今日、ママンが死んだ (無常の死)
「今日、ママンが死んだ」
カミユの小説「異邦人」の冒頭の文章である。
不条理の文学は「母の死」から始まる。
「 祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」
と平家物語は 生者必滅のことわりを琵琶の音色に載せて謳いあげる。
滅びゆく平氏一族の哀れを無常の風で包む。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて
ひさしくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、
またかくのごとし。」
と鴨長明も方丈記で、足掻(あが)いてもどうにもならない人生に
方丈の狭い庵で無常を感じていた。
「今朝、5時49分に父が亡くなりました」
電話の向こう側で、長女のすすり泣く声がくぐもって流れてくる。
16日会いに行った私に義兄は力なくベッドに横たわったまま、
弱々しい笑顔を浮かべるのみ。
その2日後、義兄は2人の娘に看取られ、帰らぬ人になった。
電話を受けた私も泣いた。
末期の癌、自宅療養、認知症の妻を残し
たった1週間のベッドの生活で
「ちょっと行ってくるよ」とでもいうような旅立ちだった。
生きた証。
350ページにもわたる自分史が残された。
家庭の環境等に関係なく、「死」は誰にも平等に訪れる。
「無常」
その時を、天命として捉え、往生できれば
最後の幕引きとしては、最高の幕引きだ。
歳を重ねれば重ねるほど
出会いで得るものよりも、
別れで喪うものの方が多くなる。
「無常」だなあー
(2016.03.18記)