老人と海 ヘミングウェイ著(2種類の翻訳本) 読書案内
再々再読。気力が減退した時、疲労こんぱいし気分を入れ替えたいとき、気ままに読んできた小説です。
原作初版は1966年ですから、半世紀も前に発表された小説です。にもかかわらず今も若い世代を中心に読み継がれている、その魅力は何処にあるのでしょう。
新潮文庫 福田恒存翻訳 1966年初版 大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。(裏表紙作品解説より)
光文社古典新約文庫 小川高義翻訳 2014年初版 三日にわたる壮絶な闘いが始まる。……。決して屈服しない男の力強い姿と哀愁を描く、ヘミングウエイ文学の最高傑作。(裏表紙作品解説より)
福田本では、「雄々しく闘う老人と、自然の厳粛さと人間の勇気を謳う」と表現され、大自然(海)で大魚や襲いくるサメと戦う活劇ドラマを推測させる。一方、小川本では、「屈服しない男と哀愁」と表現され、ハードボイルドの香りを感じさせる。「哀愁」という語句に静かな老人の闘志を感じる。以下、2冊の翻訳を比較してみたい。冒頭は次のような記述で始まる。
福田恒存翻訳: かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮かべ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日も続いた。はじめの四十日はひとりの少年がついていた。しかし一匹も釣れない日が四十日もつづくと、少年の両親は、もう老人がすっかりサラオになってしまったのだといった。サラオとはスペイン語で最悪の事態を意味することばだ。
小川高義翻訳:老人は一人で小舟に乗ってメキシコ湾流に漁に出る。このところ八十四日間、一匹も釣れていなかった。四十日目までは同行する少年がいた。だか四十日かかって一匹も釣れないとは徹底して運に見放されている、 サラオだ、と少年の両親は言った。スペイン語で「不運の極み」ということだ。
比べてみれば一目瞭然。小川本は簡潔に読者に理解しやすいように、翻訳している。『徹底して運に見放されている』という訳文が、老人の現在の状況を的確に物語っている。次のような文章にも二者の違いが表れている。
福田本:この男にかんする限り、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。
小川本:どこをどう見ても老人だが、その目だけは海の色と変わらない。元気な負けず知らずの目になっていた。
「不屈な生気をみなぎらせ」た目と「元気な負けず知らずの目」という表現は、これから展開される物語の雰囲気をよく表していると思います。
(つづく)