失 言 (つれづれに…心もよう№35)
とんでもないことを言ってしまって、取り返しのつかないことになる。
政治家や問題を起こして謝罪する人に多い「失言」だ。
こんな状況で窮地に追いこまれた人。
「配慮が足りませんでした」と、素直に謝ればいい。
でも、現実はそうはいかない。
「そんな意味で言ったのではない」と、真意をねじ曲げて意地を通そうとする。
或いは、「絶対にそんなことはない」意地を張る。
事実が露見刈れば、秘書や部下のせいにし、
「私は知らなかった」と責任転嫁しようとする。
恥の上塗りだ。
元航空幕僚長・田母神俊雄氏の公式ブログ
「志は高く、熱く燃える」がスローガンです。
スローガンと本人の言動がこれ程乖離(かいり)しているのも珍しい。
更にその右下には
田母神氏が書いた単行本の表紙が載っている。
第二次世界大戦(太平洋戦争)のことを「大東亜戦争」なんて、表現する人、
戦争体験者だって表現しません。
「魂まで失わないために日本は勝つ気でたたかった!」こんなことを考えているから、
「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」だなどと政府見解と異なることを平気でぶち上げるのでしょう。
4月14日の朝、逮捕に際して自身のツイッターに
「何とも理不尽さを感じますが、国家権力にはかないません」
とつぶやき、車中の人となった。
運動員らへの現金配布について、
「指示も了承もしていない」と相変わらずの強気だったが、
後に録画音声の証拠などが挙がり、氏の強がり言動はもろくも崩れ去る。
いつものことながら、「しらない」、「やっていない」という発言が覆された時、
この責任(嘘をついたこと)をどう取るつもりなのか。決定的な証拠。ありながら、
シラを切る厚かましさを彼らは、どう説明するのか。
かって、俳優の勝新太郎が麻薬所持で逮捕された時に、
「パンツの中にかってに(麻薬が)入っていた」というおとぼけとは質が違うのです。
最後に、丹羽利一さんの短歌(朝日歌壇)を紹介します。
発言を取り消すといふ生き方に
生き方までも取り消している
自分の言動には、責任を持つこと。時にそれが誤った言動であった時には
素直に謝ることが、ごく自然の流れだと思う。生き方までも取り消すような
大事にはならない。
世間的な、地位や名誉等のしがらみを優先するために、なりふり構わぬ
言動が批判の的になり、品位を欠いた生き方をさらしてしまうのでしょう。