この本も、いつも参考にさせていただいている「ふとっちょパパ」さんのBlogで紹介されていたものです。
内田百閒(ひゃくけん)氏は、本名 内田栄造、大正~昭和期の小説家・随筆家です。
岡山市に生まれ、東京帝国大学独文科卒業。陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学でドイツ語教授を歴任した後、文筆活動に入りました。
百鬼園(ひゃっきえん)と号し高校時代から俳句に親しみ、夏目漱石の門下生になって芥川竜之介・鈴木三重吉・森田草平らとも親交がありました。
百閒氏は、詩と酒と琴を愛する風流人でありましたが、一方で、人と相いれない偏屈者でもあったということです。
その百閒氏の著名な旅紀行文が、この「阿房列車」です。
旅といっても、目的を定めぬ旅です。
同行者は、国鉄の雑誌の編集者である「ヒマラヤ山系」(本名 平山三郎)氏。これが、すこぶるいいコンビです。
(p147より引用) 「今夜の晩餐に、甘木君を招待しようではないか」「はあ」「いいだろう」「多分来ないでしょう」「なぜ」「甘木さんは几帳面な人で、遠慮深くて、鬚面です」「鬚面がどうしたのだ」「それは鬚が濃いからですけれど、遠慮深くて、几帳面な人で、多分来ないでしょう」・・・
暫らくして、もう一度持ち出した。
「はあ」と云って、考えた挙げ句に、「甘木さんが遠慮しなければ、招待して見ましょう」と云った。
「貴君、それは無理だぜ」
「なぜです」
「招待を受ける前に遠慮するのは困難だ」
山系は、私がそう云う事を云うと、いつまでも返事をしない。
万事、こういうやりとりです。
他方、百閒氏一流のシニカルな言い回しもまたありです。
(p168より引用) 夜が明けた。
明ける所を見たわけではない。目がさめたら昨日の昼間の通りになっていただけの話である。
旅館の池の蛙すらも、氏の毒舌の対象になります。
(p190より引用) 全く変な、馬鹿な声がしたと思ったら食用蛙である。よくもあんな下らない声が出せるものだと思う。
食用蛙からしたら、大きなお世話です。
あと、蛇足ですが、恥ずかしながら、百閒氏は同郷のはるか大先輩にあたることを、この本で知りました。
「鹿児島阿房列車」での岡山あたりの記述は、今でも変わっていないところが多く、風景が目に浮びますね。(このところは、数年に1度ぐらいしか帰らないのですが・・・)