「信長」がテーマなので、ジャンルとしては「歴史小説」なのでしょうが、私が今までに何冊か読んだ(私にとって)極めてポピュラーな作家(たとえば、司馬遼太郎氏や海音寺潮五郎氏等)の作品とは全く感触が異なっていました。
宣教師の従者の書簡という形式で「信長」を描いているのですが、その筆致は独特です。巻末の饗庭孝男氏の解説の言を借りると、まさに「抑制のきいたストイックな文体」です。
(p77より引用) 彼が廊下を通り抜けてゆきとき、青白い顳顬のひくひくする動きや、鋭く一点を見つめるような眼ざしとともに、冷たい空気の揺曳が、見えないヴェールででもあるかのように、あとまで黒ずんだ感触を残していった。
辻氏は、この作品で、信長の思考・行動の基準を「理」だとしています。
(p87より引用) 大殿が言う「事が成る」という言葉ほど、彼の行動のすべてを説明するものはない。そして彼は、事の道理に適わなければ、決して事は成らぬ、と信じていたのだ。
「理に適う」ことがすべての礎であり、信長は、それを純粋に追及します。
それゆえの孤高の姿です。
(p88より引用) 私が彼のなかにみるのは、自分の選んだ仕事において、完璧さの極限を達しようとする意志である。
信長の「理」の追求が、あるときには「慈悲」の姿に見え、あるときには「無慈悲」の行動と映るのです。
(p133より引用) 雨に打たれる盲目の足なえの哀れさに胸をつかれることと、合戦において非情であることとは、まったく同じことなのだ。荒木よ、合戦において、真に慈悲であるとは、ただ無慈悲となることしかないのだ。
久しぶりの小説でしたが、私的には唸らされる作品でした。
安土往還記 価格:¥ 460(税込) 発売日:1972-04 |