかりである意; 

  〇華清:華清宮、唐の玄宗が722年に建立、初名「温泉宮」、のちに「華清宮」と 

   改名した。  

<現代語訳> 

功業が成就したならば、ひとえにその最善の状態を保つように努力すべきであるのに、

前代の天子たちが太平の中で用心を忘れたのはまことに嘆かわしい。

ご苦労なことだ、驪山の麓の土地は、

秦の阿房宮が焼けて無くなったと思ったら、唐代にはまた華清宮が建てられた。

          [石川忠久「NHK文化セミナー 漢詩を読む 蘇東坡」に拠る]                        

<簡体字およびピンイン> 

 骊山三绝句 其一  Líshān sān juéjù  qí yī   

功成惟欲善持盈、  Gōng chéng wéi yù shàn chí yíng, 

可叹前王恃太平。  kě tàn qián wáng shì tàipíng. 

辛苦骊山山下土、  Xīnkǔ líshān shānxià tǔ, 

阿房才廃又华清。   āfáng cái fèi yòu huáqīng.  

ooooooooooooo 

 

1056年、蘇軾(22歳)は、父・蘇洵(ジュン)、弟・蘇轍(テツ)と連れ立って開封に向かい、科挙を受験、兄弟揃って合格。翌年正月、皇帝自ら行う「殿試」に合格して晴れて進士となり、官僚の第一歩を踏み出した。しかし4月母が亡くなり、帰郷して二年間喪に服しています。

 

1061年(26歳)、母の喪が明けて上京し、蘇軾は、初めての職務として鳳翔府簽判(センバン)(高級事務官)に任命されます。宋代では、新たに進士に及第した者は、職務見習いとして3年ほど地方に出されることになっていたようである。 

 

蘇軾は、鳳翔府で3年間務めた後、一旦官職を解かれて、故郷の蜀に帰っていますが、帰郷の前に長安に寄り、驪山を訪ね、本稿主題の《驪山三絶句》を書いたものと思われます。本稿の《其一》でも若手官僚としての意気盛んな風が感じられます。

 

“嵐山”は、名勝の名称としては、やや場違いな感がないでもありません。名称の由来として、直感的には、“風吹き荒れて花を散らせる山”ということが思い浮かびます。『百人一首』22番に取り上げられた文屋康秀の歌(閑話休題127)が的確に物語ってくれます。

 

(22番) 吹くからに 秋の草木の しをるれば 

      むべ山風を 嵐といふらむ  (『古今和歌集』秋下・249) 

    (大意)秋の“野分の風”が吹くと、山の草木がしおれてしまう。山から吹き 

       下ろす荒々しい風を“嵐”と言うのも宜なるかなであるよ。 

 

しかしそれでは夢がありません。調べてみると『日本書紀』まで遡る夢の物語(?)がありました。天照大神(アマテラスオオミカミ、太陽神)の弟で、農耕・漁猟歴を司るため月齢を数える月の神・月読尊(ツクヨミノミコト)がいて、そのご神託で宇田荒洲田(ウダアラスダ)の地が(日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に?)奉られた とされている。

 

宇田荒洲田とは、「宇(良い)田(地)の荒洲(あらす、中洲)にできた田(地)」の意、すなわち保津川/桂川の土砂が堆積してできた肥沃な土地を意味している と。そこにある山なので「あらす山」とされ、さらに「あらし山」となり、“嵐”の字が当てられた と。つまり、行きがかり上“嵐”の山になったようであるが、これ以上深く追及することは止そう。 

 

嵐山は京都を代表する観光スポットの一つで、特に観光シーズンともなれば、観光客の往来で騒々しい所である。しかし山中に入ると、“嵐山”の字面とは違い、木漏れ日が射す非常に静寂な雰囲気に包まれます。

 

幾昔か前に、嵐山の山中で碁盤を囲んだことがあるが、石を打ち下ろすパシッという澄んだ音が、樹々の間を抜けていって消える。静寂な空気感で、心が洗われる思いであった。「驪山三絶句」の“脚韻”に思いを凝らしている間に、昔の想いが蘇り、掲詩となった次第である。 

 

       

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